格闘訓練と墓参り
ギードが鉱山を後にして、森を抜けて急いで皆のいる草原へ戻った時、そこにいたのは、片付けを終えて毛布にくるまり、敷布に転がって穏やかな顔で昼寝しているニコスの姿だった。
毛布の上と、頭の上にまとめられた包みの上には、シルフ達が座って寝るふりをしている。
「レイは、また戻っとらんのか」
ほっとして敷布の端に座り、珍しくぐっすりと眠るニコスを見た。
「皆それぞれに、まあ色々あるわい。それでも、生きてさえいれば、案外何とかなるもんだ」
よく晴れた青空を見上げて、ギードは独り笑った。
「あ、僕らが一番最後だよ」
陽気に誘われてうとうとしていると、ラプトルの草を踏む音と一緒に、元気な声が聞こえて来た。
「お帰り。落ちずにベラに乗れたか?」
ギードがほっとして起き上がり、伸びをしながら聞くと、レイが笑いながら舌を出した。
「ちゃんと乗れたよ。もうどんなラプトルでも乗れるもんね」
そう言って、軽々とベラから飛び降りた。
「ほう、確かに上手くなったな」
笑って言った時、レイのズボンの膝下に薄っすらと土が付いているのに気が付いた。
「レイ、これはどうした?」
ノームの慌てぶりを思い出して、思わず尋ねる。
「えっと、ちょっと……転んだの」
下を向いて、誤魔化すようにもごもごと言う。
「えっ? どこですか、見せてください」
タキスが驚いたように言うと、慌てて側に来て膝をついた。
「あの、えっと……」
ズボンを捲り上げると、両の膝小僧の下に青あざが出来ていた。
「レイ、これは何ですか?」
「えっと、何だろうね」
真顔のタキスの問いに、誤魔化すように笑って頭をかく。改めてよく見ると、両の掌にも泥がついて赤くなっている。
「転んだんですね」
「えへへ」
ギードの陰に隠れて、タキスの視線から逃げる。
「笑って誤魔化さないでください。言いましたよね、何かあったらちゃんと言ってくださいって」
「もう大丈夫だもん」
ギードを真ん中にして、二人はぐるぐると回る。
「何をしとるか」
逃げるレイを、笑って後ろから捕まえる。
その瞬間、その手をすり抜けたレイは、振り返ってギードの肩に手をかけ、そのまま一気に肩に飛び乗って背中側に飛び降りた。
「やった! 逃亡成功」
呆気にとられる二人を置いて、ニコスの所まで走った。
「ここは安全地帯だもんね」
賑やかな声に目を覚まして、何が何だかわからずに驚いているニコスに、後ろから抱きついた。
「おかえり。一体何だ? なんだか皆で楽しそうな事してるな」
抱きついたレイの手に自分の手を重ねて、ニコスは笑った。
「助けてニコス、二人が僕をいじめるの」
ニコスの後ろに隠れて、レイが笑いながらそう言った。
「それは大変だな……じゃあ、諦めろ」
そう言った瞬間、敷布の上にひっくり返されたレイの体は、簡単に、座っていたはずのニコスに押さえ込まれていた。
「えっと、今何が起こったの? 僕、投げられた記憶無いんだけど……」
「おお、久しぶりに見たな。ニコスの隠し投げの技」
ギードが大喜びで手を打った。
「凄い! 今何をしたの!」
腹筋だけで起き上がり、そのまま立ち上がる。
「お願い! もう一回!」
飛び跳ねながら、ニコスに飛びついた。
「だから、駄目だって」
笑いながら、しがみついてくるの手を取ったニコスは、次の瞬間、肩越しに軽々とレイを投げ飛ばした。
