枕戦争と小さな夜食
「それじゃあまた後でね」
一旦隣の部屋に戻るティミーを見送り、レイも大急ぎで部屋に戻って湯を使った。
「明日の朝は早いですから、適当に切り上げてくださいね。あまり過ぎる夜更かしはいけませんよ」
シルフ達が乾かしてくれたふわふわな髪をブラシで解いてやりながら、苦笑いしたラスティの言葉にレイも頷く。
「分かってる。でも、ちょっと気負い込み過ぎてるティミーの緊張を少しでも解してあげないとね」
驚いたように目を見開くラスティに、レイは内緒話をするような小さな声でそう言い、自分の部屋を振り返った。
「いきなり初めての場所で、周りは年上の人ばかり。僕もここへ来てすぐの頃にいつも思ってた。もっとしっかりしないと、もっと早く色んな事を覚えないとって。未熟な僕の為に、大人の人達が色んな所で働いて面倒を見てくれるのがすごく申し訳なかった。実は今でもちょっとそう思ってる」
「そ、それは唯一の竜の主なのですから、当然でしょう?」
慌てるラスティに、レイは笑って頷く。
「うん、分かってるし今ならこうも思ってる。僕の後ろにブルーがいるから、だから皆は僕を助けてくれるし色んな事を教えてくれるんだって。だから僕のやるべき事は、申し訳ないって思って縮こまって逃げる事じゃなくて、堂々と胸を張って顔を上げて、やるべき事をやるだけなんだよね。そりゃあ訓練も勉強もすっごく大変だけどさ」
笑ってわざと軽く言うレイの言葉に、ラスティも笑顔で頷く。
「良かった、きちんと分かっていらっしゃいますね」
「僕はさ、ここへ来てすぐの頃って、それこそ貴族の身分や軍人の身分なんて全く知らなかった。将軍って言葉は聞いたことくらいはあったけど、それが軍の中でどれくらい偉い人なのかすら分からなかった。ほら、テシオスやバルドと初めて喧嘩をした時、テシオスの父上が元老院のエッケル侯爵だって言われて僕、真顔で誰それ? って聞いちゃったくらいだもん」
当時を思い出して苦笑いしているレイに、当時の騒ぎを思い出してラスティも困ったように笑っている。
「そうでしたね。確かにあの頃はまだ、貴族の身分の事などかけらもご存知なかったですね」
「だけどティミーは、そう言ったことはもう全部知ってて、自分がここで周りの人達からどんな扱いを受けるのかも理解して、それでもここへ来てるんだ。すごい勇気だと思う。僕、初めから知ってたら、多分……逃げてたと思う」
最後はごく小さな声だったが、ラスティの耳には聞こえてしまい、慌ててレイの顔を覗き込む。
「大丈夫だよ。もう今は逃げたいなんて思ってないって」
誤魔化すように笑って立ち上がったレイは、綺麗になった髪を手櫛で軽くすいてから大きく伸びをした。
「えっと、夜食ってお願いしたら何が出来ますか?」
「どうぞお楽しみに、特製のお夜食をご用意していますからね」
片目を閉じた自信ありげなラスティに、レイは満面の笑みで大きく頷いたのだった。
「ありがとうラスティ。じゃあ信じて楽しみにしてます!」
嬉しそうにそう言って部屋に戻るレイの後ろ姿を見て、ラスティは小さく呟いた。
「少食でお困りのティミー様が、一度に食べられる量が少ないだけで、時間を分けて少しずつ食べればもっと食べられるのではないか。これは考えなかったですね。ですが確かにこれで少しでも多く食べられるようになるのなら良いのですがねえ……」
「お待たせしました!」
寝巻きに着替え、スリッパを履いて枕を抱えたティミーがマーカスとロートスに付き添われて部屋に入って来る。
「ようこそ。ほらここ」
広いベッドに座ったレイが、自分の横の空いた場所を手で叩く。
「よろしくお願いします!」
飛び込むみたいにベッドに転がったティミーにレイが枕を持って襲いかかる。
悲鳴を上げて手にした枕で相手を叩き合い、広いベッドを転がって逃げ回った。
しばらく一対一の白熱した枕戦争が続き、ティミーの息が切れたところで一時休戦になった。
そのままベッドに並んで転がりしばらく休憩して息を整えた後は、奥殿にいる猫のレイがどれだけ大きいかをレイは笑いながら身振り手振りを交えてティミーに何度も説明していた。
明日の昼食会にきっと猫のレイも出てくるだろうから、ティミーの屋敷にいるセージとどれくらい大きさが違うのか見てみるのが楽しみだと言って笑い合った。
「レイルズ様、ティミー様、お夜食をお持ちしましたのでどうぞお召し上がりください」
ワゴンを押して入って来たラスティの声に、二人が揃って嬉しそうに起き上がる。
ベッドに座ったままの二人の膝に、トレーと一体になった小さなテーブルが置かれる。
これは貴族が使う道具の一つで、ベッドに座ったまま食事をするための専用のミニテーブルなのだ。
「はいどうぞ」
そう言ってそれぞれのテーブルに置かれた夜食を見て、二人が歓声を上げる。
渡されたお皿には、直径5セルテくらいしかないごく小さなパンケーキが全部で五枚、真っ直ぐに重ねて積み上がっていた。その横にはこれまた小さく刻んだ果物を蜂蜜で和えたものが綺麗に盛り合わされている。
「甘みが足りなければ蜂蜜をお使いくださいね」
蜂蜜の小瓶を二人のお皿の横に置くと、カトラリーを並べ、それから取手のついた小さめのカップに温めた山羊のミルクを入れた。
「足りなければお代わりもございますからご遠慮なくお呼びください。ではどうぞごゆっくり」
まるでおままごとのお菓子のような小さなパンケーキに、ティミーの目は、もうこぼれんばかりに見開かれている。
「へえ、これは可愛いね」
嬉しそうにそう呟いたレイは、そっと目を閉じて食前の祈りを捧げてから嬉しそうに蜂蜜の瓶を手にした。
「えっと、これくらいかな」
たっぷりと蜂蜜を垂らすレイを見て、ティミーも笑顔でたっぷりと蜂蜜を小さなパンケーキに垂らした。
絶対に一口で食べられる大きさなのに、二人とも普通のパンケーキを食べる時のように、ナイフとフォークを使って小さなそれをさらに小さく切ってから、口に入れた。
「……駄目だ。これだと小さすぎて蜂蜜の味しかしないよ」
笑いを堪えたレイの呟きに、同じく笑いを堪えたティミーも何度も小さく頷く。
二人揃って顔を見合わせて、仲良く声を上げて笑った。
枕元に並んで座ったブルーとターコイズの使いのシルフ達は、仲良く笑いあう愛しい主人達を、もうこれ以上無いくらいの優しい眼差しで、ずっと黙って見つめていたのだった。




