夕食を共に
ぐうううう。
イリヤが抱きすくめたスヴェトリアの体から、異様な音が聞こえた。
驚いて覗きこむと、スヴェトリアが恥ずかしげに顔をそらしてつぶやいた。
「……おなかすいた」
思わず苦笑が漏れる。
だが、イリヤ自身も空腹を感じていた。
竜を心象世界の外に出すと、普段以上に活力を消費するのだ。
タイミング良く、遠くから鐘の音が聞こえる。
おそらく授業の終わりの合図だろう。
すでに食堂は空いているはずだった。自室に運んで貰うことも可能とのことだったが、一通りの施設は一度利用して置いた方がいいだろう。
「それじゃ、ご飯食べに行こうか」
「うん!」
食堂の場所は寮長から聞いていたので迷う心配はなかった。
本棟一階にある食堂に近づくにつれちらほらと学生の姿が増えてくる。
イリヤを見て不思議そうな表情をつくる生徒も幾人かいた。制服の襟章を見る限り、みな初年生のようだ。同学年なのに見覚えのない顔があることを疑問に思っているのだろう。
中には、勘がいいのか情報通なのか、訳知り顔で級友に耳打ちしている者もいた。
(みょうな感じになっちゃったな)
注目の的になっている訳でもなく、かと言ってその他大勢として埋没している訳でもない。中途半端な状況だった。
教官室で会った担任は、明日の最初の授業で級友たちに紹介すると言っていた。その後ならほとんどの生徒が事情を知っていて、もしかしたら気さくな誰かが話しかけてくれたかもしれない。あるいは、自分から声をかけることも出来ただろう。
逆に誰もイリヤを気にしない状況ならただの一生徒として食事を済ませたはずだ。
微妙な注目を浴びながら一人で食事をとるというのはあまり魅力的ではなかった。竜騎士学校に入って最初の夕食の味も悪くなるというものだ。
(やっぱり持ってきて貰って部屋で食べようかな)
そんなことを思いつつも決心をつけかねたまま歩くイリヤの背後から、ぱたぱたぱた、と小走りの足音が聞こえてきた。自分に関係あるはずもないと気にせず歩き続けていたイリヤのすぐ後ろで足音は普通の歩調になり、彼の袖をくいくい、と誰かが引いた。
「ん?」
振り返ったがそこには誰もいない。いや、視線を少し下げると白銀色の髪が見えた。
「ゼノビア!」
思わず喜びの声をあげてしまう。イリヤの顔にほっとした表情が浮かぶ。この学校でほぼ唯一の知人に会えたのだ。これで居心地の悪さからは解放されるだろう。
ゼノビアの方は相変わらず表情が薄い顔つきだったが、どことなく緊張しているような様子だった。
「イリヤが歩いてるのを見つけたから」
と、なぜか言い訳するように言う。迷惑がられたらどうしよう、とでも思っているかのような態度だった。
しかしイリアはゼノビアとの再会を喜ぶの忙しく、そんな様子には気付かなかった。気付いたとしても、迷惑とは真逆の感想なのだから気にしなかっただろうが。
「それで声をかけてくれたの?ありがとう。正直、一人でどうしようかって思ってたんだ」
心底ほっとした表情のイリヤに、ゼノビアもようやく安心したようだった。緊張が解けた様子でイリヤと並んで歩きだす。
「今から食事?」
「うん。そのつもり。あ、もしよかったら一緒に食べない?昼間案内してくれたお礼におごるよ」
「いいの?」
何気ない提案に、ゼノビアが驚いたように聞き返してきた。
そこまで驚かれるようなことかな、と思いつつ頷く。
「もちろん」
「そう。じゃあ一緒に」
返事はそっけなかったが、銀髪の少女の顔に浮かんだ表情は嬉しげだった。
その表情は「一緒に食事」と「おごる」、どちらに由来するものなのだろう、とイリヤは考える。
