予想と計画
夕食を済ませた一同は、食堂にいた兵士達が見送る中、和やかに話をしながらタドラのいた医療棟の部屋へ戻って行った。
部屋へ戻り扉を閉めた瞬間、ヴィゴとルークが左右からタドラを抱えて支えた。今にも倒れそうで顔面蒼白になったタドラは、両手で口を押さえている。
「待て待て、まだ吐くなよ」
抱えたまま、急いで洗面所へ連れて行く。
入り口でハン先生とジルに交代して、そのまま二人がタドラを抱えて中へ入って行った。
「無茶をする。いくらなんでも意識が戻って間も無いと言うのに……」
「食堂へ入って来た時には、本気で目を疑いましたよ」
ヴィゴとルークは、顔を見合わせて同時にため息を吐いた。
「しかし、皆はこれで安心したようだな」
「まあ、上手く行ったんなら、無理した甲斐があるってもんです」
肩をすくめるルークに、ヴィゴも頷いた。
その時、後ろから医療班の助手の一人が声をかけた。
「失礼します。お食事中にマイリー様から連絡がありました。戻られたら連絡を取るようにとの伝言です」
二人は顔を見合わせた。
「さっき連絡を取ったばかりなのにな。何かあったなら緊急連絡が来るだろうに、一体何事だ?」
「どうします? タドラが戻ってからにしますか?」
無言で洗面所をみて、もう一度顔を見合わせて、二人揃って首を振った。
「シルフ、マイリーを呼んでくれ」
ヴィゴがベッドサイドに置いてあった椅子に、ルークは丸椅子を持って来て隣に座った。
しばらくすると、シルフ達が何人も現れてヴィゴの膝に並んで乗ると一斉に顔を上げた。
これは、詳しい話をしたい時に軍でよく取られる手法で、複数の対になったシルフに、順番に短い言葉を言わせる事で、長い話を分かりやすく伝えられる、長い言葉を覚えられないシルフの特徴を、逆に利用しているやり方だ。しかし、これが使えるのは高位の精霊使いだけだ。
『一人か?ヴィゴ』
「いや、隣にルークがおります。タドラは……その、休んでおります」
それだけで向こうは察してくれたらしく、そのまま本題に入る。
『気になることがあってそちらにも知らせた方が良いのではないかという事になった……』
複数のシルフ達が順を追って話す内容に、二人は息を飲んだ。
「ろ、老竜に主がいるかも知れぬですと!」
「しかも、竜熱症の発症まで、それ程時間が無い可能性が高いって……冗談だろ! いや、お願いだから冗談だって言ってください!」
ヴィゴは、呆然とシルフを見つめたまま固まってしまった。ルークは、ヴィゴの太い腕にしがみついている。
『そう言ってやりたいところだがどう考えてもその結論に辿り着く』
『なんとしてももう一度森の住民達と接触してくれ』
『我らを信用してもらい』
『出来る事なら主と接触して欲しい』
「いや、それは危険ですよ。絶対、あの老竜が黙ってませんって」
あの威圧感を思い出したルークが、必死で首を振る。
「しかも肝心の老竜は、三百年森に引き篭もっていた為に、問題の竜熱症そのものを知らない可能性が高い。仮に、森の住民にカナエ草の薬やお茶を渡せたところで、飲んでもらえるとは確かに思えないな」
ヴィゴも頭を抱えている。
「でも、せめて竜熱症が人間にとって非常に危険で、治療が絶対に必要な病だって事は知らせないと……」
二人揃って唸り声をあげて上を向く。
「駄目だこれ。完全に詰んだぞ。どうすりゃ良いんだよ」
ルークが、頭を抱えて椅子からずり落ちた。
『全く同じセリフを既にロベリオに言われてるぞ』
「うう、それなんか悔しい」
冗談混じりにそう言って立ち上がったルークが、そのまま口元に手を当てて無言になった。
「どうした?」
「ええと、ちょっと思いついたんですが、無謀かな? いやでも……」
しばらく俯いて何かを呟いていたが、考えがまとまったらしく顔を上げた。
さっきまでのふざけ半分の顔とは別人のような、竜騎士の顔がそこにあった。
「無謀かも知れませんが……これならば、竜熱症の危険について、老竜に知らせる事の出来そうな方法を思いつきました」
『言ってみろ』
「俺達が森にいる時、老竜は確実に俺達の事を監視しています。それは絶対に間違いありません。なので逆にそれを利用します。俺とヴィゴの二人で森の上空へ行き。確実に聞いているであろう時に、竜熱症について二人で話せば良い。間違いなく奴の知らない話ですから食いついてくるでしょう。ましてや、自分の主の命に関わる話です。向こうから接触してくれれば大成功。接触は無理でも、森の住民に何かあった時に我々を頼るように伝えておけば、奴も、考えるのでは?」
「しかし、信じてもらえず一方的に攻撃される可能性もあるぞ。何を馬鹿な事を言っていると思われて……」
「危険は承知の上です、だから無謀だと言ったんです。でも、それなら他に方法がありますか?老竜を説得し、恐らく何も知らないであろうその主を守る方法が」
ルークの言葉にヴィゴが沈黙し、頷いた。
「確かに、それなら確実に奴の耳に入るな……やってみる価値はありそうだ」
『しかし危険だぞ』
「なれど、このまま放置したところで事態の悪化を招くだけです。犯す価値のある危険ならば、ここは迷うべきではありません」
『しかし……』
マイリーの心配そうな言葉を遮って、ヴィゴは言い切った。
