憲兵の帽子・5
倒れている二人が見つかったのは、それから少ししてからであった。
犯人はその場で捕まり、ドナトは医者に運ばれた。
足の傷に含め、この寒さの中、雨に打たれ続けたことによって、ドナトは衰弱していた。
傷の治療は済んでも、今度は高熱にドナトはうなされていた。
途切れ途切れの意識の間で、見覚えのある顔が幻想のように浮かんでは消えていった。
母親。クロエ。マーテー。
部下に同僚。自分を刺した犯人。
クロエ。
ドナトの意識がはっきりと戻ったのは、事件から三日後であった。身に張り付く気だるさの中、首を上げる。見知らぬ部屋の中。目に入ったのは椅子に坐り、船を漕いでいたクロエであった。
声をかけようとしたが、うまく喋ることが出来なかった。首を上げているのにも疲れて、ドナトは再び眠りについた。
意識を取り戻してから二日後、ドナトは病院を後にする事になった。それでも、しばらく働くことは出来なかった。自宅まで馬車で送られるとき、クロエも付き添った。
それからしばらくの間、隙を見てはクロエがやってきて、身の回りの世話をしてくれた。
食事や、簡単な買い物。体力をつける為に、二人で散歩に出掛ける事も。
傷は思いのほか深く、まだ歩くのに杖を必要とした。歩きながら、途中で見かけた花を、彼女が説明してくれた。
その日も、ドナトはクロエと以前来た公園にやってきていた。ゆっくりと並木を歩いていたが、疲れを覚えたドナトを気遣い、近くの開いていた椅子に腰掛けた。
その横にクロエが座る。彼女は、持って来ていた袋から、瓶とコップを一つ取り出す。中のコーヒーを注いで、ドナトに手渡した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
コーヒーを飲みながら、公園の様子を見る。曇り空の下、葉は紅葉し、落ちた葉をかき集め、子供が遊んでいる。
そうしながら、ドナトは無意識の間に、傷を負った足の部分をさすっていた。
「傷、痛むの?」心配そうに、クロエが聞いてきた。
「少しだけ」
痛みはだいぶ無くなってきていた。寝床に横になっている時は、気にならないほど。少し動くだけなら、重さを感じるが痛むことはなかった。
しかし、こうして長い間歩くと、鈍い痛みが真から響いてくる。
「だが、きっとよくなるさ」
「そうだよね」
「ただ」とドナトは漏らした。
「一体いつになれば、仕事に戻れるか」
もしこのまま、足の状態が良くならなければ、憲兵の仕事を辞めなければならない。もしそうなるならば。ドナトは言葉に出来ない不安に胸の内に沈んでいた。
「それなら、さ」
探る様な声を上げたクロエに、怪我をした足に目を向けていたドナトは顔を上げる。
彼女は、組んだ両手を落ち着かなそうに揉んでいたが、声を上ずらせながら言った。
「うちで働いたらどうかな、ドナトさん」
クロエは、ドナトの方を向かず、独り言のように言葉を吐き出し続ける。
「そうよ、それがいいと思うの。少し前から思っていたんだけどさ。結構、庭師の仕事ってのんびりしてるから、自分の調子に合わせて仕事をしても問題ないし」
「クロエ、君は何を言っているんだ」
「慣れるまでは大変だと思うわよ。でも、少なくとも今の仕事よりは危険もないし……」
「君は私に憲兵を辞めろと言っているのか」
ドナトの方をクロエが向く。彼女の顔は強張った。
「どうしたの、ドナトさん。こわい顔して」
「別に怖い顔なんかしてないさ」
「してるよ……もしかして、怒ってる?」
「怒ってもいない。それは君の勘違いだ」
「怒らしたなら、ゴメンなさい。そんな、まさか怒るなんて」
「怒っていないと言っているだろ。ただ私は、君の提案を受け入れることは出来ないよ」
彼女は理解が出来ないように、茫然とドナトの顔を見ていたが、何とか声を振り絞る。
「なんで」
「私は、憲兵なんだ。この仕事を辞めることは出来ない。辞める気もない」
「辞める気がないって、あんな目にあったのに」
彼女の表情は困惑から、非難へと移った。
「あんな危ない目にあったんだよ。もしかしたらドナトさん」
それから、クロエは少し言葉を切った。
「助からなかったかも、しれないんだよ」
怯えるように、彼女は顔を俯ける。合せたままの両手は、膝の上で強く握られていた。
そんな彼女を、諭すようにドナトは言う。
「それが憲兵という仕事だからだ」
自分でも驚くほど、語気は強くなっていた。
「憲兵に危険がつきものなのは分かっているだろ」
「でも、何もドナトさんが危険な目に合わなくても」
「他の誰かなら、君は傷ついていいと言うのか」
彼女は目を見開き、信じられないものを見るかのように、ドナトを見つめていた。
小さく息を吸い、何かを言おうとしたが、言葉は出てこず、代わりに悲しみが彼女の顔が支配していった。
「なんで、そんなことを言うの、ドナトさん」
「だってそうじゃないか」
「私はただ、貴方が……」
彼女は言葉を詰まらせ、まるで何かを求めるような表情を浮かべた。ドナトは堪らず目を逸らしたが、再び彼女の眼を真正面から見つめた。
「私はこの仕事に誇りを持っている。覚悟は出来ているんだ。もし再び、あんな目に合うとしても私は、この仕事を絶対に辞めはしない」
「私がお願いしても?」
「ああ、君だろうとね」
休憩を終えた二人は、気まずい空気の中、会話もなく歩いて行く。和やかな公園の喧騒も何もかもが遠くに行ってしまったようであった。
ドナトの自宅についたとき、玄関前で彼は言った。
「クロエ。ここまでで大丈夫だ」
クロエはぎこちない笑みを浮かべて別れを告げた。去っていく彼女の背中をドナトは見ていたが、不意にクロエが振り返る。
「あんなことを言ってゴメンなさい。ただ私。貴方の事が心配で」
「分かっているよ」
「だって、私。私……」
彼女は胸を押さえるようにしながら、悲しそうに足もとに視線を落としていた。
ドナトは、彼女に言う。
「ありがとう。気をつけて帰ってくれ」




