朝市
話中に出てくる貨幣の設定です。
何となくそれ位だと思ってくだされば良いかと思ってます。
鉛貨、十円
鉄貨、百円
銅貨、千円
銀貨、一万円
相変わらず、お小遣い渡し過ぎのニコスさん。
翌朝、シルフ達に起こされたレイは、部屋を見回したまま固まってしまった。
何しろ昨日の夜、出掛けた途中からの記憶が全く無い。しかし、ちゃんと寝巻きに着替えているし、見覚えのある宿屋の部屋だ。
『おはようおはよう』
『起きて起きて』
『朝市だよ朝市だよ』
嬉しそうに周りを飛び回るシルフ達を呆然と見ていると、洗面所からニコスが出てきた。
「お、おはよう。ようやくのお目覚めだな。今日は朝市に行くから、そろそろ起きてくれよな」
そう言って、何事も無かったかのように着替えるニコスを呆然と見て、恐る恐るレイは聞いてみた。
「おはようございます……えっと、あの、昨日の夜……」
振り返ったニコスは、笑いを堪えながら服を着た。
「小さくなっててくれて助かったよ。あの大きな体で寝られたら、どうにも出来なくて、道に放り出して帰って来てたところだったぞ」
「うわあ! ごめんなさい!」
その言葉で、何があったか分かってしまった。
「寝てる子供の着替えなんて何年振りだったかな。懐かしい事をさせて貰ったよ」
レイの分の着替えを持って側へ来たニコスは、しゃがんでレイと目線を合わせて、確認するように額に手を当てた。
「別にどこも具合は悪く無いよな? 昨夜……と言うか、明け方に、少し咳が出てたぞ。大丈夫か?」
「え?大丈夫だよ。特に喉も痛く無いし、咳も無いよ」
驚いてそう言うと、ニコスは安心したようにレイのもつれた髪を梳かしてくれた。
「昨日、冷えたのかな? 体が暖まると咳が出やすくなるからな。のど飴は持って来てるんだろ?」
「うん、タキスに瓶いっぱいに入れて貰って来たよ」
レイも起きて着替えながら、ベルトに取り付けた小さな鞄から、瓶を取り出して見せた。
コルクの蓋がされた分厚い硝子の瓶は、ギードの手作りだ。
「痛かったら早めに舐めておくようにな。もし、具合が悪くなるようなら、絶対に遠慮せず早めに言う事」
「大丈夫だって。でもね、昨日思ったんだけど……」
「どうした?」
言いにくそうにするレイに、ニコスが心配そうに覗き込んだ。
「あのね、この体、小さくなったでしょ。その、体力が……鍛える前ぐらいしか無い気がする。力が全然出無いし、ちょっと動いたらすぐに疲れるんだよ」
「ははあ、確かに身体も細くなってるから、それはあるかもな。それなら、弱くなってる訳だから気を付けてな。今までより慎重に動くように」
立ち上がったニコスを見上げて、レイは悔しそうに頷いた。
身支度を整えて居間へ行くと、ちょうどギードも出てきたところだった。
「おはようさん。よく寝たか?」
笑いを堪えながら尋ねるギードに、レイは素知らぬ顔で挨拶した。
「おはようございます。うん、よく眠れたよ」
顔を見合わせて、同時に吹き出した。
「えっと、実は、途中から全然覚えてないの。何か色々お世話かけました」
「よいよい。昨夜はまあ、ちょっとはしゃぎ過ぎたかもな。しかし、お主……その身体になって、明らかに体力が無くなっておるんではないか?」
「今その話をしてたんですよ、やっぱりそうみたいですね。本人も自覚があるみたいですよ」
代わりに答えたニコスを見て、ギードも唸り声を上げた。
「やはりそうか。それなら体力の配分は慎重にな。疲れたと思ったら、早めに言うように。良いな」
頷くレイを見て、二人は笑った。
「それでは、飯を食ったらそのまま出掛けるぞ。夕方まで戻らん予定だから、ここに忘れ物は無いようにな」
「あ、そうそう。レイ、今日と明日の分のお小遣いを渡しておきます」
