憲兵の帽子・3
季節は巡り、夏。
容赦ない熱気が、空から降り注ぐ。
この時期になると、憲兵の制服を着込んでいるのは余りにも辛い。昼間に見回りをする巡査達にとって、極めて厳しい季節であった。
それでも、服を着崩すことはできない。
それは憲兵の威厳に関わる事であるからだ。
派出署の室内、ドナトは汗をぬぐってから、再びしっかりと帽子をかぶった。
窓の外に目を向ける。クロエの屋台の上には、大きな日傘が差されていた。
その下に二人の人影。炎天下の中でも、クロエと、パラヤは声を張り上げていた。
巡回をしていた部下の一人が戻ってくる。ドナトは壁に掛けられた時計を見た。戻ってくるには少し早い。
彼は、手に包みをぶら下げていた。
「暑さが堪りませんね」
「お疲れ様。ところで、それは」
「巡回中に、仲良くしてるおばさんから貰ったんですよ」
包みを解くと、中から沢山の艶のある白なナスが、机の上に転がった。
「菜園で沢山出来たから、憲兵の皆さんにおすそわけだそうです。区間長もどうぞ」
どうやら、それを置きに来たようだ。部下は一つを手に取ると、かぶりついた。
早々に食べ終えた部下は、白ナスを一つ、ポケットに入れてから、巡回に戻る。
再び一人になったドナトは、白ナスの山から小ぶりなものを一つ手に取ると、そのままかぶりつく。
程良い甘みと柔らかな実の食感が、暑さに消耗した体に心地よく沁み渡った。
白ナスは、人々にとってなじみのある夏の果実だった。
こんなモノですら、幼いころのドナトでは、滅多に食べられるものではなかった。
ドナトの母は、厳格な精霊師だった。
父親の事はドナトは知らない。ドナトが物心ついた頃には、母と二人暮らしだった。
母親は、かつては軍に所属していたが、その頃には田舎で精霊師の力を使い、細々と暮らしていた。
母はドナトに、自分と同じように軍人になることを望んだ。そしてドナトに精霊師について付きっきりで教えていた。食事一つをとっても、精霊師の毒になる物はいけないからと、厳しく指導された。
だが、ドナトは母親が望むほどには、精霊師としての実力は伸びなかった。
そんな母も、病魔によってあっけなく死んでしまった。
お金は殆ど残されていなかった。
ドナトには、他に頼る者もなく、仕事を求め、そして母の願いを叶える意味でも軍に入ることにした。そして憲兵隊に所属し、この第二十一区にやってきた。
始めの頃は散々であった。日常生活すらまともに送れなかった。どこで何を買い、どうすればいいのか。言われた事を守るので精いっぱいで、何をやるにも許可を求めた。同僚からも馬鹿にされ、気味悪がられた。
それでも、区間長であったマーテーは優しかった。
何か失敗するたびに、彼はほがらかな笑みを浮かべてこう言った。
「なあに、気にするな。お前は真面目だからな、いつか、いい憲兵になるさ」
マーテーには、家族ぐるみでお世話になった。食事を準備してもらい、何をどうすればいいか、分からないことを聞けば嫌がらずに教えてくれた。
仲間たちもドナトを馬鹿にしながらも、色々と教えてくれた。
いつしか、マーテーの言っていた通り、ドナトは周りからも信頼される、立派な憲兵になることが出来た。
そして、今では若くして区間長にまでなれた。母親はもっと高い地位をドナトに望んでいた。しかし、ドナトにとっては今の生活で充分であった。
奥から休憩中の一人が現れる。彼は白ナスの山を見て、嬉しそうに手を伸ばした。
広場に目を向ける。店の前でクロエが頭をぬぐっているのが見えた。
ドナトは白ナスを二つ手に取ると、白ナスを頬張っていた彼に一言告げて、派出署を出て彼女の元へ向かう。
売り声を上げようとしたクロエは、ドナトに気が付く。
「ドナトさん。どうかした?」
「巡回中の部下が貰ったものなのだが、どうかと思って」
「立派な白ナス。頂いていいの?」
「ああ。パラヤさんも」
「あら、これはどうも」
