精霊の記憶
「デメティル様、そろそろお時間ですよ」
掛けられた優しい声に、シルフ達と遊んでいた少女が振り返る。
母の面影があるその少女は、薄紅色で襟の詰まったゆったりとしたドレスを着ている。
腰の辺りまである柔らかな栗色の髪は、左右のこめかみの辺りの髪を長い三つ編みにして後ろへ回し、後頭部の辺りで一つに括られていた。そこにも真っ白なリボンが括られていて、大きな結び目がまるで羽を広げた蝶のように見えた。
「もうそんな時間なのね。それで今日は何のお勉強をするの?」
笑顔で立ち上がった彼女が見ているのは、初老の竜人だった。
『アルファン……』
それは、始めてオルダムに来た時、王妃様に紹介されて会った元アルカーシュの住民だった竜人のアルファンだったのだ。
仲良く手を繋いで建物の中へ消えていく二人を、レイの視線の持ち主のシルフも当然のようにその後を追った。
また視界が暗転する。
次に見えたのは、さっき見たよりも少し歳を重ねたと思われる精悍さを増した父さんの姿だった。恐らく、年齢はタドラくらいだろうか。
大柄な体には見事な筋肉がつき、以前見たあの制服を着て大小二本の剣を装着している。
同じ制服を着た数人の仲間達と何処かへ向かう途中のようだ。
視界の持ち主のシルフは、父さんの肩に座ってそのまま一緒に移動している。周りにも父さん達と一緒にシルフ達が何人も集まってきて一緒に移動している。
「なあ、あの噂、聞いたか」
「デメティル様が、ついに巫女姫の位を拝命するらしいぞ」
「そりゃあ当然だろう。何しろ神童と名高いお方だ。あのお方以外に巫女姫になれる人物がいるとは思えないさ」
「ずっと空位だった巫女の最高位だものなあ。すげえよなあ」
到着したのは休憩室のような場所で、広い机と椅子が並べられている。扉の横にあるのは、見慣れた剣置き場だ。
それぞれ剣を外してそこに置き、部屋に入った父さんと仲間達は、椅子に座って用意されていたお茶を飲みながら母さんが巫女姫の位をもらったのだと噂をしている。
しかし、父さんは笑顔で話を聞きつつも一切噂話に参加しようとしない。時折困ったように苦笑いしながら仲間達が好き勝手に言い合うのを聞いていたのだった。
「相変わらずお前は付き合いが悪いなあ。ほらこっちへ来て、昨夜の神殿でのご様子を教えてくれって」
「特に何も変わらないよ。お前らだって全部知っているだろうが」
「それでも聞きたいんだよ。デメティル様は俺達の女神様なんだからな」
揃って頷く仲間達に、誤魔化すように笑った父さんは大きな欠伸をした。
「ちょっと寝るよ。時間になったら起こしてくれ」
そう言って立ち上がると、部屋の窓際に置かれた大きなソファーに横になった。置かれていたクッションを抱えて寝転がる様は、まるで自分を見ているようでレイは思わず笑ってしまった。
すぐに寝息を立て始めた父さんを見て、仲間達は苦笑いして首を振るとまた飽きもせずに噂話を始めたのだった。
眠る父さんの胸元やクッションの隙間には、何人ものシルフ達が楽しそうに寄り添って眠るふりをしていた。
レイのシルフも、父さんの真っ赤な硬い髪に潜り込んで一緒に眠るふりを始めた。
また視界が暗転する。
次に見えたのは、笑顔で手紙を読む母さんの横顔だった。
先程のような幼い感じはもう無く、クラウディアよりも少し年上になっているように見える。
身につけている服装も、以前の過去見で見たような真っ白な服に変わっている。
いつもクラウディア達が着ている巫女服にも似ていた。あれが恐らく巫女姫の為の服なのだろう。
手紙を読み終えた母さんは、ゆっくりと手紙をたたみ封筒に戻した。
そしてそのままその封筒を胸に抱きしめる。
「嬉しい……お返事をくださったわ」
そう呟いてそっと封筒にキスを贈った。
そして唐突に真っ赤になって、机に突っ伏した。
「お願い。絶対に誰にも見つからないように隠してね」
目の前に現れたシルフにそう頼むと、引き出しの中から小箱を取り出してそこに手紙を入れた。
また視界が暗転する。
次に見たのは、父さんと母さんが仲良く寄り添っているところだった。
お互いの肩を抱き合い、そっと顔を寄せる。
これ以上無いくらいの幸せそうな笑顔に、レイは堪らなくなる。このあと、二人を襲う運命を思って涙がこぼれそうになる。せめて追っ手がかかる事を伝えたくても、夢に声を届ける事など出来る訳も無い。
幸せそうな二人を残してシルフが目を閉じる。
その後に次々と流れていく場面は、どれも父さんと母さんの笑顔であふれていた。
そして二人の周りにいる人達もいつも笑顔だった。
また視界が暗転する。
『どうだ?』
暗転した真っ暗な視界の中で突然話しかけられて、レイは驚きのあまり飛び上がった気がした。
『ええ、ブルー?』
真っ暗なはずのそこにいたのは、いつものブルーの使いのシルフだったのだ。
『其方の意識を追いかけて夢の中に入って来た。まあ普通はこのような事は出来ぬ。これは我が主である其方だから出来た術だな』
優しいその言葉に、レイも笑顔で頷く。
『見てくれた? 父さんも母さんも、とっても楽しそうだね。幸せだったみたいだ……』
『ああ、そうだな……』
二人を襲う、この後の過酷な運命を思って二人とも言葉が無かった。
『ああ、また何か見えたよ』
レイの言葉と共に、また見える場面が変わる。
どうやら、父さんと母さんが駆け落ちした直後らしく、突然姿を消した二人を心配して、神殿や父さんの仲間達の間では、もうそれは大変な大騒ぎになっていた。
結局、残されていた二人の置き手紙が発見されて、駆け落ちの事実が発覚したのだった。
すぐに捜索隊が派遣されたが、いくら探しても、二人の行方を見つける事は出来なかった。
『この後は其方の知る通りだ』
『追手と戦いお父上は亡くなられ』
『お母上は傷心を抱えて時の繭の中で長い眠りにつかれた』
また暗転した真っ暗な視界の中、現れた光の精霊達がレイに話しかける。
隣ではブルーのシルフも真剣な顔で話を聞いている。
『だが其方にはもう一つ見せよう』
『これは我らの友らが見た事実』
『痛ましき事実』
『許し難き暴挙』
光の精霊達の言葉には怒りがこもっていて、驚いたレイが精霊達の視線を追って慌てて振り返る。
そこに広がっていたのは、美しかったアルカーシュの街と神殿が、燃え盛る炎に包まれる様子だった。