(「一緒に」の方だといいな……なんて思うのは自意識過剰なんだろうな、やっぱり)
考えてみれば年頃の少女と二人きりで食事など生まれて初めての経験だ。特に意識せずに誘えてしまったのは、居心地の悪い食事を回避したいという思いが先行したからだろう。
そう考えると、さっきまでの居心地の悪い雰囲気に感謝したい気分だった。
基本的に全てが公費で賄われる竜騎士学校だが、食堂の利用は有料である。
帝国貴族はその封土でもって自らと竜を養うのが第一の義務である、という考えが根深いのと、食事量の個人差が激しすぎるため一律無料にしてしまうとどうしても不公平感が否めないからである。
一般的に、強力な竜ほど多くの食事を必要とする。亜竜と契約している竜騎士と大竜と契約している者の食事量の差は数倍ではきかない。
スヴェトリアはまだ仔竜である為、平均的な小竜よりも必要な食糧は少ないが、それでもイリヤの食事は契約前の十倍以上増えた。
今も、彼の前には籠一杯のパンや、鶏肉を丸揚げ、鍋と見まごうばかりの皿に入ったシチューなど、十人前どころではない量の料理が並んでいた。
だが、ゼノビアの前にある料理は、イリヤの分の倍以上だった。
食堂の支払いは現金ではなく家への個別請求なので持ち合わせを気にする必要はないが、森番時代の一年分の収入にも匹敵しそうな量だった。
「女の子にいうことじゃないけど、凄い量だね」
次々と運ばれてくる料理を、小さな口で遅滞なく食べ続けるゼノビアに呆然と声をかける。
分厚い牛肉のステーキの最後のかけらを口に運んでいたゼノビアは。もぐもぐと咀嚼し、飲み込んだ。 オレンジの果汁を搾った飲み物で口の中をさっぱりさせてから答える。
「わたしの竜は一杯食べるから」
そう言いながら給仕に合図して次の料理を注文している。彼女の相棒は実際大した健啖家の様だ。
驚くを通り越して感心しているイリヤに、ゼノビアが疑問を投げかけてきた。
「女の子にいうことじゃない、ってどういう意味?」
「普通、女の子を大食い扱いするのって失礼じゃない?」
「むしろ褒め言葉」
イリヤの庶民的な感覚と貴族のそれとはだいぶ違いがあるようだった。
強力な竜ほど大量の食事を必要とすることから、大食は貴族にとって武勇の証明にも近いことらしい。
なかには、見栄を張って無理に食べすぎ、肥満してしまう貴族もいるということだった。
「わたしはもっと食べなきゃいけないくらい」
たしかに、小柄な彼女にとってはこれだけの量を食べるのは大変だろう。
ちまちまと食べ続ける姿はかわいらしくもあったが、本人にとっては切実そうだ。
(それはともかく)
やはりというかなんというか、結局イリヤは周囲の注目を集めていた。
ちらちらと向けられる視線の他に、ひそひそ声も聞こえてくる。この僅かな時間に噂が広がって、上級生の間にもイリヤの素性が伝わってしまったようだ。
「なんか、ごめんね」
いたたまれなくなってゼノビアに謝罪する。
牛肉の煮込みにサワークリームを加えた料理に取り掛かっていた彼女は、気にした様子もなく首をふった。
「大丈夫。慣れてる」
言われてみれば、確かに彼女も注目を集めそうな生徒だった。
幼くさえ見える小さな体とこの大量の料理はそれだけである種の見物だったし、彼女自身あまり人づきあいが得意そうには見えなかった。
遠巻きに眺められるのは、日常茶飯事なのかもしれない。
それならば、僕も気にせず食事を楽しもう。イリヤはそう思った。
せっかくの美少女と二人きりで食事をできるのだ。周囲の視線など気にするものか。
「そういえばさっきから南の方の料理ばかりだけど、ゼノビアの地元の料理なの?」
