アルカディアの民と花の鳥
買い物を終え戻って来たギードと合流した三人は、傾きかけた夕日を背に、中央広場の特設会場に来ていた。
「今日も、いっぱい投票券が貰えたね」
すっかり機嫌の直ったレイが、投票券を手に笑っている。
会場は、相変わらずの物凄い人出で、早々にレイをポリーの背に乗せて危険を回避して、二人はポリーの両側を歩いていた。
「おお、バルテン達の動く鳥が僅差で一位ですぞ」
「大したもんだな」
「あ、本当だ。僕のお気に入りの親子の鳥は二位だよ」
投票の集計が張り出された看板を見て、三人が感心していると、彼らが手にした投票券を見た他の人達が、自分の贔屓の花の鳥に投票しろと、あちこちから話しかけて来る。
「駄目だよ、僕はもう入れる花の鳥は決めてるもん」
ポリーの背の上から、レイが投票券を握りしめて楽しそうに笑った。
「……ほらあれ、やっぱり人間だろ?」
少し離れた屋台の陰で、先程別れた黒衣の男達が串焼きを食べながらその様子を見ていた。
彼らには、注意して見ればレイが姿を偽っている事が分かるのだった。
「確かにすごいな。あれは、あの竜人がやったのか?」
「さあな、そんな感じは無かったけど。誰がやったにしろ相当な腕前だね。術だけなら、俺達に匹敵するんじゃないか? それよりさっきのドワーフ、一体何を言ってたんだよ?」
ガイが、食べ終わった串を手にキーゼルを振り返る。
「それは、お前は知らんでも良い事だ。さてもう気が済んだろう。行くぞ」
「あの三人、やっぱり気になるんだけどな……」
「駄目だ、安易に市井の者と関わるな」
きっぱりと言われて、ガイは肩をすくめた。
「キーゼルはいつもそうだ。関わるな。手を出すな。だけど、関わらないと見えないものだってある。俺は、それを見たい。キーゼルが傍観者に徹するなら、俺は生身の人達と、とことん関わって、内側から、他の奴が見えないものを見るさ」
ため息を吐いて、キーゼルがガイを、哀れな者を見るような目で見た。
「それは、最後にお前が辛くなるだけだぞ」
「あんたはもう忘れてるかも知れないけど、その辛さには、喜びや楽しみって言葉も一緒に付いて来るんだよ」
当たり前の事のようにそう言って笑うガイに、キーゼルは黙って首を振った。
「お前が納得して関わると言うなら、もう止めはせぬ。好きにするが良い」
それを聞いたガイが、嬉しそうに何か言いかけたが、キーゼルは指一本でそれを封じ、真剣な声で付け足した。
「ただし、関わる以上、無責任な事はするな。自分で蒔いた種は、たとえ中身が何であれ責任を持って刈り取れ。良いな」
無言で何度も頷くガイを見て、初めてキーゼルは笑った。
ガイはまだ、アルカディアの民としては若い。傍観者に徹する事の難しさを理解していないのだ。
だが、確かに関わらなければ見えないものもあるだろう。しばらくは好きにさせる事にした。
「それよりお主、ラプトルはどうした? まさか、歩いて森へ行く気か?」
「ああ、ちょっと失敗してね。ここなら、ラプトルも手に入るかと思ったんだけどな」
「……何をした?」
嫌な予感に、眉を顰めてガイを横目で見る。
「手持ちが少なかったんでね。傭兵家業に精を出してたんだよ」
「……もしかして、国境の騒ぎに参加してたのか?」
「そ、タガルノは金払いだけは良いからね。単発で稼ぐなら、あの国が楽で良いんだ」
「それでラプトルを無くしてたら世話無いな」
馬鹿にしたように鼻で笑ったキーゼルだったが、ガイの次の言葉に言葉を失った。
「噂の竜騎士様と対戦して来たぜ。矢は一本しか放てなかったし、しかも逸らされて腕にしか当てられなかった。それからカマイタチのすごかった事。あの成竜に乗ってた図体のでかいのは、かなりの風の使い手だったよ」
「お前、まさかとは思うが……殺して無いよな?」
「一応、竜の主の存在意義は承知してるよ」
