11 不穏な噂
中学生が悠々とした夏休みに突入したとはいえ、高校生はそうはいかない。ほぼ全ての生徒が部活に所属いているこの高校では、夏休みは何らかの大会を控えている者が多い。そうでない者は午前中に補習授業があるため、実際はほとんどの生徒が学校に来ている。
そんなわけで、香織とめぐみもほぼ毎日、学校で顔を合わせた。そこには同じく創紀の姿もあったが、どちらかというと二人でつるんでいることの方が最近は多い。それには理由がある。下手に男子を引き入れると、周りで変な噂を立てられることに気づいたからだ。香織はそれにも憤慨している。
「あの子たちわざとなの?あっちでもそういうことがない訳じゃないけど、ここの子たちはわざとこっちにわかるように言ってる気がする。意味がわからない」
まくし立てるように言う香織をなだめるのはめぐみの役目だ。
「あはは。本当にね。でもあんなのにいちいち怒ってたらキリないよ。無視が一番」
そうした被害を今まで一身に被っていためぐみは諦念なのか達観しているのか、苦笑しながら言う。香織としては理不尽な振る舞いを許しているようで気に入らないが、だからといってそういう者たちと直接渡り合うつもりもない。面倒なことになると目に見えているからだ。結果的にめぐみの言う通り、無視を決めこんでいる。
そんな、ある日のこと。
「香織ちゃん」
朝、いつものように教室に入ってきためぐみの声が、心なしか強張って聞こえた。
「めぐみ?おはよう」
「……おはよう」
だが挨拶を返すめぐみは柔らかく笑う。普段に比べれば元気がない感じはするが、それ以外に変わった様子はない。ちょっと体調が悪いとかそんなものだろうか。
HRはないので、始業まではまだ時間がある。めぐみは香織の前の席の椅子を拝借して、机越しに香織と向き合う。
「ねぇ、香織ちゃんのお父さんって、何の仕事してるの?」
「パパの仕事?」
ぼんやりとめぐみの心配をしていた香織は、その唐突な質問にキョトンとした。しかし当のめぐみが存外真剣そうな顔つきでこちらを見ているため、応えざるを得ない。
「うーん、私もよくは知らないけど、企業と企業を繋ぐ仕事、みたいに言ってたかな。元々その仕事の関係でAustraliaに来て、ママと結婚してからはずっとあっちで働いてたんだけど、会社からどうしても日本に戻ってほしいって言われて、家族みんなでこっちに来ることになったんだ」
思えば、その辺の細々とした事情はまだ話していなかった。家族のことをあからさまに話すだけの関係なのかどうか図りかねていたのもある。しかしめぐみはもうとっくにそんな存在になっている。最近はめぐみの部活がないときは一緒に下校していて、お互いの家も知っている。案外近所だった。こうした話題が今まで出なかったのが不思議なくらいだ。
めぐみはしばらく、何か考えているようだった。変なことを言っただろうかと思ったが、その次にめぐみが言ったのは意外なことだった。
「じゃあきっと忙しいよね、香織ちゃんのお父さん」
「うん?まぁ休みはあまりないみたいだけど。めぐみ、私のパパに用があるの?」
「そういうわけじゃないんだけど……じゃあ普段家にいるのはお母さんの方なんだね」
「ママは仕事してないからね」
香織は話の意図が掴めず怪訝そうにめぐみを見つめる。めぐみの方は話を聞いてしきりに考え事をしているようで、似つかわしくない眉間の皺など寄せている。
そして、珍しいことに声を低くして言った。
「実はね、うちの周りで変な噂があるんだ」
「噂?」
その言葉にいささか過敏になっている香織は同様に眉間の皺を寄せた。また何か自分たちのことを悪し様にあることないこと吹聴されているのか。……ところが、めぐみが言うのはまたもや意外なことだった。
「まだあくまで噂で、確実なことは言えないんだけど、もしかしたら本当にそういう方に話が進んでるかもしれないから、香織ちゃんの家族も知ってた方がいいと思う」
そう重々しく前置きした後、さらに声を低めて言った。
「……私たちの住んでる辺りが丸ごと、都市の再開発計画に組み込まれてて、家を出ていかなきゃいけなくなるかもしれないって」




