ニコスとの語らい
その夜、ルークと別れて部屋に戻ったレイだったが、もう遅いからと言われて湯を使ってお休みの挨拶をしてベッドに入った後も、なかなか寝付けずにいた。
それでもしばらくは何とか眠ろうと無駄な努力をしていたのだが、結局いつものような穏やかな眠りは全くと言っても良いほどに訪れてはくれず、レイは諦めの大きなため息を吐いてゆっくりと起き上がった。
『眠れないか』
現れたブルーのシルフの言葉に、レイは無言のままで小さく頷いた。
ベッドの横に置かれていた綿兎のスリッパを履いて、もう一度大きなため息を吐いたレイは黙ったまま窓辺に向かった。
カーテンを開いて窓を大きく開く。
よく晴れた空には、今夜も一面に星が輝いている。
黙ったまま、スリッパを脱いで窓によじ登り足を外に出して座る。
心配そうにこちらを見上げている見回りの兵士に手を振り、手を振り返してくれた事を確認してから改めて空を見上げた。
そのまま窓枠にもたれるようにして無言で空を見上げる。
膝の上にはブルーのシルフが、両肩と頭の上にニコスのシルフが現れて座り、一緒になって黙ったまま星空を見上げていた。
「ニコスなら、ニコスなら今夜の事、どんな風に考えるんだろう……」
消えそうな小さな呟きに、ブルーのシルフが顔を上げる。
「呼んでやろうか? 彼ならば今、部屋に一人でいるぞ」
「もう寝てるんじゃない?」
夜空を見上げたままの呟きに、ブルーのシルフは首を振った。
「いや、今湯を使って部屋に戻ったところだ。水を飲んでいる」
小さなため息を吐いたレイは、だまったまま頷いた。
『おやどうしたね?』
レイの膝の上に何人ものシルフが現れて座り一斉に彼を見上げる。
先頭の子がニコスの声で話し始めた。
「遅くにごめんね、ニコス。ちょっと……声が聞きたくてね……」
いつもと違う、あまりにも小さな頼りない声に、ニコスのシルフが驚いたように目を見開く。
『構わないよ』
『そんな事で遠慮なんかするな』
『……何かあったか?』
『大丈夫か?』
無条件で受け入れて自分を心配してくれるその声に、レイは不意に込み上げてくる涙を抑えきれなかった。
ポロポロと、大粒の涙がレイの頬を転がり落ちる。
『おいおい何があったんだ?』
『俺で良ければ話くらいいくらでも聞いてやるよ』
『いいから言ってごらん』
泣いている事まで伝わったらしく、慌てたようなその声にしゃくり上げながら何度も頷く。
「あのね、あのねニコス……今夜、夜会でね……」
堰を切ったように話し始めたレイを見て、ブルーのシルフが外に声がもれないように黙ってその場に結界を張ってくれた。
話し始めたら止まらず、会場であった事、ラフカ夫人達の事、ローザベルの事、彼女に袖を引かれ、更にはシルフにまで手を叩かれてこぼしてしまったワインに何が入っていたか、そしてそれを飲んではいけないと言われた事。大喝采をもらった歌の直後の、ラフカ夫人の狂態とその叫び。ミレー夫人がローザベルをこっそり連れて帰ってくれた事。
そして本部へ戻って来てからのルークとゲルハルト公爵との会話。
しゃくり上げながら、レイは今夜の事をニコスに思いつくままにひたすら話し続けた。
泣きながら話すそれは、話の内容や時系列は前後するし、彼の感情と客観的な視線が入り混じり、はっきり言って支離滅裂だった。
恐らくニコス以外の人が聞けば、さっぱり分からないような話し方だっただろう。
しかし、そんなレイの話をニコスは黙って時折相槌を打つだけで、彼の気が済むまでひたすら聞き返す事も無く聞き続けた。
「だって、僕、何が、起こって、るか、なんて、そん、な、の、全然、知ら、な、くて……」
涙はいくらでもあふれてきて、レイのズボンに幾つもの染みを作っている。
泣きながら思いつくままに延々と話し続け、ようやっと全部話し終えた頃には、止まった涙も乾き始めていた。
「ご、ごめんね。全然、僕の話、分からなかったでしょう……」
