食品室番の少女・7
と、言うかエルネーの様子が妙で、ヘシカとエメリアはちょっと怖くなっていた。
目が血走って、心なしか鼻息が荒い。こんな状態のエルネーを見てエメリアが心を開く訳もなく、嫌悪を超えて恐怖すら顔には浮かび、涙目になっていた。
こうなれば、エメリアはどう足掻いても絵の題材にはならないだろう。
しかし、ピンチはチャンスだ。ヘシカは今にもエメリアに飛びかかりそうなエルネーの前に出ると、自信ありげに自らの胸元に手を置いた。
「じゃあ、あたしを題材にするのはどうですか」
「却下」
こちらも即答であった。
かなりイラっときたヘシカだが、ここは抑え、あくまで冷静を装う。
「い、いいじゃないですか。あたしも精霊師ですよ。確かにエメリアより綺麗じゃないかもしれないですけど……」
「君には華がない魅力がない輝きもない。
髪は癖っ毛で見苦しいし、瞳も何所にでもある様な茶色だ。
エメリアがダイヤモンドならば、君は河原に転がっている石ころだ。それも水きり遊びにも使えないような不格好な形のな」
「はあっ!?!?」
何事でもないように言いきったエルネーに、流石のヘシカも堪忍袋の緒が切れた。叫んだ彼女は、もはや相手が誰だろうと関係なくなってしまった。
「フッザケンじゃねえよ!? あんた何様だよ! エラそうに言って。ツラがいいんだか絵がうまいんだか知らないけど。他人を馬鹿にしていい権利があると思ってんの!?」
「人間、事実を言われた時に一番怒るという。もう気は済んだかな?」
「あたしが怒ってんのはそこじゃねえ。あんたの態度に文句言ってんの! 人の事さんざんに馬鹿にして。しかもなに、エメリアの絵の扱い!! ひと様が一生懸命描いたのを、宮廷画家様なら雑に扱っていいって訳?!」
「そんな絵なんかよりも大事な問題があったんだ」
「そんな絵なんか、ですって?!」
顔をヒクつかせるヘシカに対し、あくまで冷静に言葉を返すエルネー。
こいつは、もう何を言ってもまるで聞く耳を持たない。
ヘシカは、床に投げ捨てられていた絵を拾うと、エメリアの腕を掴む。
「行くよ、エメリア」
「あ、はいっ」
そう言って、ヘシカに引っ張られるようにして出口に向かう二人。その背中にエルネーが叫ぶ。
「どこに行くんだね」
「帰るに決まってんでしょ!」
「待ちたまえ、絵の題材に――」
「うるさい! 二度と来るか!」
そして、外に出ようとした瞬間だ。
突然、二人の目の前に眩い閃光が巻き起こった。顔をそむけ目を閉じたヘシカが。
瞼をゆっくりと開くと、そこには、目黄金に輝くものが立ちはだかっていた。
丸太のように強靭な両腕には強靭な爪がついており、その腕に対して控え目な足が、胴体の下から延びている。
顔の両側から垂れるような耳がついており、鼻も山の様にとんがっている。
それは、霊獣である『トロール』の姿を模った、黄の精霊であった。
「待てと言っただろ」
振り返るとエルネーが、イーゼルに立掛けていた杖を構えいた。
良く見れば、それは持ち手の出っ張りに黄色い精霊石が取り付けられている。
「あんた、精霊師だったの?」
「画家は現実の本質を見極めるために、様々な勉強をしているものさ」
だからと言って精霊師の勉強までしようと思うのは稀であろうが、どうやら彼には適正があったようだ。
しかし、適性があるのはエルネーだけではない。エメリアは腰にぶら下げていた道具、ロッドを手に取る。そこに取り付けられた真紅の精霊石が輝きだした。
そして現れるは、大蛇を模ったヘシカの赤の精霊、トウ・カナレだ。
「こっちだって、精霊師を商売にしてるんだから、あんたには負けないわよ」
ロッドを構えながら、ヘシカはエメリアに首で指し示す。
「エメリア、あんたは下がってて」
「で……でも」
「大丈夫、あたしだって腕には自信があるんだから」
今では厨房で料理人見習いなどやっているヘシカだが、少し前までは軍にも属していたある精霊師の元で術の腕を磨いていたのだ。本人はその道に進む気が無かった為に途中で辞めたが、腕には自信があった。
「こんな奴ぐらい、あたし一人で十分」
「ずいぶんな自信があるようだ」
一方のエルネーも落ち着いた様子。
ゆっくりと歩きながら、自らの精霊の傍らまで移動する。
「だが、別に喧嘩をしたい訳じゃないんだよ。そこだけは理解してほしい。僕は『フェッブ・カナ』に誰かを傷つけさせたくはない。ただエメリアに絵の題材になってほしいんだ」
「それがゴメンだって言ってんでしょ。耳腐ってんのあんた?」
「ゴメンだろうがなんだろうが、私の衝動はもはや抑えられない。人の意識を奪うくらい、フェッブ・カナには訳がないことなんだが」
威嚇するように、トロールの精霊、フェッブ・カナが唸る。
まるで木が雷に打たれ、爆ぜるような音だった。
確かに、黄の精霊は電気を操る。その衝撃で人の気を失わせるのは容易いだろう。
