嬉しいお弁当と王都への帰還
夢中で目の前の岩盤を掘り続けていたギードは、ノームに足を叩かれて我に返った。
「おお、どうなされた?」
さすがに疲れを感じ、ツルハシを下ろして段差のある岩に座り込む。
『友から食べ物が届いたぞ』
『腹が減っておろう』
『ここは我らに任せて食べるが良し』
『食べるが良し』
それを聞いて、ギードは嬉しそうに笑った。
「おお、それは有難い。ならば遠慮無く休ませてもらいますぞ」
そう言って、その場にツルハシを置くと、ゆっくりと立ち上がった。
「さて、この前食ったのは何時であったかの……」
大きく伸びをして、一つ欠伸をした。
ギードはいつも、掘り始めると、時間を忘れて夢中になってしまい寝食を忘れる。
以前、夢中になるあまり、何日も飲まず食わずで岩を砕いていたら貧血を起こして倒れ、酷い目にあった事がある。数日程度なら、飲まず食わずでも平気な体力があった為に、無理が出来てしまったのだ。
それに懲りて以来、掘り始める前には、丸一日経ったら必ず教えてもらうようにノームに頼んである。
更に、長丁場になりそうな時は、あらかじめ家のニコス達に伝言を頼んで追加の食料を届けてもらっている。水はあっても、食料が尽きてしまっては、さすがの体力自慢のドワーフでも動けなくなるからだ。
掘っていた横穴の入り口横には、大きな窪みが作られてあり、そこが現在のギードの住居兼休憩場所になっている。
大きな板の上に置かれた寝袋と折りたたみ式の机と椅子、小さな水汲み場と簡易の竃があるだけの、簡単な部屋だ。
入り口近くまで戻れば、もっとちゃんとしたベッドや、広い水場や台所のある部屋が作られてあるのだが、そこまで戻るのが時間の無駄なので、殆ど使った事は無い。
机の横には、布で包まれた箱と、幾つもの袋が積み上がって置いてあった。
「さて、何を作ろうかの」
そう言って豆の袋を手に取ったら、横の箱の上に水の精霊が現れてギードに手を振って呼んだ。
『こっちこっち』
「おや? 姫がおるという事は……」
箱を包んでいる結び目を解き、蓋を開けた。
「おお、さすがはニコス、よく分かってくれておるわい」
箱の中には、分厚いハムや薫製肉、玉子や野菜をたっぷり挟んだパンが、ササの葉に包まれてぎっしりとならんでいた。下の段には、肉と野菜を中心に、栄養を考えられたおかずが、これまたぎっしりと詰められている。
ギードのお腹でも、これだけあれば三食分は余裕である。
「持つべきものは、料理上手の友だな」
嬉しそうにそう呟くと、ササの葉を剥いてパンに噛り付いた。
「これは美味い。ニコスの作る飯は本当に美味いのう」
何度も頷くと、あとは黙々と食べていった。
「これ、美味しいね」
よく晴れた青空の下、敷布に広げたお弁当を、満面の笑顔で食べるレイに、二人も笑顔になる。
「レイは、この生ハムを挟んだのがお気に入りだよな」
ニコスが嬉しそうにそう言って、生ハムを挟んだパンの包みをレイに渡した。
「これって確か、作るのすごく大変だったお肉だよね」
レイが、食べながらしみじみと呟く。
「生ハムは、手間がかかるからな」
「大した事はしてないんですけどね。肉が大きかったから、塩漬けするのも塩抜きするのも大格闘でしたよね」
ニコスとタキスも、笑いながら頷いている。
「ま、美味いものを食べようと思ったら、それなりに苦労しなきゃな」
「そうですね。確かにその通りですね」
「僕は働くのは楽しいから、大変でも全然平気だよ」
「頼もしいな。頼りにしてるぞ」
野菜を小皿に取ってやりながら、ニコスは嬉しそうに笑った。
「あ、ブルーだ!」
パンを食べていたレイが、上を向いて手を振る。空から、すっかり見慣れた大きな影がゆっくりと側に降りて来た。
「食事をしておるのか。レイは今日もしっかり食べておるか?」
座っているレイの背に、頬摺りしながら尋ねる。
「このパン、三つ目!」
胸を張ってそう言うレイに、タキスが笑う。
「しっかり食べるのは良い事ですが、お腹と相談して食べてくださいよ」
「大丈夫! ご飯が終わったら、ニコスと格闘訓練するって約束だもん」
笑って話す言葉はまだまだ子供だが、身体つきはもう少年のそれでは無い。
やや声変わりの始まったレイは、ここに来た頃とは別人のように、大きく立派な青年になった。