少し落ち着いたレイは、先程までの自分の様子を思い出して違う意味で焦っていた。
実は、ブルーの使いのシルフがニコスのところへ行っていて、レイのまとまらない話を時折通訳しながら事の顛末を詳しく説明していたのだ。
しかし、レイの話を途中まで聞いたところで、ニコスはレイが知らないであろうローザベルの裏事情まで、ほぼ正確に予想していた。
『そりゃあ災難だったな』
『お助けくださったミレー夫人や』
『イプリー夫人に感謝しないと』
『ルーク様に聞いてしっかりとお礼をしておくんだぞ』
あえて軽い口調で言ってくれるニコスに密かに感謝しつつ、レイは何度も頷く。
『あのなレイ』
改まったその口調に、レイは居住まいを正す。
『今回の件は本当に災難だったとしか言えない』
『お前と相手の御令嬢に被害がなくて本当に良かったよ』
『だけどルーク様が恐らくおっしゃっておられるだろうけど』
『そんな風に相手を貶める事で自分の優位を保とうとする奴なんて』
『貴族には普通にいるよ』
『だから俺からはこうとしか言ってやれない』
『そんな馬鹿の相手を本気でする必要は無いってね』
肩を竦めるニコスの様子まで、伝言のシルフが伝えてくれる。
そしてその後にニコスから言われたのは、夜会が始まる前にマイリーとルークから聞かされたのと同じで、価値観の違う人とでも、にこやかに表面上の付き合いが出来るようにならなければ、と言う話だった。
「やっぱりそうなんだ」
大きなため息とともにそう呟いたレイは、眉を寄せて空を見上げる。
「そんなの、僕に出来るかな……」
自信無さげなその呟きに、伝言のシルフは困ったように笑う。
『誰に対しても誠実であろうとするお前の態度は』
『本当に偉いと思う』
『そんなお前を俺は心から誇りに思うよ』
『だけど人との付き合いにはどこかで線を引かないと』
『何かあった時に必要以上に傷付くのはお前の方だよ』
心配そうなその言葉に、レイも小さく笑って首を振った。
「うん、確かにそうだね。だけど、考えたんだけど、やっぱり僕は誰に対しても誠実でありたいと思う。また傷付いて泣くかもしれないけど構わない。だって、それでもそれが僕の正義だと思うから。嘘をつく自分の行動に納得出来ないなんて嫌だもの」
相手がどんな人であれ誠実に向き合い、仮に自分が傷つく事があったとしても、それが自分の正義だから構わないのだと言う。
『お前は強いな』
優しいニコスの言葉にレイは笑って首を振った。
「違うよ、臆病なだけ。自分に嘘をつきたくないから意地を張ってるだけだよ」
『臆病って言葉の意味について』
『一度ゆっくり話したほうがよさそうだな』
『どうやら俺達の間に大きな齟齬が認められるぞ』
笑ったニコスの声に、レイも声をあげて笑う。
「ええ、そこは大丈夫だと思うけどなあ」
もう一度ため息を吐いて空を見上げる。
いつの間にか、胸の中にわだかまっていたもやもやとしたよく分からない塊はすっかり無くなっていた。
大きく深呼吸をしたあと、空を見上げたレイは笑って伝言のシルフを見た。
「ねえ、ニコス。窓を開けて外を見られる?」
急に話が変わっても、ニコスは平然と笑って答えてくれた。
『ああ今も話をするのに窓を開けて』
『窓枠に伝言のシルフ達を座らせてる』
『綺麗な星がたくさん見えているよ』
その答えに笑顔になったレイは、ニコスの部屋から見える星座や星について一生懸命説明を始めた。
先程までとは違う嬉々としたその様子に、同じ星空を見上げながらニコスも笑顔でレイの詳しい解説を聞いていたのだった。
伝言のシルフ達だけでなく、蒼の森の石の家から星空を見上げるニコスの周りにも、そしてオルダムの本部の窓に座って星空を見上げるレイの周りにも、呼びもしないのに何人もの大勢のシルフ達や光の精霊達が集まって来て、一緒になっていつまでも楽しそうに星空を見上げていたのだった。




