早朝の涙と癒しの歌
震える手で膝にかかっていた毛布を掴んだレイは、何度か落ち着かせるように大きな深呼吸を繰り返した。
それから大きなため息を吐いて、まだ真っ暗な窓を振り返って小さく笑った。
「そっか、まだこんな時間なんだね……ラスティもまだ眠ってるんだ」
レイが少しでも大きな声を出したり大きな音を立てたりすると、いつだってラスティはすぐに駆け込んで来てくれる。だがこんな夜明け前の時間では、さっきのレイの大声もさすがに気が付かなかったみたいだ。
『今、この部屋には強固な結界が張られている。中の音は外には一切聞こえぬ。それこそルビーの主の皇子であっても我の許し無く立ち入る事は出来ぬよ』
ブルーのシルフの言葉に、レイは驚いて顔を上げた。
「それって……」
レイに優しく微笑んだブルーのシルフは扉を振り返った。
『まだしばらくこのままにしておいてやる。だから其方の気が済むまで泣くがいい。誰も笑ったりせぬよ』
優しいブルーのシルフ言葉に、呆然と見開いたままだったレイの瞳から大粒の涙がこぼれて落ちる。
「父さん、格好良かった……」
『ああ、そうだな』
「母さん、すごく可愛かった。父さんが、母さんを好きになったの、分かる、気がする……」
『ああ、そうだな』
「父さんと母さん、一緒にいて、すごく、すごく幸せそうだった……」
『ああ、そうだったな』
「それなのに、それなのに……」
両手で顔を覆って悲鳴のような声を上げたレイは、そのままベッドに倒れ込み、枕に抱きついて顔を隠してしまった。
そして、とうとう我慢しきれなくなり大声をあげて泣き始めた。
誰に遠慮する事も無く、高ぶる感情のままに赤ん坊のように大声をあげて泣いた。
涙は後から後からいくらでもあふれてきて、止める事が出来ない。
枕に抱きついたまま、レイは何度もしゃくり上げながら大声をあげて泣き続けていた。
ブルーのシルフやニコスのシルフ達は大声をあげて泣くレイの周りに集まり、少しでも彼を慰めようと一生懸命ふわふわな赤毛を撫でたり頬にキスを贈ったりした。
呼んでもいないのに勝手に集まってきた大勢のシルフ達や光の精霊達も、一緒になって頬や額を撫でたりして、何とか彼を泣き止ませようとしていた。
やがてようやく泣き疲れて眠ってしまい静かになったのを見ると、ブルーのシルフとニコスのシルフ達は枕に抱きついてうつ伏せになっているレイの肩をそっと押して仰向けにしてやり、真っ赤になって腫れ上がった瞼に手を当てて癒しの術を発動させた。
何度も何度も術を発動させ、少し腫れが引いたところでシルフ達が集まって来て風を送り始める。
そしてウィンディーネ達が何人も現れ、今度はレイの腫れた瞼をせっせと冷やし始めた。
ウィンディーネ達に場所を譲って下がったブルーのシルフとニコスのシルフ達は、枕の横に並んで座ると揃って癒しの歌を歌い始めた。
レイの寝息だけが聞こえる静まりかえった部屋を、ブルーのシルフとニコスのシルフ達が歌う癒しの歌が優しく包み込んだ。
『おやすみ。今は眠るがいい』
優しく呟いた光の精霊達が、次々にレイの額にキスを贈り、そのままペンダントの中へ飛び込んでいった。
「おやおや大変だ。もうこんな時間じゃあないか」
いつもの時間よりも少し遅い時間に目を覚ましたラスティは、慌てて起き上がって大急ぎで身支度を整えた。
「全く、気が緩んでいるな。気をつけねば」
軽く自分の両頬を叩いたラスティは、急ぎ足で一旦廊下へ出る。
「おはようございます」
見張りの兵士達に挨拶をしてから、廊下で待っていた執事達と今日の予定について幾つか簡単に打ち合わせをする。
資料を持って下がる執事を見送ってから、背筋を伸ばしたラスティはそっとレイの部屋の扉を開いた。
扉を開けた瞬間、何かが割れる音がして部屋に足をいれかけたラスティは、立ち止まって慌てて周りを見回した。
「どうかなさいましたか?」
突然のラスティの様子に驚いた見張りの兵士が、慌てて声をかける。
「いや、今、何かが割れたような音が……」
レイの部屋の扉は、ほんの少し開いただけで止まっている。
しばらく考えて、ようやく今のは結界が壊れた時の音だと気が付いた。
恐らく、ラピス様と何か話をしていたのだろうと思いついて納得した。
「ああ、すまない。気にしないで」
見張りの兵士にそう言って一礼すると、改めて深呼吸をしたラスティは、今度こそレイを起こすために部屋に入っていった。
「おはようございます。そろそろおきてください」
こちらに背中を向けるようにして眠っていたレイが、ラスティの声に小さな声で寝ぼけた声で返事をする。
しかしまだ目は開いていないようで、いつものごとく真っ赤な毛はあちこちに寝癖だらけだ。
「おはようございます。レイルズ様。そろそろ起きてくださらないと、髪の毛が大変な事になっていますよ」
「はあい、起きます……」
まだ枕に抱きついたままだったが、なんとかそう言って起き上がる。
眉間に皺が寄っているレイを見て小さく笑ったラスティは、そっと背中を叩いて右手の指を見た。
包帯はしっかりと巻かれていて血が滲んでいる様子はない。
「指は痛みませんでしたか?」
「うん、大丈夫だったよ。これってもう外しても良い?」
まだ眠そうな目をしながらそう聞かれて、笑いそうになりつつラスティは首を振った。
「すぐにハン先生が来てくださいますので、顔を洗う前にまずは診ていただいてください」
「はあい、じゃあ待っていればいいの?」
目を擦りながらそう聞かれて、慌てて手を押さえる。
「ああ、そんなにきつく擦ってはいけませんよ」
聞こえたハン先生の声に、レイは顔を上げた。
「おはようございます。もう痛くないです!」
「はい、おはようございます。ですが、指先の怪我はすぐに傷が開いてしまいますからね。過信は禁物ですよ」
苦笑いしつつ包帯を解くハン先生の手元を、レイは頷いて黙って見つめていた。