「でも、矢を射たのだろう?」
咎めるように言う。
「だって、なかなか良い面構えだったんだ。それに必死でシルフ達が守ってた。まだ若い雛だけど、彼女らには良い主みたいだったよ」
全く悪びれずに笑う彼を見て、キーゼルは怒る事を諦めて大きなため息を吐いた。
「オルダムの白の塔に、特別製の薬を差し入れておこう。そんな事で、詫びにもなるまいがな」
何か言いたそうなガイを視線一つで黙らせると、食べ終わった串を屑かごに放り込み、広場を後にした。
「お前はほとぼりが冷めるまでオルダムには近寄るなよ。とりあえず、ラプトルを手に入れるのが先だな。商人ギルドに行くから付いて来い。金はあるんだろ?」
頷くガイを見て、キーゼルは、もう振り返りもせずにさっさと歩き始めた。
投票を終えて宿へ戻った三人は、前回食べてレイが気に入った、あの柔らかな挽肉を使った肉料理を頼んでいた。
「今回のはバターソース味で、夏野菜を添えてあったのだけど、どうでしたか? お口に合いましたかな?」
デザートの、冷たく冷やした桃の甘露煮を出してくれながら、バルナルがそう言い、何度も頷くレイを見て嬉しそうに笑った。
「そりゃあ良かった。それじゃあ、ごゆっくり」
相変わらず満員の店内を、大きな体のバルナルは、幾つもの皿を手に店内をせっせと動き回っていた。
大満足の夕食を済ませた三人は、一旦部屋に荷物を置くと、もう一度ポリーを連れて、暗くなった夜の街へ花の鳥見物に来ていた。
当然、レイはポリーの背の上だ。
「ポリーに乗せて貰うと、昨日より花の鳥が近いよ」
楽しそうなレイの声に、二人も笑顔になった。
「旧市街の方へ行って見ましょう。あっちにも沢山の花の鳥が飾ってあると、バルナルが言ってましたよ」
「そう言えば、レイは旧市街へ行くのは初めてじゃな。この暗さで旧市街に灯がともされとったら、さぞかし美しかろう」
ポリーの前を歩くギードが、振り返って笑う。
「そんなに違うの? 僕には新市街の街並みも十分綺麗だと思うけど」
辺りを見回しながら、レイが驚いたようにそう言ったが、二人は笑っただけで何も言わなかった。
実際、自由開拓民の村で育ったレイにとっては、そもそも石造りの建物自体が珍しかった。
しかも、その建物が幾つも綺麗に並び、歩く幅の広い道は見事な石畳。街の至る所に、石造りの見事な噴水や、物語の英雄達の石像が並ぶ様は、それだけでも十分な見応えがあった。
「精霊王の神殿には行ったのか?」
「うん。十三歳になった報告と、二度目の洗礼の儀式の為に、村長に連れられて村の子供三人と一緒に、一度だけこの街に来た事があるの」
「ちゃんと村の子供に、十三歳の報告と洗礼の儀式を受けさせるって、随分とまた信心深かかったんだな」
感心したようなニコスの問いに、レイは首を傾げた。
「どうなんだろう? えっと、僕と同い年のマックスって子と、もう一人、年上のバフィがいてね、バフィはまだ二度目の洗礼を受けてないからって、三人一緒に洗礼の儀式を受けたんだよ。儀式は直ぐに終わったけどね」
「二度目の洗礼の儀式って大層な名が付いてるけど、要するに十三歳までちゃんと生き延びました、って、精霊王に報告するだけだからな。まあ確かに、儀式自体はあっという間だよ」
「え? そういう意味なの? 何だかよく分からない、呪文みたいなお祈りの言葉を聞かされただけだったけど」
それを聞いたニコスは、堪える間も無く吹き出した。
「呪文……うん、確かに呪文だな」
完全に面白がられて文句を言おうとしたが、角を曲がった途端に目に飛び込んできた景色に圧倒された。
レイは、声も無くただ見惚れていた。
先程までいた新市街とはまず建物の大きさが違う。遥かに大きく、そして美しかった。
恐らく元は真っ白な石だったのだろうが、歳月を経た物だけが持つ不思議な風合いと貫禄が備わっていた。
