食堂にて
「あはは、助けてくれてありがとうね、ラスティ」
あちこち跳ねたふわふわな赤毛を撫でつけながら、照れたように笑うレイに、ラスティも笑顔になる。
「今日の寝癖は比較的大人しめでしたね、後頭部のここ以外はすぐに直りましたよ」
笑いながら、まだ跳ねている後頭部を濡らしてやり、ブラシでゆっくりと髪を整える。
ふわりと髪に風が吹きつけ、折れ曲がっていた髪がすんなりと元に戻る。
最近はこんな風に、ひどい寝癖もほとんど苦労せずに元に戻る。
古竜の主である彼が、いかに精霊達に愛されているのかを垣間見た気がして、ラスティは身の引き締まる思いをしていたのだった。
夜会の準備の為に早めに夕食を食べに行くルーク達と一緒にレイも食堂へ向かい、不自由な右手で若干苦労しつつもしっかりと山盛りに取ってきた料理を平らげた。
「えっと、明日も僕は一日お休みでいいんですか?」
デザートのマフィンを割りながら、果物を取って戻ってきたルークを見る。
「おう、いい機会だからゆっくりするといい。明日、もう一度指の様子を見てもらって、大丈夫そうなら残りの二日は事務仕事を手伝ってもらうよ。まあ出来る範囲で構わないからな」
親指にはまだぐるぐる巻きに分厚く包帯が巻かれていて、何をするにも不自由を感じる。
包帯についたマフィンのかけらを取っていると、それを見ていたルークが苦笑いしながら指で弦を弾く仕草をする。
「ミスリルの弦って、音は良いし長持ちするから有り難いんだけど、万一切れた時にひどい怪我をする確率が高いんだよな」
「ルークも怪我した事があるの?」
「おう、俺は左手だったからまだ良かったけど、しばらく不自由したから気持ちはよく分かるよ。俺はハンマーダルシマーで、こうやって指で弦を弾く部分があって、それを弾いていたらいきなり切れたんだよ。その時は俺一人じゃなくてハンマーダルシマーの会の皆と一緒の演奏中だったから、途中で俺は退場したんだけどさ。もう、ぼたぼた血が出て大変だったんだよ」
苦笑いしながら、左手の人差し指を示す。
「うわあ、そこも怪我をしたら大変だったでしょう」
「そうなんだよな。俺は元々右も左も使うから、ついうっかり左手で何かしようとして、何度飛び上がった事か」
ルークの言葉に、隣にいたマイリーが笑って頷いている。
大抵の人は利き腕を優先的に使うが、ルークやマイリーはちょっとした印つけや数字程度なら左手でもペンを持って器用に書いてしまう。
なので確かに、右利きの人が左手を怪我するよりは不自由を感じただろう。
「まあ、避けられない場合もあるが、怪我には注意しろよ。もともと俺達は血が止まりにくいので、当然怪我も治りにくいからな。特に指先の怪我は気をつけないとな」
「そうですね、気を付けます」
マイリーの言葉に神妙にそう答えて頷きカナエ草のお茶を飲んだ時、食堂にマークとキムが入って来るのが見えた。
目を輝かせて手を振るレイに気付き、苦笑いして一礼した二人は、山盛りの料理を持って隣の席に来てくれた。
ルークやマイリー達とも目を見交わして一礼した二人は、しっかり食前のお祈りをしてから食べ始めた。
「今から食事なんだね」
いつもの時間よりもかなり早いように思ってそう尋ねる。
「はい、今夜は警備の応援の予定が入っているので、早めに食事に来たんです」
改まった口調で答えるマークに、レイは少しだけ嫌そうに眉を寄せつつ、小さくため息を吐いてその背中を叩いた。
「そうなんだね。ご苦労様」
「ありがとうございます。ですがこれは我々の仕事のうちですから、お気遣いには及びませんよ」
マークの言葉にキムも笑っている。
竜の保養所からの帰りに遭遇した、あの不審な風に対する警戒の為、城の警備には第四部隊の精霊使いが総動員されている。それだけではなく、レイは知らなかったが夜間のオルダムの街の巡回も定期的に行われていて、当然そこにも第四部隊の精霊使いが同行している。
もうこの二週間ほど、第四部隊の兵士達は休む間が無いくらいの大忙しなのだ。
しかも警戒はオルダムだけにとどまらず、各地でも密かに行われている。だがそれほど大々的に行われているわけではないので当事者達以外はほとんど気付いてはいないが、警備の警戒水準としては最高に近い状態にまで上げられているのだ。
「じゃあ、俺達はもう戻るけど、レイルズはもう少しここにいて彼らと話をしてから戻って来いよ」
ルークにそう言われて、目を輝かせて頷く。
「それじゃあお仕事ご苦労さん。頑張ってくれよな」
ルークにそう言われて、慌てて食べていた手を止めて背筋を伸ばす二人を見て、マイリーも苦笑いしながら立ち上がった。
手を振って戻る彼らを見送り、レイはもう一度カナエ草のお茶を用意するために立ち上がった。
「なあ、さっきから思ってたんだけど、それ、どうしたんだ?」
その時、小さな声で心配そうにマークが自分の右手の親指を見せながら尋ねる。
「ああ、これね。夜会が終わったあと、懇親会で竪琴の演奏を頼まれて弾いていたんだ。その後にちょっとお酒を飲みながら竪琴をつま弾いていたら、いきなり弦が切れて指に当たってここがざっくり切れたんだよ」
親指の横の切れた怪我の部分を左の指先でなぞって見せ、驚く二人を見てレイは肩を竦める。
「思った以上にすっごくいっぱい血が出て、ハン先生に来てもらって手当をしてもらったの。一応出血は止まったんだけど、まだこんな状態でね。だから今日と明日の二日間は朝練や運動は禁止だし、夜会や会食の予定も全部お休みになっちゃったんだ」
「た、確かに……その指では弦楽器の演奏は出来ないだろうし、痛み止めや止血の薬を飲んでいるのなら、当然お酒も禁止ですからね」
「うわあ、聞いただけで痛い」
キムはそう言って心配そうにレイの右手を覗き込み、マークは顔をしかめて震えて見せた後、慌ててレイの指先にそっと自分の右手をかざした。
「癒せ」
ごく小さな声でそう言うと、突然何人ものウィンディーネ達が現れて、レイの指先を何度も撫でてはキスを贈り始めた。
「俺如きの癒しの術では、古竜の主たるレイルズ様には失礼かもしれませんが、少しでもお怪我が楽になれば良いかと思いでしゃばりました。失礼しました」
笑顔で一礼され、驚いていたレイは満面の笑みになる。
「すごいやマーク。ありがとう。ちょっと痛かったのが無くなったよ」
嬉しそうにそう言って右手の親指を見せる。
「それは良かったです。とはいえ、これはあくまでも痛みを軽くする程度で、お怪我そのものを癒すほどではありません。どうかお大事になさってください」
そう言いつつももう一度手をかざしてくれるマークに、レイは嬉しそうに何度も頷いていたのだった。




