16 悠星の問題意識
「あ、おじさん」
「よう」
後日、母屋の方に俊也が訪ねて来た。パート帰りの暢子に会うため、午後から夕方への変わり目の時間だった。
「なんだよ悠星?浮かねぇ顔だな」
俊也が来る頃合いを見計らって悠星が玄関に出ていたのは、母と俊也がいきなり会うのがなんとなく心配だったからだ。
母、暢子の様子はあの日からやはりおかしかった。明らかにぼーっとしていることが増えたし、あまり笑わなくなった。原因はどう考えても悠星が「再開発計画」の言葉を出したことだ。俊也はその話をしに来たのだから、不安にもなるというものだ。
そんな悠星の思いを知ってか知らずか、その頭をぽんぽんと叩いて玄関を入っていく。なんだか子供扱いされたようで気に入らない。ふて腐れたい気分でその後に続く。
「暢子さん、久しぶり」
「うん。いつもごめんね。悠星、迷惑かけてない?」
「いや?むしろ助かってるくらいさ」
「?そう……」
客間に通すような間柄でもないので、居間に座布団を敷いて座る。暢子がちょっといいお茶を出し、俊也と向き合う。悠星は居間の端からその二人を見守る。
「……あんた、そんなところで何してるの」
しかしそれを見咎めた暢子が白い目を向けてくる。暗に邪魔だから出ていきなさいと言われているのはわかっているのだが、悠星は動くつもりがない。そっぽを向いていると、俊也が助け船を出した。
「まぁまぁ、こいつもちょっと桂木家の一員としての自覚が出てきたってことだろ。いつかは知る話なのだから、今聞いたって問題ないだろ」
「それは、そうかもしれないけれど……」
困惑した顔で悠星を見る。あくまで動かない悠星に、最後には諦めたようにため息をつく。
「で、いきなり本題なんだが、暢子さんはこの話、いつから知ってたんだ?うちに来た男の話じゃ、二年前から動いてたことなんだよな」
例の書類をちゃぶ台に拡げながら俊也が問う。一方の暢子は変わらずに困惑した表情。
「それが、私も寝耳に水の話で……一体なんで急にこんな話が出てきたのか、よくわからなくて」
「やっぱり、暢子さんも知らなかったのか。てことはまず間違いなく、カツの奴も知らねぇってことだな」
「でしょうね」
俊也は腕を組む。そのまま黙ってしばらく考え込む。暢子もまた新たな言葉を発しないため、居間には重い沈黙がおりる。
その沈黙にいい加減いたたまれなくなった悠星が横から割り込む。
「あのぅ、結局その再開発計画って一体何なの?」
「お前今そこかよ」
呆れたように悠星につっ込むと不意に俊也は笑った。
「これだからお子ちゃまは。しゃーねぇな、説明してやるよ」
「どーせおれはお子ちゃまですよ……」
いちいちしょげているのも疲れたので軽く受け流すことにする。膝をずるようにして俊也の隣からちゃぶ台上の書類を見る。
「この前お前に見せた地図があったろ。それがこれ。んで、この線に囲まれてる範囲が再開発予定区域。再開発ってのは、簡単に言えば町をつくり直すってことだ。ほら、家が古くなったり使い勝手が悪くなるとリフォームするだろ。あれを町ごとやるわけだ」
「ふぅん?」
「お前ぜってーわかってねぇだろ」
首をかしげてうなずきかけている悠星をしょうがないというような目で見ながら、俊也がちゃぶ台を指で叩く。本当は煙草を吸いたいのだが、喫煙者のいない桂木家には灰皿がないのだ。
「でもさぁ、リフォームするには一回壊さなきゃいけないんじゃないの?」
悠星が生まれてから今までの間にも、この母屋は何度かリフォームしている。一番大規模だったのは風呂場で、タイル張りで暗くてじめじめしていたそこは一度壁や床をすべて取り払い、明るくて快適なバスルームへと変貌を遂げた。その様子を覚えている悠星には、町をリフォームするというのがいまいちよくわからなかった。
だが俊也は真剣な面持ちで言葉を継ぐ。
「問題はそこだ。そりゃあ今より快適な町ができるなら、住民にとっちゃありがたいことだろう。だがこの再開発計画が動き出せば、それはすなわちこの町が一度ぶっ壊されることを意味する。これを見ろ」
俊也は地図とは別のパンフレットを拡げた。
「これが男が説明した『リフォーム後の』町の姿だ。大型のマンションあり、ショッピングモールあり、医療や介護に保育まで整った複合施設あり。まさに至れり尽くせりだな。俺の店の辺りやこの辺は高級住宅地や別荘地になるらしい。つまり、ごっそり作り替える気だ」
「え、じゃあこの辺の家とかはどうなるの?」
「取り壊しだろうな」
「取り壊し……?」
「お、やっと事の重大さに気づいてきたか」
俊也の声はからかうような、それでいて真剣なような不思議な響きだった。
「そんなの、じゃあ住んでる人は……おれたちはどうなるんだよ」
「一般的には代替地を用意されて移り住むってとこか。町ごと移住なんてできねぇから、てんでバラバラになるな」
「おじさんの店、無くなっちゃうの?」
「まぁ、そうなるな」
あまりのショックに絶句してしまった。この町が、大事な場所が、一度全部、無くなってしまう……?
「まぁそうしょげるな。すぐにどうこうなることじゃねぇし。まだ確かめなきゃならねぇこともあるしな」
「確かめるとは何のことじゃ、俊也」
急に響いた低い声に、その場の全員がびくっと振り返った。
「げ、じいさん……」
思わず俊也は小さくひとりごちた。居間の戸口で法衣のままの悠星の祖父、昭善が仁王立ちして俊也を睨み下ろしていた。




