サウンドオブミュージカル・1
そもそもの始まりは、ローナ・オーツェラーの嘘であった。
彼女はアルクオーレ王国の貴族の生まれであった。
貴族になれたのも彼女の父親が武功を上げたからなのだが、残念ながらその父親は、貴族が何たるかをまるで理解、いや興味すら持っていなかった。
彼は貴族になれたならば、その称号だけで自分は十分に貴族であると踏ん反りかえっていたのだ。かつては自分が憎んでも憎み切れないと思っていた貴族になった今、その地位を十分に楽しんでいた、という訳だ。
しかし、貴族とて貴族の苦労はある。
彼らには色々と細かいルールやマナーがあるのだ。
だが、彼はそんなものは貴族になった瞬間に勝手に身につくとばかり考えていた。
当然、そんな訳がない。
貴族としての振る舞いを覚えることも、自らの剣の腕前を磨くのと同じくらい大事というのを、まるで理解していなかったのだ。
その結果、たとえ彼は他の貴族と交わるっても、彼は嘲笑の的にされていた。
とはいえ、元より鈍感なタイプであり、そんなことをまるで気にとめていなかった。
その癖、自分の妻はそのような場所には不釣り合いと、自分と同伴させる事もなかった。
鈍感な人間ならそれでいいだろう。
しかも、彼は貴族という称号の前に、一人の軍人だった。貴族として馬鹿にされても軍人であることの誇りがあれば、彼には十分だった。
所が、娘であるローナはこうはいかない。
生まれた時には、豚に征服されたような片田舎の貴族であり、しかも彼女は母親同様、他の貴族との交流を持つことを許されなかった。
その結果どうなるかと言えば一目瞭然、わがままでマナーのマの字も知らないような、お転婆というにはあまりにも尊大過ぎるクソガキに育っていた。
そんなクソガキ、もといローナも十四の良い年頃になったとき。いい加減、豚の数を数えるのにも飽きていた。
「私、ランフォーリャに行ってみたい!」
ランフォーリャ。
それは、アルクオーレ王国の首都である。まさしく国の中心地で、繁栄を謳歌する街に、年頃の娘が行きたがるのも当然のことである。
なにより、そのような場所には、ローナと同じような若い貴族たちのたむろするサロンが多数ある。そこでの出会いやロマンスを求めるなというほうが酷であろう。
ローナを溺愛していた父親は、多少渋りながらも、ローラに押され結局承諾する事にした。
ランフォーリャに別荘を構えた父親は、ひとまず、ひと夏をそこで過ごすことにした。
父親は心配していた。可愛い娘が、変な男に引っ掛かってしまわないかと。
幸いにしてそのような事にはならなかった。
変なのはローラの方だったからだ。
まるでマナーを知らないローナを笑うなという方が無理である。所構わずゲップをするわ袖で鼻をすするわ、声はデカいしお淑やかさ妖艶さも何一つ持ち合わせていない。
これでは、街を走り回るどこの馬の骨とも知れないガキと何も変わらないではないか。
父親だったなら、それも稀代の鈍感さで乗り越えられただろうが、残念ながら娘はその父に比べれば、まだ感受性を持ち合わせていた。
相手にされないどころか笑い者にされていると知ったローラはその日、酷く悲しみながら両親に泣きついた。
これはまずいと、両親が気がついたのはもう遅い。
既に娘は恥ずかしめを受けてしまっていたのだ。この哀れな娘の為に、一刻も早くどうにかしなければと。だが、どうすれば。誰に、そもそも何を聞けばいいか、父はまるで分からなかった。マナーをまるで覚えず、また注意されても意をかえさなかった彼は、爪弾き者にされていた。
それは母親も同様だ。だが途方に暮れている父親と違い、まだどうにかしようと考えを巡らせていた。
そして思いついたのだ。
「『シェルソン』に留学させましょう」
