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憲兵の帽子・2


 昼食も終え、事務所の受付に座っていたドナトがふと、花屋の方へ向く。


 

 二人の男がクロエに言い寄っているのが見えた。

 クロエは相手にしていないが、男たちは諦める様子はない。そんなとき、クロエが派出署の方を見ると、こちらを指さしてくる。

 振り返った男たちはドナトを見て驚いていた。クロエが二、三言告げると、安い花を一輪買って去っていった。

 それから、小さく手を振ってきたクロエに、ドナトも手を振り返すのだった。

 ここ最近、あのような客をよく見るようになっていた。



 理由は、ドナトも思い当たる。かつて、同年代の子と比べても小さかったクロエも今では立派に背が伸びた。それに伴い、太り気味の体系もスラリとし、それでいて女性らしい肉付きとなる。顔にあったソバカスも消え去り、健康的な小麦色の肌となった。

 彼女は、すでに少女ではなく、一人の美しい女性となっていた。



 

 夕方、時を告げる鐘が鳴り響き、屋台は入れ替わりの時間となった。クロエも店も片づけを終わらせると、去り際に挨拶にやって来た。



「じゃあ私、もう帰るね」

「クロエ、一ついいかな」

「どうしたの、ドナトさん?」

「昼ごろに男たちに絡まれていたが」

「ああ、あれ? よくある事でしょ。あれがどうかしたの」

「そうだが、少し君も気をつけた方がいいんじゃないか」

「気をつけるってどうやって?」


 可笑しそうに、クロエは笑う。


「仕事柄、ああいう事もよくあるでしょ。自慢じゃないけど、私は奇麗だしね」


 胸に手を添え、得意げにクロエが言う。彼女は、自らの容姿を十分に自覚していた。商売で、それがこの上なく利点となることも。


「この前なんか、画家のお方から、絵の題材にならないかって言われちゃったもの」


 それはドナトは初耳だった。

 おそらく、ドナトが休みの日の出来事だったのだろう。


「まさか、了解をしたのか」

「いいえ。興味ありませんって言ってやったわ。エルネー・バウルロード様見たいに、有名なお方なら未だしも、画家志望の人に描かれてもね」

「そうか」

「私が絵の題材になるのは嫌?」

「嫌という訳じゃないが。そう言う輩は不埒な者が殆どだ」

「偏見じゃない?」

「いや、これは憲兵としての私の経験だよ。君に言ったようなことに釣られてついて行ってしまった結果、彼らに弄ばれて身を落としてしまった女性達をたくさん見たからな」

「つまり私が、娼婦にならないか心配という訳」



 濁した部分を、ズバリ言ってくる。言葉を詰まらせたドナトに、クロエは窓枠の柱に寄りかかりながら微笑む。


「フフッ、私だって接客をやっているんだから。人を見る目はあるつもりだけど。でもまあ、そうだね。私も油断をしたら。変な男に捕まっちゃって、そう言う事になるかもしれない」

「クロエ、冗談でもそんな事を――」

「でも、もしそうなったら、ドナトさんが私を貰ってくれるでしょ?」


 彼女は僅かに首をかしげ、穏やかな笑みを浮かべていた。



「そうなった私は、嫌?」



 静まり返った派出署の中。外からの喧騒が遠くに聞こえる。

 それも、数秒。


「なんてね」



 おどける様に笑ったクロエは、派出署を後にした。

 窓から、彼女の背中にドナトを眼を向けていた。

 彼女の背後を、二人の子供がすり抜けて行った。


―――

――



 その日の夕方。広場の賑わいも昼とは変わり始め、クロエの花屋も既に姿を消していた。

 街灯に火をつけて回る街灯点火夫に声をかけ、ランタンに火を分けてもらう。

 そこから、署内のランタンに火を分けていくように部下に命じた。


 ドナトの勤務時間は間もなく終わろうとしていた。

 署内には、夜勤の者達が次々とやってきていた。

 だが、ドナトの後を継ぐはずの、区間長補佐はまだやってこない。


「どうします。そろそろ点呼が始まりますけど」


 部下の一人が、受付の方にいたドナトに声をかけてくる。少し悩んでから、ドナトは答えた。


「じゃあ、今日は私がやろう」


 立ち上がろうとしたとき、扉が勢いよく開かれた。見ると、見回りから帰ってきた部下だ。

 その後ろから、彼の相棒が、肩に白髪の男を抱えてやってきた。

 抱えられた人物に、ドナトな息をつく。


 彼、マーテー・オーティルバこそ、ドナトが待っていた区間長補佐であった。

 手には酒瓶。酒の匂い。

 先に入ってきた男が、呆れる様に言う。


「酔っ払って、ふらついているところを見つけたんです。手押し車を取りに戻ろうか、悩みましたよ」

「御苦労様」


 マーテーを奥の部屋に運ぶように指示をする。その間、マーテーは何かブツブツと言っていたが、聞きとれなかった。



「どうするんです」と、これから夜勤の部下が言う。

「こんなんじゃあ、夜勤なんても出来ませんよ?」

「そうだな……マーテーさんの酔いが覚めるまで、私が残っているよ」

「またですか?」

「君が言ったじゃないか。ああ飲んでいたら、仕事にはならないって」

「ですけど、前もあったじゃないですか。なんで、勤務態度を上に報告しないんですか?」

「そうすれば仕事を失うだろ。君はまだ来たばかりだから知らないだろうが、彼は本来、立派な人なんだ」



 マーテーは、ドナトの前任の区間長でもあった。三十年以上この仕事を続けているが、歳をとったこともあり、二年前に区間長を退き、ドナトに譲ったのだ。

 出会ったばかりのクロエの世話を申し出たのも彼であった。

 しかし、奥さんを亡くした三年前からお酒の量が増え、最近ではこうして酩酊した状態でやってくることもあった。 

 不満げな部下に、ドナトは言った。




「さあ、点呼をやろう」



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