投げる時に最小の動きで、しかも自分の側に引き寄せているため、投げられた方は、何が起こったか分からないうちに投げられているのだ。
「はい、レイの負け」
やっぱり分からなくて呆然としていると、眉間と喉元に指を当てられた。
「仰向けにされた時、ここが一番無防備になる急所。ここを打ち込まれたら一巻の終わりだぞ。そうならない為に、投げられたら、直ぐに左右どちらかに転がって体を起こす事。分かったか?」
「うん!」
即座にそう言って、言われた通りに右に転がる。
横から手を出してくるギードと咄嗟に組みあい、そこから突然の格闘訓練が始まった。
タキスが、慌てて荷物の包みを脇へ寄せ、暴れても大丈夫な場所を開ける。
レイとギードとニコスの三人は、いつも乱戦の設定で練習している。三人それぞれ誰が味方と言う訳では無い。必要に応じて、第三者を利用しながらもう一人と組み合う。かなりの反射神経と動体視力、そして当然運動神経と咄嗟の判断力も問われる。
「相変わらず、皆すごいですね」
右に左に入れ替わりながら組み合う三人を見て、感心して小さく呟いた。
避けた荷物の横で、畳んだ敷布に座って観戦を決め込んだタキスは、レイの動きがいつもより少し鈍い事に気付いた。
そろそろ止めようと立ち上がった時、ギードの腕を取って懐に入ったレイが、投げの体勢に入りそのまま一気にギードを投げ飛ばした。
ただ、勢い余って自分もそのまま吹っ飛んだのはご愛嬌だろう。
「やったー! ギードを投げたぞ!」
地面に重なるように転がったまま、レイは大声をあげて両手を突き出した。
「おお、ついに投げられましたな。これは見事だ。素晴らしや」
「すごいな。こんなに簡単にギードを投げられるようになるとはな」
ニコスも満面の笑顔で、倒れているレイの手を取った。
「やった! 目標達成!」
笑ってそう言うと、起き上がってニコスに抱きついた。
ニコスも遠慮なく抱きしめる。
「凄いぞレイ、まだまだこれから先どれだけ強くなるのか、本当に楽しみだよ」
「ありがとう。もっと頑張るから、たくさん教えてね」
弾けるような笑顔で、もう一度ニコスに抱きついた。
「さてと、日が暮れる前にお母上のお墓に参ってから帰りましょう」
荷物を片付けて、ラプトルの籠に分けて乗せながら、ニコスがそう言った。
「お母上のお墓に行くのは、秋以来だな」
「そうだね。雪が降る前だから……もう、そんなになるんだね」
ギードの声に、レイはぼんやりと森を見ながら、不意に蘇った鮮明な記憶に、体が硬直して動けなくなった。
鈴なりの真っ赤なキリルの実、共同作業場で鍋をかき混ぜながら笑っていた、村の皆の顔。
扉越しに見た悪魔の、短剣を持つ手から滴る鮮血。
暗闇の中に響く誰かの悲鳴。
そして、母さんの冷たい手。
「レイ? どうしました?」
無言で手綱を持って動かないレイに、不審に思ったタキスが声をかける。
「……何でもない。ちょっとお腹空いたなって思っただけ」
笑ってそう言うが、ぼんやりとしていて、何か変だ。
更に声をかけようとした時、ニコスが、ヤンの籠に入れた荷物から小さな包みを取り出した。
「さすがに育ち盛りだな。ビスケットならまだあるぞ、食べるか?」
「あ、ビスケットだね。欲しい欲しい!」
振り返って笑ったレイは、もういつも通りだ。少し顔色が悪いように思うのは、気のせいだろうか?
