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1 末っ子の日常

 朝。空気は清らかに澄み、木々の間からは小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。そんな中、低く響いてくるのは、何かを唱える人の声。そして。

 ポク……ポク……チーン……。

 裏山を抱えた広大な土地の中に建てられた寺の本堂で、朝のお勤めが上げられている。それはいわば雄鶏の鳴き声のように、朝の訪れを刻むBGMのようなものだ。お勤めをBGMと言っては罰が当たりそうな気もするが、それくらいこの地に馴染んだいつもの習慣である。広葉樹が色濃く落とす影に守られるように鎮座する本堂。そこから流れてくる読経の低く響く声は小鳥たちの声とあいまって周りの空気を心地よい緊張感で包み込む。

 一方、本堂と並んで建てられている母屋のほうでは、そんな清冽さとは少し異なる空気が流れている。

「お、は、よう……」

「目が開いてないわよ、悠星」

 あくびなのか挨拶なのかわからないような声を発しているのは、代々寺の住職を勤める桂木家の三男、悠星である。そんな悠星に母の暢子がのんびりと突っ込みを入れる。

 本堂と同じく母屋も平屋建ての古い木造家屋だが、所々リフォームされている。昔は土間だった台所は今やシステムキッチンとダイニングスペースで、この家では唯一のフローリングの部屋になっている。

 食卓には既に兄たちが着いている。年の離れた上の兄、善之は公務員として働いているので、ワイシャツにスラックス姿。下の兄、悠斗は高校でバスケ部に所属していて、朝練があるため運動着姿だ。末っ子の悠星だけが寝起きのパジャマ姿である。暢子がご飯をよそいながら注意する。

「ほら、しゃんとなさい。寝ぼけてこぼさないでよ」

「いただきまー……」

 またしても最後の方はあくびになっている。そうこうしているうちに部活のある悠斗は席を立ってしまった。善之もとっくに食べ終わり、新聞に目を落としている。

 特段変わったことはない。これがいつも桂木家で繰り広げられる朝の光景である。

 本堂でお勤めをあげているのは悠星の祖父、照善だ。ちなみに桂木家の男は住職を継ぐ者だけ名前に「善」という字を入れるのが習わしになっている。それは基本的には長男であり、悠星の代では上の兄の善之ということになる。実際善之は仏教系の大学を卒業している。順番で言えば次に寺を継ぐのは父の克喜なのでまだ先の話だが。その克喜も今は県外へ単身赴任している。何せ現役住職の照善は御歳七十近いというのに、老いなど感じさせないほど元気なのだ。まだまだその座を次に譲ることはないだろう。

 しっかり者や真面目な者が多い桂木家の人々。そんな中で、末っ子の悠星は……。

「ほぅら。食べ終わったんなら着替えちゃいなさい。遅れるわよ」

 この通り、ぱっとしない。だがそれを本人も自覚はしているようで。

「もー、おればっか怒られる」

「あんたがしゃんとしないからでしょ」

「おれに兄ちゃんたちのレベルを求めないでよ」

「善之も悠斗もあんたの歳にはもっとしっかりしてたわよ」

 暢子が白い目で睨むので、悠星は慌てて自室へ退散した。

 中学の制服に着替えながら、悠星はわざとらしくため息をつく。時計は7時ちょうどをさしている。学校の始業は8時30分だから、暢子が急き立てるほど遅れそうなわけでもない。

 悠星はどうしても、常に二人の兄と比べられてしまう。それがたまらなく嫌だった。兄たちを尊敬する気持ちはあるが、どうしても割りを食っている気がしてしまう。それは二人の兄が優秀すぎるからだ。家族の期待に応えるように、跡継ぎへの道を順当に進む善之。元々好きだったバスケに部活という形で打ち込み、エースとなった悠斗。それに比べて悠星は。

 やりたいことも特にない。二人の兄以上に得意なこともない。兄の影響でバスケは好きだが、悠斗の時代にはあった中学のバスケ部は指導できる顧問が異動になって廃部してしまった。ツキにも見放されているようだ。

 鬱蒼としげる木々の間を縫って、今日もいやというほど晴れた空から朝日が差し込んでくる。普通なら高揚するような天気も悠星の気分を上げてはくれない。

「おれだって本当は何かに打ち込みたいよ」

 でも何に打ち込んだらいいのか、何に一生懸命になったらいいのかわからない。宙ぶらりんな自分を持て余し、不貞腐れた気分で窓からのぞく青空を見上げた。

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