ニコスが取り出した小さな巾着を見て、レイは首を振った。
「まだ、この前貰ったのが、殆どそのまま残ってるよ」
「でも、これはあなたの分ですから持ってなさい」
そう言って、レイのベルトに付けた鞄に、その巾着を入れてくれた。
「えっと、今回のお小遣いは幾らなの?」
思わず上目遣いにニコスを見上げてしまった。
「銅貨が四十枚入ってますからね」
「無理! そんなに貰えないよ!」
その後何度かの押し問答の末、今回のお小遣いは、銅貨二十枚で決着を見たのだった。
「二日分なのに……じゃあ、足りなかったら言ってくださいね」
残念そうなニコスにレイは無言で何度も頷くと、もうこの話は終わり、とばかりに、ニコスの背中を押して部屋を出て行った。
「おはようございます。どうぞごゆっくり」
食堂へ降りた一行は、お皿を持ったクルトに案内されて、窓際の席についた。
「さて、それでは取りに行くとしようか。おお、相変わらずすごい人だな」
ギードがお皿を手に立ち上がった。
ここの名物である、自分で好きに取れる朝食は、相変わらず大人気のようだ。レイも自分のお皿を持ってついて行った。
しかし、人が多過ぎて料理に近づけない。なんとか側まで行っても、取り分けるフォークやスプーンを手に取る事が出来ないのだ。
どんどんはじき出されてしまい、気がついたら完全に列の外に出てしまっていた。
「ええ、どうしよう……」
テーブルへ戻ったギードが、空の皿を持つレイを見て驚いたように側に来た。
「どうした?好きなものを取って参れ」
ちょっと泣きそうになりながら、人が多すぎて料理に近寄れなかった事を報告した。
確かに、今のレイの身長と体格では、あの人混みに完全に飲まれてしまうのだろう。
「そうか、それならこうしましょう」
ギードが笑って、レイを肩に担ぎ上げた。
「ほれ、取ってやるから、好きなものを言いなされ」
肩車されて完全に人混みから抜け出たレイは、ご機嫌で、あれこれとギードに頼んで取って貰った。
「ありがとうギード、食いっぱぐれたらどうしようかって思ってたの」
山盛りのお皿を持って席に着き、皆で精霊王へのお祈りをしてから食べ始めた。
食後のお茶までしっかりといただき、大満足の三人は、バルナルに声を掛けてから、ポリーを連れて買い物に出かけた。
「しかし、いつも以上の人出だな。レイ、ポリーに乗らなくて大丈夫か?」
手綱を持ったニコスに心配そうに言われて、レイは首を振った。
「ポリーの側にいたら大丈夫だよ。ほら、ここは空間が出来てる」
確かに、皆、何となくラプトルの側には近寄りたく無いらしく、ポリーの周りには少し空間が出来ている。
「成る程な。じゃあポリー、レイの事よろしく頼むよ」
ニコスがそう言うと、ポリーは返事をするように小さな音で喉を鳴らした。
ポリーの鞍のベルトを軽く握りながらついて行き、ニコスが野菜や果物を買う度に、籠に積むのを手伝った。
「あ、この前買った飴屋さんだ!」
ニコスに声を掛けて、レイはお店の前に立ち止まった。
「いらっしゃい、もしかして秋頃に瓶詰めを買ってくれた子かな?」
女主人はレイの事を覚えていてくれた。
「はいそうです。すごく美味しかったよ。みんなで全部食べちゃいました。また貰ってもいいですか」
「嬉しい事を言ってくれるね。また瓶詰めにするかい? それなら今回は、一回り大きな瓶もあるよ」
彼女が差し出した瓶は、前回買ったものよりも大きな瓶だ。
「じゃあそれにします。えっと……あ、全部の種類を混ぜてください!」
笑って頷いた女主人が飴を入れている間に、レイは瓶に立てた棒付きの飴に視線が釘付けになっていた。
