食品室番の少女・3
アイスを食べながら、絵に目を向け続けているヘシカから、エメリアは恥ずかしさのあまり眼をそむけ、椅子に坐り続けていた。
「人って事は何、お父さん?」
「いえ、その……」
「その? 誰よ」
「厨房長です……ヘシカさんところの」
「ああ、言われれば確かに」
「私の父は、そんなむさ苦しくありませんし……デブでもないです」
「結構ひどいこと言うわね、エメリア」
振り返ったヘシカは、不思議そうに首をひねっていた。
「なんであんなオヤジを描くのよ? ああいうのが好みだったり?」
「ないです……それは。百パーセント」
「でしょうね」
「色んな対象を……描いた方がいいかなーって……で、奇麗なものじゃないのも描いてみようかなと」
「本当にきついこと言うわね……あれが綺麗じゃないは同意するけど」
アイスを食べ終わったヘシカは、唇をぺろりと舐めながら、お皿をテーブルの上に置く。
「色んな対象って事は、他にも描いてある絵があるんでしょ? 見せてよ」
「それは……ちょっと」
「えーいいじゃないー、見せてよ」
「そんな……他人に見せられるようなものでもありませんので……」
「他人に見せないなら、何で絵なんか描いてるの?」
「自己満足です」
「ふうん」
理解できないのだろう、ヘシカはつまらなそうに閉じた口で音を鳴らした。
しかし、エメリアにすればそれで十分なのだ。
何も他人に見せようと思って絵を描いているのではない。そりゃあ、他人に評価されたい、と思わなくもない。だからと言って、積極的に見せられる腕前でないのは重々承知なのだ。
ヘシカは再び、絵の方に向く。
「確かに、言われれば厨房長に見えなくもないわね」
「そう、ですかね?」
「髭の辺りとかは、厨房長っぽい」
「あ、ありがとうございます」
「誰かに習いに行ってたりするわけ?」
「そんな……独学です」
「へえ、独学。それでここまで描けるようになるのね、凄いじゃない」
別に嬉しいと言う訳ではないが、褒められるのは悪い気はしない。
なんだか照れくさくなって、エメリアは頬を掻く。
「でもせっかくなんだから、誰かに習ったりしないの?」
「それは……他人に見せられる腕でもないですし」
「腕が無いから習いに行くんでしょ?」
「そうですけど……別に、楽しく描きたいだけですし」
ヘシカの言う事は至極当然だ。だが、習いに行くという事は、批評を受けるという事だ。エメリアはあくまで絵を楽しく描きたいのだ。他人にとやかく言われたくはなかった。
「絵がうまくなれば、もっと楽しく描けるんじゃないの」
「それは、そうかもしれませんが……」
そこで何か思い立ったように、ヘシカは短い声を上げた。
「そうよ。それなら、エルネー様に習いに行ってみたらどう?」
「エルネー様?」
「知らない? 宮殿にも出入りしている絵描きの人。ほら、あれよ。宮廷の正面入口に飾られてる、初代ソク・ラネ様の絵。見たことあるでしょ?」
ソク・ラネとは、この街の守護精霊であった。緑の精霊であり、うっとりするような美しい女性を模っていた。
その絵は、自然に融和された石造りの建物の中、石畳の間から生えたオールの木と、それを宿主とした初代ソク・ラネ。そして、その脇に跪く三人の男。
それは、この街の始まりを描いたものだった。
エメリア達使用人は普段、正面入り口を使う事がない。とはいえ、何度か通った事はあり、絵の事は良く覚えていた。
「あれを描いたのが、エルネー様なのよ」
「あの絵を?」
「あの人に習えば、あっという間にエメリアの腕も上がるわよ」
「でも、私なんかが相手にされるとは……」
「大丈夫大丈夫。エルネー様は市民の教養にも深い興味を持っているお方らしいから。真面目にやる気があれば、お教えになってくれるって話だもん」
「勿論、ちょっとはお金がかかるけどね」と、ヘシカは付けくわえた。
「もしかしてお金がないとか?」
エメリアは首を横に振る。給料は一般の男性ぐらいは貰っているのだ。趣味である絵にお金を使っても、一人身であるエメリアは金銭的に余裕があった。
ヘシカは決定とばかり、両手を胸の前で鳴らした。
「そう? それなら問題ないわね」
「あの、問題があるかないかじゃなくて……」
「エメリア? 次の休みは?」
「休みは明日ですけど……そうじゃなく――」
「あら明日。あたしは明日も仕事だからー。いや、でも昼食の準備が終わった後ならいけるかしら。夕食まで時間があるし、料理長に頼んでみるわ」
「あの……話を」
「それじゃあ、明日、一時半ぐらいかしら? まああたしの仕事終わりに……あれ、エメリアはどこに住んでるんだっけ?」
「宮廷の中ですけど」
「なら宮廷の入口前でいいわよね。勿論、使用人口の方だから」
「それは分かりますけど……じゃなくて」
などと儚いエメリアの抵抗など無視し、ヘシカは明日の予定を組みたてて行くのだった。