嬉しそうに、出してもらったビスケットを齧るその横顔を、タキスは不安な気持ちで見つめていた。
「この辺りも、すっかり緑でいっぱいになったね」
森沿いに進みながら、レイは嬉しそうに辺りを見回し、隣にいるタキスに声をかけた。
「ええ、新緑が本当に綺麗ですよね」
傾きかけた陽に照らされるその顔は、どう見ても健康そのものだ。
きっと、さっき顔色が悪くみえたのは、自分の気のせいだと思い、笑ってまっすぐに進む後ろ姿を見つめた。
到着した小高い丘の上にある母さんの墓石の上では、赤リスの親子が、並んで不思議そうにこっちを見ていた。
「おやおや。墓守に家族が増えとるぞ」
赤リス達を驚かさないように丘の少し手前でラプトルを降り、ゆっくり近寄りながら、ギードが小さな声で笑った。
「ほんとだ。家族が増えてるね。あっ! 逃げちゃった」
四匹の赤リス達は、後ろの枝を広げている大きな木にあっという間に駆け上り、葉の向こうから隠れてしまった。でも、気になるらしく葉の陰からこちらを伺っている
「やっぱり驚かせてしまいましたね」
墓の周りは草が伸び、あちこちに春の花が咲き誇っていた。
周りの草を抜こうとするタキスを、レイは止めた。
「そのままでいいよ、草がある方がリス達も隠れられるよ」
そう言って、そのまま墓の前に立った。
「母さん久しぶり、すっかり春になったね。ほら見て、こんなに背が伸びたよ。もう、ラプトルにも一人で乗れるようになったんだよ」
両手を広げて、見せるようにくるりと回る。
「毎日楽しいよ。皆、優しくてすごく頼りになるんだよ……」
笑って話しかけていたのに、不意にこみ上げる涙に我慢できず、息を詰まらせて俯いた。
「母さんのパンケーキが食べたいよ。どうして、どうして……ここに母さんがいないの……」
俯いて、袖で涙を拭う。
「駄目だな。もう、泣かないって、思ってたのに……」
「構いませんよ、無理に我慢しないでください」
後ろから、そっとタキスが抱きしめてくれ、ニコスが柔らかい布で涙を拭いてくれた。ギードも隣に立って、そっと大きな手で頭を下げて撫でてくれた。
「ほら見て、この人達が今の僕の家族だよ。他に、ラプトルが四頭とトケラもいるし、他に家畜も沢山いるんだよ」
「お母上様、ご無沙汰しております。レイは私の息子と友達になってくれました。大人ばかりの環境で育ったので、あの子は友達を欲しがっておりました。ありがとうございます。息子の夢が叶いました」
「お母上様、レイは俺が寝坊した朝、ショートブレッドを焼いて待っていてくれました。とても美味しかったです。ありがとうございます。良いレシピを教えて下さいました。大切に致します」
「お母上様、今日、ワシはレイと格闘訓練をしていて、とうとう見事に投げられましたぞ。ワシを投げられるようになるには、二、三年かかると思っておりましたのに、彼の成長ぶりには目を見張ります」
皆、まるで目の前に母さんがいるかのように、自然に話しかけてくれる。
なんだか嬉しくて胸がいっぱいになった。
「墓守の赤リス達にも家族が増えてたよ。あ、いつも来てくれてるから、それは母さんは知ってるよね」
笑ってそう言うと、空を見上げた。
見覚えのある大きな影が、側にゆっくりと降りてくる。それを見た赤リス達は、慌てていなくなってしまった。
「もう用事は済んだの?」
頬擦りしてくるブルーを額を撫でながら、話しかける。
「うむ、泉に戻ろうと思ったら、近くに其方らの気配がしたので寄ってみたのだ」
嬉しそうにそう言うと、墓を見た。
「もう墓参りは済んだのか?」
「うん、もう終わった」
大きな頭に抱きついて、額にキスをする。
「日が暮れる前に帰らないとね。じゃあ母さん、また来るね」
振り返ってそう言うと、そのままポリーのところへ行く。
「もう、良いんですか?」
後について来たタキスが心配そうに聞くと、レイは笑って首を振った。
「うん、またいつでも来れるもん」
赤い目をしてそう言うと、ポリーの背に軽々と乗った。
「帰ろう。ブルー、またお天気の日には来てね」
手を振るレイを見て、ブルーも満足そうに翼を広げてゆっくりと飛び去って行った。
「それでは戻るとしようか」
ギードの声に、三人もそれぞれのラプトルの背に乗り、並んで帰路に着いた。
木の上から、赤リスの親子がそれを見送っていた。
少し離れた場所から、走り去る四騎のラプトルを見ていたブルーは、忌々しげに呟いた。
「また王都から新たな竜騎士が来ただと。一体今度は何をするつもりだ……だが、警告はした。我やレイに手出ししようものなら、今度こそ容赦せぬぞ」




