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3 帰国子女の困惑

 その日、日野 創紀のクラスは朝から少しざわついていた。

 とはいっても、普通の高校生のクラスなのだから、かしましいのはいつものことだ。しかしどこかいつもと違う気がするのは、みんななんとなく声を潜めて噂しあっているからだ。

ーー転校生だって。

ーーしかも、帰国子女の。

ーー日本語通じるのかな。

ーーオーストラリアと日本のハーフって話だよ。

ーー一体どんな子?

 チラチラと、まだ何の荷物も置かれていない机の方を見ながら。まるでそこに姿の見えない転校生を透かし見るように。

 創紀はその輪には入らずに傍観している。そもそもなんの部活にも入っていない創紀は高校に入ってからの友達が少ない。悠斗は別のクラスで、最近はあまり顔を合わせていない。

 スピーカーからくぐもったチャイムの音が響く。朝のHRの時間だ。

 担任の後ろについて教室に入ってきた女子生徒の姿に、クラスの全員が一斉に注目する。なるほど、ハーフらしい整った横顔。すらりと背が高く、肌は小麦色にやけている。モデルをやっていると言われれば信じてしまいそうな大人びた体には、高校の制服はあまり似合っていない。あちらのハイスクールに制服はないはずで、着慣れないものを着せられているのだから無理もない。

 担任はひとつ咳払いをして、生徒に向けて話しはじめた。

「今日からこのクラスで一緒に勉強することになった、藍川 香織さんだ。お父さんの仕事の都合で、生まれた時から住んでいたオーストラリアから急きょこちらに来ることになったから、日本語はまだあまり話せない。慣れるまではクラスのみんなでフォローしてあげるように。藍川さん、一言あいさつできるかな」

 担任が水を向けたので、また一斉に女子生徒、藍川 香織に注目が集まった。

 香織はうつむきがちで居心地悪そうに、短く言った。

「藍川 香織です。Australiaから来ました。よろしくお願いします」

 ぎこちない感じはあるが日本語であいさつした香織を、クラス全員が静かに見守る。そこにあるのが歓迎なのか敵意なのかはまだはっきりしない。

「それじゃあ、藍川さんの席はあの空いたところね。では朝のHRを終わります。各自一限の準備をするように」

 香織は担任に示された席に、重そうな鞄を引きずるように持ちながらゆっくりと向かう。そこは、創紀の隣の席……。

 担任が出ていってしまうと、教室はまたざわめきはじめた。しかしやはりいつもの快活な様子ではなく、なんとなく声を潜めながらそこここで話している。

ーー日本語だったね。

ーー私たちの言ってることもわかるのかな。

ーー試してみる?

ーーあっちの出方次第じゃない?

 それらの言葉が聞こえているのかいないのか、香織はやはりうつむきがちでじっとしている。クラスの誰も自分から話しかけようとはしない。創紀もまたその様子を隣から窺い見る。

 すると視線に気づいたのか、顔をあげた香織と目が合った。眉が不審そうに曇っている。創紀はごまかすように笑う。

「隣だね。よろしく。……ちなみに一限の教科書、これね。持ってる?」

 既に机に出していた、一限の教科である数学の教科書を香織に見せる。香織は大きな鞄に手を突っ込んで、その教科書を引っぱり出す。確認するようにこちらに見せるので、創紀はうなずいてみせた。始業のチャイムが鳴ったのはそのすぐ後だった。数学の教師が入ってきて、クラスは再び静かになった。

「起立、礼」

「お願いします」

 見よう見まねで香織もなんとかあいさつをした。慣れなければいけないことは、まだまだたくさんある。できるだけフォローしようと創紀は思った。

 ぎこちなくたどたどしい、これが創紀と香織の初めての接触だった。

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