クロエの傍らにいたパラヤは、気持ちの良い笑みを浮かべた。クロエの表情の作り方は、実の母よりも、パラヤに似ていた。
「そうだ。お礼って訳じゃないけど」
パラヤは、白ナスに噛り付いているクロエの足元に置いてるカバンを手に取った。
中から取り出したのは、一本の瓶だ。
「こちら。旦那様が作ったワインなんです。渡すように言われていて」
「これはどうも」
ビンを受け取ったドナトに、クロエが声を高く提案した。
「そうだ、良かったら木陰で一緒に飲まない?」
「クロエ、私はまだ勤務中だよ」
「いいじゃない、たまには。憲兵帽を脱いでさ。お父様もお酒の感想が伝えなきゃ」
「そうはいかないよ」
「諦めなさい、クロエ様」パラヤが笑う。
「ドナトさんが、勤務中に帽子を脱ぐ訳がないじゃないですか」
「後で味わわせてもらうよ」
そうドナトが告げると、残念そうにクロエは小さく肩をすくめた。
それから、ワザとらしい口調でクロエは言った。
「所で、憲兵さん。私、憲兵さんに少し御話があるのですけど」
「どのようなかな」
「ここでお話するのは……ねえ。辺りをぐるりと周りながら、お話したいのですけど。いいかしら、パラヤ」
「いいですよ。お店は私一人で見ていますから」
「だそうですけど、憲兵さんは、どうでしょう?」
「そうだな、少しだけだぞ」
「ホント、やった」
ドナトは、一度派出署に戻り、そこで控えてきた者に外出を告げる。
二つ目の白ナスを食べながら、椅子に座って冊子を読んでいた同僚は小さく手を振って返した。
それから、クロエと広場を後にする。
とはいっても、本当に辺りを一回りするだけだ。クロエはたまに、こうして一緒に歩きたがった。
旧市壁を西に沿った道へ向かう。第一門から西の部分が残っており、それはそのまま今の市壁まで繋がっていた。広場は大きく賑わうが、こちら側に入ると辺りは閑散とする。
「最近は暑くて堪らないよね。こう暑かったら、お花も直ぐに枯れちゃうし」
「そうだな」
少し進んだ所に、大きな公園があった。
日が照る中でも、人々の姿は多く見えた。木の下で寝転んだり、遊んだり、様々であった。二人は公園の中にある、並木道へ向かう。並び木々の緑で、通りは眩しく輝いていた。木陰になる部分をゆっくりと二人で歩いて行く。
「そういえば、ドナトさん知ってる? フィルーポリ地方だと、この季節にはたくさんのイチジクの花が咲いているんだって」
「ほう」
「お父様から聞いたの。いつか見てみたいよね」
「そうだな」
何か思いつくようにクロエは言った。
「そうだよ、いつかみんなで行ってみましょうよ。フィルーポリにさ。ウチの家族や、マーテーさんも一緒に」
「ああ、それはいい。マーテーさんも喜ぶよ」
最近は、マーテーも酒を飲むのを押さえるようになったのか、泥酔した状態で派出署に来る事は無くなった。本人も、もう大丈夫だと言っていた。
ふと、クロエはドナトの顔を覗き込んでいた。
「ドナトさんも、来てくれるよね?」
「どうだろうな……仕事があるから」
「えー、いいじゃない。少しぐらい休んでも」
「休めればいいんだがな、私は区間長なんだ」
「もう、真面目なんだから」
呆れるようなクロエだが、そこまで怒っているようでもなかった。
並木を抜けた所に、フェール(未発酵の酒)スタンドがあった。沢山の人がその前にたむろしている。ドナトは、持って来ていた二つのコップを差し出し、リンゴのフェールを注文。近くの氷屋が副業で行っている店で、飲み物と共に、冷たい氷を一欠片入れてくれる。
離れた場所に待っていたクロエの元に戻ると、片方を手渡した。
「ありがと」
クロエは、それを口元に運ぶ。縁を唇に添え、傾ける。汗ばんだ喉が波打った。
小さく肩で息をついたクロエは、ドナトの方を向くと恥ずかしそうに微笑んだ。
「なに見てるの、ドナトさん」
「いや」
それから、ドナトもフェールを口に運ぶ。冷たい甘みが口の中に広がり、ゆっくりと体の中へ溶けていった。




