22 動き出す
バサリ、と乱暴にスーツのジャケットを皮張りのソファに投げ、ボスンとローテーブルに鞄を放り、奥のデスクの回転椅子に身を沈めるように腰かけた。そんないつもより荒れた様子のこの部屋の主、斑野にコーヒーを差し出しながら、秘書の狭山は静かに問う。
「いかがなされました。何か重大な問題でも?」
「何でもない」
普段から上司の様子を見ている狭山には、言葉とは裏腹にトラブルが起きたのだとすぐにわかった。しかしそれをこちらから指摘するのは良くない。ただでさえ機嫌の悪い斑野がさらにへそを曲げてしまう。こういうときは斑野自身が話し出すのを待つより他はない。
「旧計画段階の土地区画調査書と概要書が見つかりました。ご覧になります?」
「……ああ」
差し出した書類を引ったくるように取ると、眉間に皺を寄せながら目を落とす。気が立っている斑野を落ち着かせるには、仕事をさせるのが一番有効だ。案の定、それからしばらくすると自分から口を開いた。
「ガキが一人何かを騒ぎ立てたとして、計画に影響するリスクはどれ程だと思う?」
「子供、ですか」
これで斑野の機嫌がこんなにも悪い理由がわかった。斑野は何よりも子供が嫌いだ。本当の子供はもちろんのこと、幼稚な考えをする人間も嫌う。斑野は良くも悪くも仕事フリークだ。成果をあげなければ仕事ではない。
そんな斑野を狭山はいささか心配している。今回の再開発に関する案件はどうにも分が悪い仕事と思えてならないのだ。なにせ十年以上も止まっていた計画だ。とっくに白紙になっていてもおかしくないものを掘り起こしてまで進めるというのは、どう考えても無理がある。しかしそうは思っても斑野に意見することはない。彼は彼でその上司から渡された仕事をただ淡々とこなしているだけなのだ。
だからそもそもこのように狭山に意見を求めることが稀だ。そんなに気にかけることがあったのだろうか。
「ボスに報告をあげますか?」
「……いや、いい。まだ今は。もしその必要性が出てくれば私が直接耳にいれる」
「かしこまりました。もし何か私でお役にたてることがあれば何なりお申し付けください」
頭を下げると、斑野は片眉を上げた。
「私を心配してるのか」
「いえ、とんでもない。では私はこれで」
礼をとってきびすを返す。斑野が放った鞄を定位置の棚へ置き、ジャケットをハンガーにかけて部屋を辞す。
「まったく、うちの上司は読心術が過ぎる」
ドアを閉めると思わず本音がため息と共に滑り出た。斑野は人から心配されるのもまた嫌った。
* * *
「悠星、そこにいると夕飯の支度の邪魔よ。自分の部屋で宿題でもしてなさい」
「いやだ」
「そう。とにかく邪魔だからテーブルに突っ伏すのはやめて頂戴」
母の暢子に言われて仕方なく上体を起こす。ひどく不機嫌な顔で、目はどこか遠くを見ている。
さっきからあの斑野に言われた言葉がずっと頭の中でリフレインしている。バカにしたような口調。容赦なく浴びせてきた言葉。なぜあんな言われかたをしなければいけないのか。ひどく腹が立った。そしてその苛立ちは、子供だからと悠星を茅の外にするすべての大人たちに向けられた。
「なぁ、母さん」
「……何?」
あまりに低い声で呼んだせいか、暢子は手を止めて悠星の方に振り向く。しかし当の悠星はそんな母ではなく、テーブルの一点を見つめたまま言葉を継ぐ。
「おれがこの再開発計画を止めるって言ったらどうする?」
「……」
暢子は言葉もなくただ悠星を見つめる。驚いているのか、怒っているのか、落胆しているのか。表情の抜け落ちてしまった顔で、ただ己の息子を見つめる。
「母さんだって、本当はわかってんだろ?この計画がおかしいって。町のみんなだって、どうせ賛成してるわけじゃないんだろ?だったら戦えばいいだろ。大人が戦わないなら、おれが戦う」
二人の間に落ちた暗い沈黙を、ヒグラシの輪唱が遠くぼかしていた。




