食品室番の少女・1
アルクオーレ王国の首都、ランフォーリャ。
かつて存在したインデアーレ帝国の土地の上に再建されたこの街。
街の中心として、誰もが上げるのがその王宮であった。
二百年近く前に建設された建物は、長い月日に改修を繰り返しながら今に至っていた。
広い敷地内には執務や国の会議を行う宮殿や軍の中央本部など。
そして、王族が暮らす宮廷があった。
宮廷と言っても、住むのは王族だけではない。
彼らの仕事を支える忠臣の一部や、遠くからか招かれた客人や貴族。
そして、彼ら住む者たちを支える為の多数の召使たちも、宮廷の中で暮らしていた。
生活の程度は違えど、日常的にかなりの人数が日々を宮廷で過ごしている。
どんな階級の者でも、生活の基礎となるのはすべからく食事であった。
王宮で働く者、王宮に君臨するもの、王宮を支える者の全てを支えていると言っていい。
食事を作っている宮廷の調理場は、まさしく戦場であった。
夕方、広々とした料理場内は、鼻が嬉しくなるような芳しい匂いと共に、取り付けられた三つの火元で燃え上がる炎が起こす、むせ返る様な熱気で覆われていた。
その一つ、煉瓦と鉄で出来たコンロの上では、大きな鍋一杯の水がグツグツと煮たっていた。そこに、パスタ職人が練り上げた麺状パスタを淹れると、熱湯の中でパスタが踊り出す。
隣のコンロでは、パスタにかける為のソースが作られていた。牛の頬肉と舌をじっくり、トロトロに仕上げた一品。
オーブンの中では今日のメインディッシュとなる『オオベタネ』と言われる魚が焼かれていた。焦げ過ぎないように、上級料理人がその前で、汗だくになりながら目を凝らして、赤く焔を上げるオーブンの中を見張っていた。
豪胆な表情で真っ黒な髪と口鬚を蓄えた彼は上級料理人であり、この厨房をまとめている厨房長でもあった。
魚は遠くから冷凍で運ばれてきた珍しい物で、仮にこれを自らの髪の毛と同じくらい真黒に焦がしてしまったら自らの名声に関わる大問題になると、彼は考えていた。
少し火の加減が強いかもしれない、彼がそう思ったとたん、オーブンの中の火が微かに弱くなった。
その火は、単なる炎ではない。
精霊師である彼の『精霊』が起こした炎であった。
火を操る赤の精霊は、厨房を扱う者にとってあこがれの存在だ。火をつけるのにいちいち苦労することもなく、火加減も思いのまま。
一流と言われる料理人は、赤の精霊師であるか、精霊師の部下が必ず存在した。
この調理場には、彼以外にもう一人、赤の精霊を操る精霊師がいた。
彼女は今、別のコンロの前に立ち、季節の野菜がたっぷり入ったスープを煮込んでいた。若い彼女の瞳には料理長の様な熱意はなく、何所かうんざりした様子も浮かんでいた。だからと言って、料理に手を抜く訳ではない。時折スープの具合を確かめては、火の加減の調節も怠らなかった。そして大丈夫だと判断すれば、他のコンロの様子を見に行く。
他にも複数の下働きがおり、計十人で人間がこの厨房の中で働き、国王やその家族への料理を準備にいそしんでいた。
※※※
しかし、胃袋を支えているのは厨房だけではない。
もう一つ、食材保存室の存在があった。
その名の通り、宮廷の食糧全てを保存する場所であるが、それだけはなく、サラダやワイン、アイスなどの、冷たい食材を準備する場所でもあった。
そちらは大きく二つに分かれている。簡単に言えば、冷蔵食品室と冷凍食品室だ。
そしてこれらの部屋では、厨房以上に精霊師の存在が重要であった。
火は精霊がいなくても起こせるが、冷たくする為の氷は、冬でもない限り精霊師に頼るしかないからだ。
熱気あふれる厨房に比べれば人数も少なく、それでも何人かが動き回る冷蔵食品室。
その隣の冷凍食品室の中にある少女が一人だけでいた。
少女は北の国々で見られるようなモコモコとした厚手の服を着ている。
首からぶら下げた、オールの木の首飾りの中央には、冷気を操る青の精霊石。それが胸元で淡く輝いていた。
傍らに、青く輝く耳のとんがった山猫の精霊が坐っており、それが唯一の光源であった。
光に照らし出されるフードを被った少女は、長い顔が目を隠し、表情は伺いしれない。
周囲の棚には凍らされた肉や魚が陳列されている冷凍力料室で、少女はいそいそと、樽から突き出たハンドルを回していた。
今日のデザートである、胡桃のアイスクリームを作っているのであった。
彼女、エメリア・ミッカウボは、宮廷の食品室番であった。
まだ十五になったばかりの少女だが、一年ほど前からこの宮廷で働き始めていた。
その仕事内容は、食品室内の材料管理である。冷蔵食品室と冷凍食品室を定期的に見回り、それぞれを一定の温度に保つのが主な仕事だ。
仕事に関してはそこまで難しいものではない。定期的に見回り、青の精霊で冷気を起こすだけだ。
夜中にも食品室番は必要だが、夜勤には別の人がいるし、週に一度の休みもある。
料理に関しては、デザートのアイスクリームやシャーベットを作ることを任されているが、それも毎食作る訳でもない。
後は、日常的に使う氷を作る事があった。これは王族ばかりではなく、客人や、使用人などでも自由に使えるように計らってあった。
そちらも場合は、作り置きしてある氷で事足りていた。
楽、というよりも暇とさえ言っていいような仕事内容だ。
その分、稼ぎもいい訳ではない。一般的な職程度には貰えるのだが、青の精霊師ならば、それ以上を稼ぎ出すのは極めて簡単だ。
何と言っても、冷やすという需要は大きいのだ。食品輸入や日常生活のちょっとした贅沢に、冷やすという行為の有用性は絶大である。その力を使い、氷屋を開くだけで、エメリアの稼ぎは簡単に今の数倍になるだろう。
だが、氷屋を開くならば接客が必要であった。
そしてエメリアは他人と話すのが大の苦手であった。
だから、あえて店を開く事もせず、宮廷勤めをしているのだった。たくさんの人が出入りするすが、外で働くのに比べて、ここに出入りする人間とだけ接点を持てばよいのだから遙かに気楽である。
そして、食品室番にイチイチ話しかけようと思う者は稀である。
つまりは他人と話す機会も少ない。
エメリアにはとても向いている仕事であった。
しかし、他に食品室番で働いている者は、いずれも中年以上の男の人ばかり。しかも勤務は基本一人。つまり、殆どを一人で過ごすことになる。
そのような生活では、友達も中々出来ず。
多少の寂しさを覚える事もあった。
最も、寂しさも趣味で紛らわすことが出来る。
その趣味は、この暇な職業にはぴったりであった。
エメリアの趣味は絵を描く事だ。
暇な時間が多いこの仕事は、絵に没頭するのに丁度いいのだった。