小さな棒がついたその飴は、様々な立体の花の形になっていてとても綺麗だ。大きなものは一本売り、小さなのは三本と五本のセットになっているようだった。
「大きな瓶が鉄火七枚、棒付きは……ええ! 大きなのは銅貨一枚! 三本組が鉄貨九枚!五本組が銅貨一枚と鉄貨三枚……あれ? 五本組だけ値段が違う……?」
値段を書いた看板を見て呟くレイに、女主人は感心したように笑った。
「へえ、その子は文字が読めるだけじゃなくて、計算まで出来るのかい、すごいね。そうだよ、五本組のは少しだけ安くなってるんだよ」
それを聞いて思わずニコスを振り返った。目を輝かせるレイを見て、ニコスは笑いながら頷いた。
「言ったでしょ、欲しいものがあれば自分のお小遣いで買いなさいって」
それを聞いたレイは嬉しそうに頷く、振り返って満面の笑みで女主人に言った。
「じゃあ、この五本組のも一緒にお願いします」
「はい、毎度あり。それじゃあ、合計で銅貨二枚だよ」
布の袋に入れて貰った瓶詰めと棒付きの飴を受け取り、レイはリュックの中にそれを入れた。
「棒付きの飴は、しばらくは大丈夫だけど湿気に弱いからね。コップなどに立てておいて、早めに食べるようにしておくれ」
「分かりました。ありがとう」
「あ、お待ち。ほれ口を開けな」
割れた飴を口に放り込んで貰って、レイはご機嫌で手を振った。
「良い買い物をしましたね。ウインディーネ、レイの棒付きの飴を湿気ないように守ってくださいね」
ニコスの声に、レイの背負ったリュックの中に、ウインディーネが飛び込んでいった。
その後、あちこち見て回り、前回も買った肉屋でソーセージを選んでいるニコスを待っていると、不意に背後から服を引っ張られた。
「え? 何?」
驚いて振り返ると、そこには小さな女の子が立っていた。今にも泣きそうな顔でレイの服の端を握りしめている。
「えっと、どうしたの?」
「お母さん……お母さん……」
「もしかして、迷子?」
女の子は声も無く頷くと、涙をぽろぽろとこぼし始めた。
「えっと、どこではぐれたの?」
頼られているんだと思い、思わずそう言って女の子の手を握ってやった。
「あっちのお花屋さんの前……」
「行ってみよう!」
え? どこに行くの? と言わんばかりのポリーを、肉屋の店先に置き去りにしたままで、女の子の手を引いてレイは走って行ってしまった。
人混みを器用にすり抜け花屋さんの前に来たが、それらしい人はいない。人の流れに沿って辺りを見回しながら進み、小さな銅像の前に来た時だった。
「アン! ここにいたのね!」
一人の女性が駆け寄って来た。
「お母さん!」
握っていた手を振りほどき、女の子は走って行って、母の胸に飛びついた。
「もう、心配したじゃない。勝手に動き回っちゃ駄目だってあれほど言ったのに」
「お母さん! お母さん!」
抱きついたまま泣き出した少女をしっかりと抱きしめて、女性はレイに笑いかけた。
「ありがとうねお兄ちゃん、アンを守ってくれて」
「……いえ、良かったね。じゃあアン、もう勝手にお母さんから離れちゃ駄目だよ」
誤魔化すように笑って手を振ると、女性はもう一度お礼を言って、少女を抱いたまま人混みの中に消えて行った。
「母さん……」
振り払われた手を呆然と眺めて、気付いた時には、レイの方が泣き出していた。
涙が止まらない。
鞄から出した手拭き布で何度も涙を拭い、必死で涙を我慢した。
ようやく落ち着いた時、レイは重要な事に気が付いた。
「あれ? ここどこ? ニコス……ポリー?」
周りを見回しても、そこは見覚えのない商店が立ち並ぶ、先ほどとは違う通りだった。
「どうしよう。僕の方が迷子になちゃったよ。えっと、どっちから来たんだっけ?」
赤い目をしたまま、ふらふらと人混みの中へ出て行ってしまった。




