32 香織、腹を括る
立てるようになっただいきが帰るのに香織は付き添った。足取りがふらふらと覚束ないのを心配したのだ。
だいきは名前を砂山 大希といった。家は路地をまっすぐ進んだところのちょうど角になっているところにあった。「砂山」と書かれた表札の付いたそこは木造の小さな二階建ての家だった。玄関の前まで連れだって行くと、大希は香織を振り仰いだ。
「おねえちゃん、ありがとう。おうちついたよ」
大希はもういいよというように手を振って香織と別れようとした。しかし当の香織はまだ心配そうに首を傾げている。
「私からおうちの人に説明してあげようか?さっきのこと」
今もまだ少し辛そうな大希。あれだけ蹴られたお腹はひどいアザになっているだろう。下手をしたら内蔵までダメージを受けているかもしれない。まだ幼い大希にそれを説明するのは難しいと思った。だが大希は首を横に振った。
「へいきだよ。おねえちゃんはもうかえって」
大希に背中を押され、香織は路地へと押し戻された。ちょっと干渉しすぎたかと思い、ここは大人しく引き下がることにした。
「わかった。お腹痛かったらちゃんと病院連れてってもらいなよ」
「うん。バイバイ」
玄関からちょっと離れて、香織も手を振り返す。ドアを開けて大希が家に入ってしまうまで、その場でじっと見守っていた。
ドアが閉じるのを見届けて、香織はきびすを返す。その表情は不機嫌そうに歪んでいる。
大希を足蹴にしていた男は、この一帯の再開発計画をすすめている営業マンの斑野だった。香織が目撃した場所からは男の背格好はわかっても顔つきまでは見定められなかった。斑野についてはこの計画を阻止すると豪語している悠星から聞いた程度で、香織は実際に会ってはいない。母にも確認したが、香織の家には斑野は来ていない。その理由は定かではないが、無視してもいい存在と思われているようで気に入らない。しかし今はなにより、あんな幼い大希を痛めつけていたことへの嫌悪感が勝っている。
どんな理由があったにせよ、あの行為は許されるものではない。相手が子供で抵抗できないのをいいことに暴力を振るっていたのだとしたら尚更だ。大希はどんなに恐かっただろう。どんなに悔しかっただろう。
ーーあいつがくるとおかあさんがかなしそうにするんだ。
大希はきっと、母を守りたかったのだろう。幼いなりに男としての矜持があったのかもしれない。きっと大希は優しい子なのだろう。だから余計に心配だった。
「さて……どうしようか」
香織は天を仰いでひとりごちた。このまま放っておく気にはなれない。
今もこの辺りを歩いて廻っている斑野。香織は面識がないが、見方によればそれは幸いかもしれない。なんとかして、斑野の鼻をあかしてやりたい。相手に香織の顔は割れていないから、その分動きやすいと考えることもできる。とはいえ手持ちの情報が少なすぎて、どう動いたらいいのか、その糸口が掴めない。今斑野の情報を少しでも持っていそうなのはめぐみと、悠星くらいだ。創紀は家が再開発の区域外なので斑野との面識はないはずだ。
「はぁ......」
めぐみはともかく、悠星に話を聞かなければならないと思うと気が滅入った。だがもうそうも言っていられない。
「仕方ないかぁ」
香織は次に彼らと集まる予定を思い出し、もう一度ため息をついた。