シェルソン。それはアルクオーレ王国の隣国であった。
このオーヴェスト大陸で二番目の大きさを持つ国家であるが、特徴はそれだけではない。
洗練された文化を持ち、流行の発信地であった。
現在の貴族文化の原型を作り上げる際にも、シェルソンは多大な影響を与えた。
いわば、貴族文化の本場。
そこで娘を学ばせれば、この街でも、他の貴族たちに引けを取らない貴族の教養を、身につけさせることが出来るだろう。
丁度、数少ない知り合いがシェルソンの首都に滞在しているからだ。
彼女に娘の世話を頼めば、問題はない。
娘にとってもその提案は、青天の霹靂であった。
何と言っても、ファッションや芸術の中心地なのだ。シェルソンの首都に比べたら、このランフォーリャの貴族文化など豚小屋に等しい。
そこでマナーを身につけることが出来れば、一気にトップまっしぐら。笑ってたあの子もこの子もみんな私を尊敬決定。
思ったならば行動も素早い。そうして娘はシェルソンに向かう事になったのだ。
だが、夢とは儚いものである。
そもそも、豚小屋のような田舎からランフォーリャに出てきて痛い目にあったローナなのだ。
そのランフォーリャが豚小屋と感じられるほど洗練されたシェルソン。
そこの上流階級のサロン文化はランフォーリャなど比にならないほど洗練され、殺伐としていた。
誰もが笑顔を浮かべ、その裏にあるのは算段のみ。誰に味方するべきか、誰を無視するべきか。昨日まで仲の良かった人間が、次の日からは完全な赤の他人になってしまう事も日常茶飯事。
時流を読み違え、人々が完全に離れてしまえば、あれよあれと言う間に貴族社会から脱落してしまう。尊敬を失った貴族は、生きるに値しない。それが貴族の流儀であった。
そんな事はまるで思いもよらず、外国から来たのだから優しく教えてくるれるだろうと的の外れた妄想をローナ。
いわば彼女は、幾多もの歴戦の戦士たちが死に絶えた戦場の真っただ中に、ピクニックにやってきたようなものだ。
そして、ローナは早速にポカをやらかしてしまった。
大丈夫、まだ挽回できるなどとローナは思っていたが、残念。
もう失格ある。
ランフォーリャならばまだ、まだ馬鹿にしながらも話しかけてくれる。
しかし、この地でそのミスは、すなわちさようなら。
無視。ダンマリ。即座におなざり対応。
圧倒的に打ちのめされたローナは。
「もう嫌だああぁぁぁあ! お家帰るううぅう~~~!」
と、実家の片田舎に岐路についたのだった。
しかしそのまま田舎にひっこんでいるかといえば、そうでもなく。流石の彼女にも意地があった。
シェルソンは所詮は他国。
だが、自国の者達にまで馬鹿にされたままでは嫌だ。それも示しがつかない。
それからローナの家はマナーの先生を呼び、自宅で猛特訓を始めたのだ(今さらである)。
そして短期留学(一日)を終えた終えたローナは、しっかりと(実家で)身に着けたマナーをまとい、再びランフォーリャのサロンに向かったのだった。
見間違えるほどしっかりとしたマナーを学んだローナに、誰も驚いた。
それはいわばマイナスがプラスマイナスゼロになった程度のものである。
だが、そうと思わせないのは、彼女がシェルソンで学んできた『とされる』故であった。
彼らが気にするのは、彼女の身に着けたマナーだけではない。
なんといっても、シェルソンは、流行の最先端なのだ。
「ねえ、ローナさん。シェルソンでは、どんな服が流行っていたのですか?」
「シェルソンの男の人って、どういう帽子をかぶってる?」
「シェルソンの人は今、霊獣をペットにする事が流行っていると聞いたんだけど。ゴブリンとかでもいいのかな?」
そのいずれかも、シェルソンに三日といなかったローナには答えるすべはないはず。
しかし、ここで彼女はある秘策をとっていた。
