食品室番の少女・4
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そもそも、これはエメリアの話を聞かず、ヘシカが勝手に組み立てた予定なのだ。
約束の場所に行かなくても、文句を言われる理由はないのではないか。
そんなことをエメリアは考えていたが、約束を破る勇気などありもせず。
結局、言われた通りの時間に、待ち合わせ場所である使用人口の前にいた。
正面玄関と比べれば雲泥の差だが、そこは宮廷。それなりに広く、出入りを見張る受付も置かれていた。
受付の向かいには椅子が並べられ、私服のエメリアはそこにちょこんと座っていた。
昼食は宮廷内でも出されるが、王族などに比べれば使用人に出される料理など大したものではない。外に食べに出るのを好む者もおり、そんな召使の一団がエメリアの前を通り過ぎていった。
扉をくぐり、外に出る彼らを見送っていると、
「お待たせ」
と、その一団が来た方から声が。振り向くと、ヘシカが歩いて来ていた。
外出するからだろう。彼女も当然に私服だ。
エメリアは慌てて立ちあがると、ヘシカに会釈。
「どうも……」
しかし、目前にやってきたヘシカは眉をひそめ、エメリアの姿を吟味するように上から下へと目を向けていた。
「あの……ヘシカさん?」
「ちょっとあんた、その服はどうなの?」
「どう、とは?」
「ちょっとボロすぎじゃないの?」
「そう……ですかね?」
「旧市街の人が着る物じゃないかなあ」
確かにヘシカと比べて、いや、先ほどすれ違った一団とも比べてもエメリアの服は、すっかり色が落ち、くたびれていた。
普段着ている支給品の方が遙かに立派であった。
この街、ランフォーリャは大きく三つの階層に分かれている。
街の中央部分を旧市街、旧市街よりも外側で、市壁の中に有る部分を新市街。そして、市壁の外に広がる街を壁外市街と呼んでいた。
住む人間の階級は中央に行くほど高くなるとされ、旧市街に住むのは一種のステータスであった。
どの階層に住んでいるか。見分ける方法は様々であったが、もっとも分かりやすいのが着ている服であった。
服を新品を仕立てられる者は限られている。
そして、その新品を仕立てられる人間の大半は、旧市街に住んでいた。旧市街でその新品を仕立てられない者は、彼らが着なくなった古着を古着屋で買うのだ。
旧市街の者たちが着なくなった服を、別の古着屋が買い取る。その別の古着屋は、それを新市街へと持っていく。新市街の者がそれを買い、新市街の者を着古した服を、今度は壁外市街へと持っていくことになる。
服の流れは、このように段々となっていた。
新しい服(と言っても大体は古着だが)を旧市街の人間は着る。それは旧市街に住む者の義務とすら言えるものだった。
所が、今のエメリアの服は、とても旧市街の人間の恰好ではなかった。
「それじゃあ良くて新市街の人間よ? ここは仮にも旧市街なんだから、もっと綺麗な服を着なさいよ。今の貴方、壁外市街からやってきたって思われてもし仕方がないレベルじゃない」
「でも、私……これ以外に服は……」
ほとんど外に出歩かない上に、そのような義務などエメリアは気にしていなかった。
意外だったようで、ヘシカは眼を丸くする。
「え、ウソ。それしかないの?」
「後は支給品の服がありますけど」
「それは分かってるから」
「駄目ですかね……」
「仮にも宮廷に出入りしてる人の所に行くんだから、もう少し立派な服の方がなー」
「じゃあ止めましょう」
「諦めるの早っ」
「人間諦めが肝心です……」
所が、ヘシカは納得した様子ではない(当然だ)。腕を組みながら、ウーンと唸っていたが、小さく息を漏らす。
「仕方ない、ちょっと来て」
「何所にですか」
「いいから。ほら、行くわよ」
「あのー、そのー。ちょっとー……?」
いろいろ言いたげなエメリアの腕を掴みながら、ヘシカは建物の中に戻っていく。
連れて行かれたのはヘシカの部屋であった。
そこまで広くない室内にはベッドが二つに洋服棚。そして机代わりにもなっている小さな棚も置いてあった。
相部屋のようだが、同僚の人は今留守の様子。
ヘシカは洋服棚を開けると、そこから服の一式を見つくろい、ベッドに投げる。
「ほら、着替えて」
「えー……」と抵抗をするエメリアをヘシカは無理やりひん剥き、取り出した服に着替えさせた。
着替え終わったエメリアから、ヘシカは少し離れ、全容を確認する。
「うん、よかった。ピッタリね」
「い、いいんですか」
「貸すだけよ。怒られるんだから」
ありがとう、とエメリアはお礼を言おうかと思ったが、今の言葉が引っかかる。
「怒られる?」
「それ、あたしの同僚の服だから」
「えっ」
「だってあたしのじゃ少し大きいでしょ」
確かに、ヘシカは平均より大きく、エメリアは平均より小さい。その結果、頭一つ背丈が違っていた。しかしこの服はエメリアに丁度いいサイズであった。
「か、勝手に着ちゃって大丈夫ですか?」
「平気平気、バレる前に戻せばいいんだから」
あっけらかんと言って見せたヘシカだが、それは全然平気ではないのでは?
やはり止めといしたほうがいいだろうか……とかエメリアが思っている間に先ほどまでエメリアが来ていた服は洋服棚に仕舞われてしまっていた。
「ほら、あたしも夕食の準備までには戻ってこなきゃならいんだから、早く早く」
急かされ、部屋を出るが。
「あ、そう言えば絵は?」
「え?」
「絵よ、絵。あんたが描いてる」
説明するように、ヘシカは透明な筆を宙で滑らせる。
「それが、どうかしたんですか?」
「持ってこないでどうするのよ?」
何を当たり前のことを? とでも言うようなヘシカに、エメリアは動揺してしまう。
「ちょ、ちょっと待ってください。何で、絵を?」
「だって絵を習いに行きたいんでしょ? 向こうだって誰だって習わせる訳じゃないんだから。あんたがどんな絵を描いてるか見せて、やる気を見せなきゃ教えてもらえないよ?」
「べ、別に習いたいとは……」
「愚痴愚痴言わないの。ほら、あんたの部屋に行って絵を持ってこなきゃ」
そこでやめときゃいいのに、勢いに押されてエメリアは自分の部屋に。同じ階であったが、廊下を曲がった所であった。
部屋の広さは、ヘシカの部屋と一緒だが、ベッドは一つ。
「あれ、あんた一人部屋?」
「そ……そうですけど」
「うっそー、なんで?」
「なんでと、言われましても……」
部屋割は仕事別に振り分けられているが、他の食品室番の者は皆、宮廷外に戸を構えていた。同僚がいないヘシカには一人部屋が与えられているというわけだ。
「いいなー、あたしと代わってくれない?」
「それは……拒否します」
「えー」
「譲れない……ものもあります……」
洋服棚の下に置いてあったキャンバスから、絵を二品選んで布に包んだ。それを脇に抱え、二人は部屋を後にするのだった。