急激な背の伸びに伴う成長痛で、この冬の間は眠れない事も多かったし、身長の伸びに横の成長が間に合わず、ややひょろ長い印象だったのだが、春以降、ようやく運動の効果が出て来たのか、しっかりとしたバランスの良い筋肉が全体について、大人の身体つきになって来た。
それと同時に、自分の体の状態を把握する事が上手くなったようで、各種訓練も、目覚ましい伸びを見せている。
ブルーは嬉しそうに側に座ると、もう一度頬擦りしてから丸くなった。
主の笑顔を見ているだけで、こんなにも幸せになれる自分が我ながら可笑しかった。
北の砦では、竜騎士達が王都への帰還の準備をしていた。
結局、タドラだけで無く、あの後、ルークまでもがまたしても寝込むことになり、砦の皆を心配させた。
ヴィゴは、補修中の西の古砦と、この砦を何度か行き来しているだけで、あれ以来、蒼の森には近付いていない。
ヴィゴの放った高位のシルフは、数日後の夜に無事に戻って来たが、結果は分からないのだと言う。
『ここのシルフに伝言を頼んだの高位の子がいたから大丈夫』
ヴィゴの腕に座って話すシルフに、ヴィゴは頷いて言った。
「なら、お前は直接はこの森の古竜には会えなかったのか」
『うん蒼竜様には会ってもらえなかったの』
「そうだったのか。構わん、お前が無事で良かった。ご苦労だったな、指輪に戻ってゆっくり休んでくれ」
悲しそうに言うシルフを慰めて、指輪に戻ってもらった。
「……やはり、古竜か……」
シルフが指輪に戻ったのを確認してから、呻くようにそう言うと、ヴィゴは両手で顔を覆って机に突っ伏した。
シルフは、竜の位については無意識に理解する。彼女らには、どちらが高位の存在なのか、即座に分かるのだ。
なので、仮に若竜を見てこれが成竜だと言うと、それは違うと、必ず言う。しかし、逆の場合は間違いを言わない。理由は分からないが、必ずそうなのだ。
なので、先程ヴィゴが古竜に会えなかったのか、と、言った時、もしも件の竜が老竜ならば、必ず、違うと言うはずだったのだ。それを期待して、敢えて古竜だと言ったのに、彼女は否定しなかった。
「蒼竜……そうか、古竜は青いのか。やはりマイリーの言う資料に残っていた、過去に我が国で一度だけ主を得た竜がいたと言うのは、ここの竜の事だったのだな。しかも、老竜では無く古竜……」
しばらく無言で考えをまとめていたが、ようやく顔を上げた。
「これほどの話を、シルフを介して言うのは危険だな。仕方ない。これは王都に戻ってから、直接報告するか」
緊張を解すように、何度か肩を回し大きく伸びをした。
翌日、ようやく完全に回復した二人と共に、やや遅めの朝食を取ってから王都へ帰還することにした。
「先行している、第四部隊の方達と、丁度同じ頃に王都に着きますね。我々もすぐに後を追って戻りますので、どうかそれまで無理はしないように」
苦笑いしながら言うハン先生に、タドラとルークは頭が上がらない。
「大丈夫ですよ。今のところ、急ぎの案件はありませんからゆっくり戻ります」
ヴィゴが笑ってそう言うと、ハン先生も安心したように頷いた。
中庭には、三頭の竜が鞍を乗せた状態で主人が出てくるのを今か今かと待ち構えていた。
「お待たせ。さあ行こうか」
ルークが白竜のパティの首を叩いて額にキスをした。
「シリル、帰りはゆっくりで良いからな」
ヴィゴが笑って言うと、紅竜シリルが嬉しそうに喉を鳴らしながらヴィゴの大きな身体に頬擦りした。
「ベリル、本当にごめんね。もう大丈夫だから」
タドラは、擦り寄ってくるベリルの頭を抱きしめて、何度も額にキスをした。
それぞれに、竜への挨拶をすませると、軽々とその背に乗った。
「それではお世話になりました。これにて、王都へ帰還いたします」
ヴィゴが騎上から挨拶する。
現在の砦の司令官であるマーティン大佐を始め、多くの兵士たちが見送りに出ている。
「回復されたようで安心しました。それでは、無事のご帰還を!」
兵士たちの敬礼に見送られて、ゆっくりと上昇する。
挨拶するかのように、何度か砦の上空を旋回してから東の方角へゆっくりと飛び去って行った。
「行ってしまわれましたね」
見送りに出ていたジルが、ちょっと寂しそうに言った。
「さて、それでは我々も出発しましょう。こちらは地面を行きますから、また六日がかりの行程ですよ」
「ラプトルに乗れるだけ、良いと思っておきます」
二人は顔を見合わせて笑った。
初夏の日差しが、竜のいなくなった中庭を照らしていた。