「はん。あたしだってあんたをこんがり焼くのは出来るんだからね」
蛇の精霊、トウ・カナレも肉体の揺らめきを強くする。
「それは困るな……まだ絵をたくさん描きたいんだ」
「じゃあ諦めて頂戴」
「それも困る。その子を描けないなんて三時間だろうと四時間だろうと我慢できない!」
とうとう一日も我慢できなくなったようだ。
「あたし達だって三分も四分もこんな場所になんていたくないわよ!」
叫ぶようなヘシカの声が合図となって、トウ・カレアが飛び出した。
体をくねらせながら、エルネーへ向かう。
精霊師同士の戦いで、そして相手を出来るだけ傷づけずに終わらせるには、相手が持っている精霊石の宿主を手放させる事だ。精霊石が持ち主である精霊師の手から離れれば、その力を発揮する事は出来ない。
当然、向こうはその動きを予想していた。迫りくるトウ・カレアの前に、フェッブ・カナが割って入る。
大きさには余りの差がある。
だがトウ・カレアはフェッブ・カナの前に来た瞬間大きく体を宙に跳ねる。すると、みるみるうちにその胴体が長く伸びていき、フェッブ・カナに巻きついた。そのまま一気に締め上げようとする。
しかし、エルネーの判断は素早い。もがこうとしたフェッブ・カナは瞬時に『体現』を解除。巻きつく相手を失ったトウ・カレアが地面に崩れていくその真上に、再び体現したのだ。
トウ・カレアの体現を解除する間もなく、フェッブ・カナに踏みつぶされ、うめき声をあげる。
相手の一連の行動に、ヘシカは驚く。
素早い体現の解除と再体現。その一つ一つの動作だって、術者の集中力と技量を要する。ここまで早く行える者は稀であった。ヘシカですら、あそこまで早く行う事は出来ない。
何よりも、その行動を瞬時に行った判断力。
単なる画家が、片手間に学んだだけとは到底思えない。
(こいつ……戦い慣れてる?!)
ヘシカが気がついた時にはもう遅い。
フェッブ・カナの大きな瞳はヘシカ達を向いている。唸るような叫び声を上げながらヘシカ達へ襲いかかろうとした。
トウ・カレアごと地面を蹴って、フェッブ・カナがヘシカ達に向かってとび跳ねる。
ヘシカは、トウ・カレアにエルネーを襲わせようとうするが、ダメージが大きい。すぐに行動することはできなかった。
ヘシカ達の目の前に着地したフェッブ・カナが、片腕を大きく引く。
向こうは意識を失わせる程度だと言っていたが、その太い腕の一撃を受ければ、それだけで済むのか。
血の気が抜けるヘシカに、フェッブ・カナが腕を振り下ろそうとして。
横から現れた何かに、フェッブ・カナが吹き飛ばされた。
地面にちょこんと座ったのはとんがった耳の、青い猫の精霊。
エメリアの精霊、ミーツァ・コルドだ。
ヘシカが振り返ると、彼女の胸元で、服の下からのぞく、青い輝き。
「喧嘩は……良くないです……」
胸元の輝きが強くなるに合わせ、空気が冷たくなっていく。
「からー……やめましょう」
ミーツァ・コルドが尻尾を揺らす。すると、その軌道に合わせて宙に巨大な氷石が作り上げられ、地面へ落下していく。
だが、その氷はフェッブ・カナはもちろん、エルネーを襲うには余りにも場所違いな所に現れた。
音を立てながら地面に衝突しても、起きるのは氷の破片を飛び散らせるだけ。
しかし。
その氷石が地面に当たると、砕ける代わりに、水のように地面に広がっていく。
水面は揺れることなく、氷ついたまま。
それはこのアトリエ全体を通じ、エメリアやヘシカの足もとにもやってきた。
「うわ、つめた!」
驚いたヘシカが足を抜くと、氷でありながら、簡単に足はひっこ抜けた。上げた足を再び戻すと、また氷の中に足が沈み込む。
伝わる寒さで鳥肌が立つが、やはり動くことが出来た。
だが、エルネーはそうはいかないようだ。
「な、な!?」
エルネーの足もとにやってきた氷の波は、避ける間もなく彼の足もとを凍りつかせ、そして動きを止めたのだ。
フェッブ・カナも同様だ。一度体現を解いて再び宙に姿を現したが、地面に落ち、氷の波に触れればまた身動きが取れなくなる。
そうしている間に、波の上を歩いていたミーツァ・コルドがエルネーの手に握られていた杖を弾き落とし、同時にフェッブ・カナの姿も消えた。
目の前に茫然としていたヘシカだが、我に返ってエメリアに振り返る。
「エメリア、あなた――」
「うう……冷たい」
自らを抱きかかえるようにエメリアは体をさすっていた。
ヘシカの体から力が抜ける。
「術者も冷たいの?」
「そうなんです……冷え性、一直線……」
「どうなの……それ……」
「す、素晴らしい」
感動の声を漏らしたのはエルネーだ。
「美しいだけでなく、このような見事な術を使えるとは……ぜひ題材に!」
まだ懲りないのか。そう呆れているヘシカの横で、
「あの……そのですね……いわゆる、あれです……」
視線をそらしながらも、エメリアは言うのだった。
「二度と……来るか……です」