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憲兵の帽子・4

 十ノ月。


 季節が変わり、夏の暑さが去り始めた頃、マーテーは再び泥酔して派出署にやってくるようになった。

 以前よりも酷くなり、無断で休むことが何度もあった。



「良い加減、マーテーさんをどうにかした方がいいですよ」



 深夜の派出署で、そう言った部下の眼には、明らかな嫌悪が浮かんでいた。

 だが、それはマーテーだけに向けられているものではなかった。 



「区間長もあの人に甘すぎます。いくら恩人なんだか知りませんけど、今じゃただの酔っ払いじゃないですか」

「奥さんが亡くなったせいでああなったんだ。きっと良くなるよ」

「それも、二年以上前です。いい加減立ち直ってくれないと。付き合いきれませんよ。知ってますか、あの人、素面で来たときだって、この人の目を盗んでここでお酒を飲んでいるんですよ。上にバレたら、この二十一区全員の責任にも取られかねません」



 その事は、ドナトも分かっていた。それとなく注意したが、彼は飲んでいないの一点張りであった。


「第一、貴方達の体も持ちませんよ」


 マーテーが休んでいる穴は、ドナトともう一人の区間長補佐が埋めていた。 

 今日、ドナトが夜勤をしているのも、マーテーが無断欠勤をしたからであった。


 その日の朝、独房に入った者達を――その殆どは酔っ払いなど、大した罪ではない――檻から出すと、裁判に掛けられる者以外をその場で解放。残った者を裁判所行きの馬車に押し込めているうちに、早朝勤務の者達がやってきはじめた。

 早朝勤務の点呼を終えてから、夜勤の者たちから簡単に報告を聞く。

 その中でも重要そうなものだけをまとめ、それを王宮内の中央憲兵所在地に届けるよう部下の一人に託した。


 すっかり広場は活気がつき始めたころ、マーテーが申し訳なさそうな顔で歩いてきた。

 ドナトは何度も宥めてから、家に帰したのだった。

 それからマーテーは真面目に勤務を務めたが、三日後の土砂降りの日、彼は再び姿を現さなかった。



 今週だけで三回目だった。そのいずれもマーテーが代わりに入っている。途中で仮眠を入れているとはいえ、寝不足からの眠気と眩暈はどうしようもない。

 いつもより濃いコーヒーでドナトは眠気を誤魔化していた。

 窓を打ちつける雨音。

 雨が運んできた冷気は、室内にも容赦なく入り込んでくる。


 この土砂降りの中でも、巡回を怠ることは出来ない。

 体を冷やしているであろう部下の為に、奥の部屋に取り付けられた暖炉に火を入れていたドナトは、勢いよく開かれた扉に、入口に目を向ける。


 ズブ濡れの姿で現したの、一人の中年の男だ。顔は真っ白だが、それは寒さだけのせいでなさそうだ。白い息を吐きながら、彼は言う。


「憲兵さん。どうも、盗みが」

「スリですか」

「違う。向かいの家の様子がおかしくて、押し込みみたいだ」


 ドナトは顔を強張らせながら、あくまで冷静を装う。


「怪我人は」

「いや、分からない。向かいの家だから。そりゃあ」 



 ドナトは外套を羽織ると、男に案内を頼む。降りしきる雨の中、男について道を急いだ。

 男が案内したのは、広場の東側の込み入った道であった。男は、その角の一つにある、周りよりも立派な建物を指さした。


「あそこだ……」


 その時、中から悲鳴が聞こえた。ドナトは恐怖に怯えた顔の男に言う。


「貴方は派出署に戻ってください。もう間もなく、部下が返ってくると思うので、彼らに事情を告げて。お願いします」



 慌てて戻っていく男を見送ってから、ドナトは家に急ぐ。

 ドアをノックして、憲兵である事を告げる。中で誰かが動く音。それから、扉が開くと、老婆が姿を現した。


「大丈夫ですか。けが人は」

「怪我人はないですが……大事な……」

「憲兵さん」


 奥から、別の女性の悲鳴のような叫び声。



「裏から逃げたの、早く追って。あいつら、父さんの形見を盗んで!」



 すぐにドナトは裏手に回る。そこは彼らの庭であった。抜かるんだ地面には二つの足跡。

 その足跡の向けられた方向にドナトは走る。

 入り組んだ路地の中を進んでいく。いくらか走り回ったが、その姿はない。

 大通りにでる。姿はない。

 そこから公園に伸びる道を見る。一つの影が、こちらに背向けていた。

 土砂降りの中傘もささず、脇には大きな荷物を抱えている。


「待て!」


 ドナトが叫ぶと、向こうは一度振り向く。それから走りだした。

 ドナトは、一瞬を体現さえようかと考えた。だが雨は、姿を体現させることへの邪魔となる。特に、ドナトの黄の精霊は、雨の中では力が散漫しやすい。誤れば力がこちらに跳ね返ってきてしまう。そうしている間に、相手は角を曲がっていた。


 結局、精霊を体現させることはなく、ドナトも彼の後を追う。

 彼らは雨の中、人のいない公園を進んでいく。公園を出ると、すぐに右に曲がる。ドナトも彼の後を追う。



 その時、目の前で男が待ち受けていた。

 彼はドナトに覆いかぶさる。ドナトは、石畳に強く体をうちつけ、うめき声をあげる。

 男は、手に持っていた刃物を、ドナトにつきたてようとした。ドナトはそれを抑える。何とか押し返し、今度は逆に、ドナトが男に乗る。持って来ていた鉄錠で男の腕を縛ろうとするが、男は刃をドナトの太ももに突き立てた。



 うめき声を上げたドナトを、男は突き飛ばした。男はよろめきながらも立ちあがると、近くに置いてあったカバンを脇に抱え、逃げていく。

 ドナトの足には、ナイフが刺さったまま。立つことは出来なかった。

 相手は、真っ直ぐに進んでいく。

 ドナトは、懐からペンダントを取り出した。呼吸を整えながら、意識を集中させる。取り付けられた精霊石が、暗闇の中、黄に輝きはじめる。


 そして、閃光ののち、ドナトの精霊、リグ・エリが体現した。

 リグ・エリは、まるでドナトを心配するように首を傾げていた。

 向こうの男は、まだ視界から消えない。

 ドナトは心の中で、リル・エリに命令した。



 次の瞬間。まばゆい閃光となったリグ・エリが一直線に男に向かう。 

 男とリグ・エリがぶつかる。男は体を激しく振動させると同時に、地面に膝をつき、倒れ込んだ。

 それを見る事もなく、ドナトの意識も、ゆっくりと闇の中へ落ちていった。

 




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