その名も、『月刊・シェルソンの世界』。
毎月発行される冊子である。これによってシェルソンの流行などをつぶさに(大体二か月遅れくらい)で掴むことができるのだ。
この冊子を選んだのは様々だが、一番なのはこれがまた別の国の冊子であることだ。
似たような冊子はランフォーリャにもあるが、残念ながらその情報は古く(大体三か月遅れだ)、しかも情報量も『月刊・シェルソンの世界』の半分以下だ。
その冊子を、家にこもっている間、ひたすらに読みまくった。
それが、彼女をまさしくシェルソンからの帰国子女たらしめたのだ。
しかし問題もあった。
国外の冊子であるのだから、当然文字は別の国のものなのだ。
幸いにして自国の文字は読み書きできた。基本的な言葉も共通しており問題はない。
ただ、たとえ文法や発音が同じでも、文字が違うのは少々厄介であった。なにより、こちらでは使われてないような言葉もあるし、特有の略し方などは理解出来ない。
翻訳辞書を引きながら翻訳したが、どうしても一部で翻訳ミスがあった。
結果、ローナはある嘘をつくことになった。
発端となる記事は、ちょうどランフォーリャに来る直前に届いた冊子に書かれていた。
「今は、向こうで『ミュージカル』が流行っているのですよ」
ミュージカル。それは演劇の中に歌や踊りをつけたものだ。それだけならば別におかしい事はなかった。しかし、問題はこの後だ。
「なんですの、ミュージカルって?」
「それはね、普段の会話の時に歌や踊りに乗せて気持ちを込め、高らかに歌い上げるものよ」
「このようにね」とローナは立ちあがると、
「これがぁ~ ミュ~ジカ~~ル~♪」
歌いながら、クルクル回り出したのだ。
当然、みんな茫然自失。いや、流石におかしいだろう。しかしそれがおかしいかどうかは誰にも分からない。
なぜなら、誰もミュージカルを知らないのだ。
そしてローナは現在、シェルソンの第一人者。
彼女が正義であった。
それでも、普通だったなら、凄い文化だな、で終わっていただろう。
実際誰もが、ちょっと自分たちには早すぎるかな? という想いがあったのだ。
所がそうはいかない理由があった。
それはアンナ・キエイチーフとレオンシオ・タスフェイベの対立であった。
彼女、アンナ・キエイチーフと彼、レオンシオ・タスフェイベは共にランフォーリャの都市貴族であった。両親は共に仲に悪く、その結果、アンナとレオンシオもめちゃくちゃに仲が悪かった。
最も、それを表だって出すことはない。胸の内に出来るだけ隠す。それは上流階級の嗜みであった。彼らは日常の中でさり気なく競い合う。
方法は、マナー、優雅さ。煌びやかさ。
そして、流行だ。
ローナが言った次の日。
サロンに現れたレオンシオとその金魚のフン数名。
最初は他愛のない会話をしていたが、レオンシオは金魚のフンに目くばせ。そして窓の外にゆっくりと目を向けると。
「しかあ~し~今日は なんて~良い日なんだろう~♪」
「「「本当だよね~ レオンシオ~♪」」」
「君たちも~そう思う~よね~♪」
金魚のフンが一斉に頷いた所で、レオンシオは周囲を見渡す。
すっかり静まり返った室内、注目は完全に彼らに向けられていた。その中に、アンナを見つけた。
レオンシオは、特に彼女に飛びきりのドヤ笑顔を見せつけたのだ。
それを見せられて、アンナの顔は怒りに真っ赤に燃え、手に持っていたカップはプルプルプルプルと震えあがっていた。
それから、短く咳をしたアンナは、
「失礼」
と告げて、サロンを去っていったのだ。
完全にレオンシオの勝利であった。金魚のフンと周りの者達に満足そうに笑みを浮かべ、勝利をかみしめた。
だが、彼も馬鹿ではない。これは始まり。
宣戦布告に過ぎないと。