壁に掘られた蔓草模様は優美な曲線を描き、屋根の要所要所には、魔除けの為の妖魔の精密な石像が幾つも設置され、今にもこっちに向かって襲いかかってきそうだった。
しかし、凶悪な表情を浮かべたその妖魔達も、今だけは、それぞれに花冠を飾られて満更でも無さそうだった。
あちこちに灯された蝋燭やランタンの優しい光が、花冠を飾った妖魔達に、まるで生きているかの様な揺らめく影を映し出していた。
幻想的なその光景は、まるで今が神話の時代であるかのような、不思議な気分にさせてくれた。
「夜の旧市街に来るのは初めてだが、これは見事なもんだな」
レイと同じく、見惚れたままのギードが呆然と呟いた。
「さすがに綺麗だな。これは、わざわざ見に来る価値は十分にあるな。さて、旧市街の花の鳥はどんな風かな?」
感心したニコスがそう言って、旧市街の花の鳥の飾られている噴水横の広場に向かった。
「うわあ、すごく綺麗だ」
レイの呟きに二人も無言で頷いた。
辿り着いた広場には、人よりも少し大きい程度の花の鳥が幾つも並んでいた。
今まで見て来た物と違い、鳥の顔や足は全て木彫り細工で作られていた。鳥の形に作られた立体の木枠に、羽を生やす様に丁寧に何百もの色とりどりの花が飾られていた。
「これは懐かしい。昔はこっちが主流だったんですよ」
ニコスが嬉しそうに教えてくれた。
「特設会場の鳥達は、全部お花で作られてたよね。こっちの鳥さんは、花の服を着てるみたいだ」
レイの言う通り、今まで見て来た花の鳥は、全て全身花で埋め尽くされていた。
唯一、レイのお気に入りの親子の鳥だけは、長い両足を木で作ってあったが、それでも、緑の蔓を何本も巻きつけて出来るだけ木が見えないようにされていた。
「この胴体部分の木枠や頭、足なんかは毎年使うんですよ。だから、どうしても同じようなのになるでしょ。年々派手になっていく花祭りだから、いつのまにか使われなくなって行ったんだな。まあこれも時代なんだろう。でも俺は、こっちの花の鳥も良いと思うけどな」
「僕もそう思うよ。これなんか、特設会場にあったらきっと投票してる」
レイが指差した、恐らく見本は鷺であろうその花の鳥は、少し首を傾げた形をしていて、まるで本物であるかのような見事な翼の模様が、何色もの花で丁寧に作られていた。
「嬉しい事を言ってくださる。最近の若い方は皆、派手な花の鳥ばかり見て、こう言った古い形の物は見向きもしてくれませんからな」
近くにいた老人が、嬉しそうに話しかけて来た。
「そうなの? すごく綺麗だと思いますよ。でも、作るのはものすごく大変そうだね」
「女神オフィーリアへの捧げものですからね。丁寧に作るのは当たり前ですよ」
老人はそう言って、花の鳥の足元に置かれた花瓶から一本の花を抜き取った。
「坊やに祝福を。これから其方が歩む苦難の道に、女神オフィーリアの加護が常にあります様に」
思いもよらない丁寧な祝福の言葉に、レイは慌ててポリーから降りようとした。
「構わぬ、そこにおられよ。そなたのこれからの人生に幸多からん事を」
手渡された小さな花を受け取って、レイはその指先にそっと口づけを返した。
「ありがとうございます。貴方にも、女神オフィーリアの加護が常にあります様に」
「おお、ありがとう坊や。お陰でまだまだ長生き出来ますな」
冗談めかして笑うその老人の言葉に、皆笑顔になった。
「それじゃあねお爺さん。お花を有難う」
二人も礼を言い、周りを見ながらゆっくりと宿へ戻って行った。
「やはり良い子じゃな。祝福を授けに来たのに、逆に貰うてしまったわい」
その老人はそう呟くと、その場から不意に消えていなくなった。
それは、花祭りの陽気に誘われて、蒼の森から遊びに来ていた、森の大爺の分身であるドライアードの仮の姿であった。
誰もいなくなった噴水横の広場では、何人ものシルフが、楽しそうに花の鳥の翼の上に座っていた。