「明日、先に例の森の住民の所へ行ってみます。彼らが我々の話を聞いてくれるならば、まず最大の問題は解決します。手持ちのカナエ草の薬とお茶を渡し、主に飲ませてもらいましょう」
「それが駄目なら、俺の発案の森の上空での噂話ですね」
「それからもう一つ、それとは別にやってみたい方法があります」
その声に、別のシルフがヴィゴの肩に座った。
「彼女は、故郷から私について来てくれた馴染みの上位のシルフです。恐らく彼女ならば、この森でもある程度は自由に動けるでしょう。彼女に老竜への伝言を託します」
ヴィゴの肩に座ったシルフは、やや濃い色をしていて、他のシルフ達とは少し違った姿をしていた。それは以前、ニコスの指輪から出て来たシルフとよく似ていた。
「内容は……我々、ファンラーゼン王国の竜騎士及び全ての兵士は、精霊竜に対する畏怖と畏敬の念を抱いている事。今回の訪問及び派兵はあくまでも調査の為であって、あなたの生活を脅かす意図は無い事。そしてどうか、人心を騒がせる事なく、今後もこの森で穏やかに暮らされる事を望みます、と」
『良い案だと思う』
『そちらは任せるので上手くやってくれ』
「了解しました。明日の結果は、また報告します」
『十分に気を付けて行動してくれ』
これで話は終わりかと思ったが、また別のシルフが話し始めた。
『それから修復中の第九十九番砦には大至急一個中隊の派遣を提案した』
『準備が出来次第そちらへ順次出発する予定だ』
それを聞いたヴィゴが、苦笑いして首を振った。
「それは心強いですが、老竜相手に何か出来るとは思えませぬな」
『それは無理な話だ当てにするな』
『あくまでも監視の目を増やす為の派兵だ』
マイリーに断言されて、二人は納得した。
「確かに監視の目は多い方が良い。ただし砦の兵には、絶対に竜に手出しせぬよう厳命を」
『それは当然だそれでは明日の作戦の成功を祈る』
「了解です。それでは以上」
『期待している以上』
シルフ達が次々と消えていくのを二人は見送った。
「何やら大ごとになって来ましたね。まさか主の存在の可能性があるとは」
後ろで聞いていたハン先生が、ため息を吐いてそう言った。
「盲点でしたな。でも、確かに主がいたと考えれば、急な老竜の活動の再開にも納得がいきます」
ヴィゴの言葉に、部屋に沈黙が落ちた。
「それはそうと、タドラの具合は?」
気分を切り替えるように、ルークが尋ねる。
「ええ、もう大丈夫ですよ。無理は承知でしたからね。吐いて倒れるのは予想の範疇です」
「分かるけど……それを許可しちゃう先生が怖いよ」
ヴィゴの後ろに隠れる振りをしながら、ルークが苦笑いしている。
「止めたところで、あなた方は必要だと思ったらどんな無茶でもするでしょう?」
そんなルークの額を叩いて、ハン先生はニッコリ笑った。でもその目は笑っていない。
「それなら、私の仕事は無意味に騒いで止めることでは無く、そんなあなた方が無茶をしても絶対に死なないように後ろで確実に支える事です」
「うう、頼りにしてます先生」
ルークが、完全にヴィゴの後ろに隠れて笑いながらそう言った。
「出来たら、そういう言葉はちゃんと目を見て言ってほしいですね」
悪乗りしたハン先生が、ルークを突きながらさらに笑みを深める。
「ああ、駄目だ。俺も具合が悪くなって来た……」
ヴィゴの背中にしがみついて、頭を抱えた。
「何を戯れておるか。ルーク、お前は今日はもう休め。明日の朝食の後、作戦決行だ」
「了解です。先生、そう言えば、俺はもう部屋に戻っても良いんでしょ?」
ルークの質問に、ハン先生は首を振った。
「いえ、まだ貴方も、もう一晩は念の為ここにいてください」
ルークは何か言いたそうだったが、諦めて上着を脱いだ。
「大丈夫なんだけどな……でもまあ了解です。じゃあ大人しくもう今日は休みます」
慌ててジルが側に来て、上着を受け取る。
「それじゃあ、俺も部屋へ戻ります。ゆっくり休めよルーク」
ヴィゴが立ち上がって伸びをした。
「ヴィゴもしっかり休んでください。そう言えば、王都からここまで、どれくらいで来たんですか?」
何の気無しの質問だったが、答えを聞いたルークは脱いだ服を落とした。
「知らせを聞いて出発したのは、二点鐘の鐘が鳴った後だったぞ。ここに到着したのは確か……」
「六点鐘の鐘が鳴るかなり前でしたね」
ニッコリ笑ってハン先生がそう言った。
「へ? 王都からここまで……三刻?」
「ええっ! ご冗談を!」
ルークとジルの二人が悲鳴をあげた。
「その気になれば、そんなもんだろう。まあ、シリルにかなり無理をさせたがな。ちなみに俺のシリルより、マイリーのアメジストの方がもっと速いぞ」
得意気に言うヴィゴに、二人は声も無かった。
「同じ成竜でも、こんなに違うんだ……すごいな」
ルークの呟きに、ヴィゴは笑った。
「無駄に年取って無いって事にしといてくれ。俺も、シリルもな。それじゃあお休み」
荷物を持って、手を振って部屋を出ていくヴィゴに、担当の第二部隊の兵士が付き添った。
それを見送ったルークとジルは、無言で顔を見合わせた。
「王都からここまで三刻……」
「それで、平然としてるって……」
「化け物か!」
最後の言葉は、二人の口から同時に出た。