帝国南部は牧草地帯が広がっており、牛肉料理が有名だ。たしか、ゼノビアはそちらの出身だと聞いていた。
「そう。このビーフポグロムは実家の名物料理。わたしも大好き」
「へえ。それじゃ僕も頼んでみようかな……でも、さすがにちょっとその量はもう食べられないかな」
なにしろキロ単位で数えた方が早そうな量のパンを食べ、飲み物であるかのようにシチューを詰め込んだのだ。そのほかにも肉や野菜を大量に。胃に入った食料の大半が"竜約"に付随する効果で分解されるとはいえ、テーブルに残っている料理の量を考えるとこれ以上の追加注文は控えた方がよさそうだった。
「そう」
興味なさそうに応じたゼノビアだったが、ビーフポグロムの皿に視線を落したままスプーンを止めている。
そのまま数秒躊躇したあと、意を決したようにイリヤの顔を見た。
「よかったら一口食べてみる?」
「いいの?ありがとう。それじゃあ―――」
取り皿を用意して貰おう、という言葉を続ける間もなくゼノビアは
「はい」
とスプーンを突き出した。
「…………」
とっさに反応できない。
茶色いソースにたっぷりと漬かった柔らかそうな牛肉が、銀のスプーンに乗っている。このスプーンは当然、ゼノビアが今まで食事に使っていたものだ。
これを直接食べろということだろうか。
(さすがにそれは、恥ずかしいぞ)
ただでさえ注目を集めているのに、その中でこんな真似をするのは、イリヤの小市民的な感覚の許容量を超えていた。
「えっと」
ゼノビアには悪いが一度引っ込めて貰って、やっぱり取り皿を用意して貰おう、と決めたイリヤだったが、その提案を口にする直前、気付いてしまった。
ゼノビアが持つスプーンが微かに震えていることに。少女の薄い表情に、ほんの僅かだが、緊張とも不安ともとれない何かが滲んでいることに。
それは、ゼノビアにとってもこの行動が何気なく行っているものではない事を示していた。
おそらく、彼女なりの勇気を振り絞っての行為なのだろう。
その勇気が、はたして友情のためのものか、それとも――イリヤの中の少年の部分が厚かましくも期待しているように――恋愛感情のためのものかは判らないが、一人の男としてこれを無碍にするわけにはいけなかった。
覚悟を決めて、身を乗り出した。
口の中に牛肉を含み、ふたたび椅子に腰かける。
咀嚼する。飲み込む。
「ありがと、美味しいね」
味などわかる筈もなかったが、それ以外に何が言えようか?
「そ、そう。よかった」
ゼノビアもさすがに平静ではいられないようだった。
この状況で平然とされていたらそれは脈がないということになってしまうので、イリヤにとってはむしろ喜ぶべきだろう。
「イリヤの故郷にはどんな料理があるの?」
動揺を隠すように視線をそらしながらゼノビアが聞いた。
妙な雰囲気を戻そうという意図なのだろう。珍しく彼女の方から話題を振ってきた。
「あ、ああ。うん。北は土地が痩せてるし山ばかりだから、畑で取れるようなものより山菜とかが中心かな。僕の家は森番だったからしょっちゅう狩をして鹿とか猪とかをとってたよ。ただ、その手の田舎料理はさすがにメニューにないみたいだね」
そう、気取らず答えたイリヤの声が耳に入ったのか。
『森番とはな。平民からの成りあがりとは聞いていたが、思った以上に下賤の出らしい』
周囲で食事をする生徒たちの中のどこかから、そんな声が聞こえてきた。
「…………」
思わず、口をつぐんでしまう。
浮かれ気分に、急に水を差された気がした。
「気にしちゃダメ」
表情を曇らせたイリヤに、思いのほかきっぱりとした口調でゼノビアが言った。
驚いて彼女の顔を見る。気遣う、というには少し厳しさの強い表情が浮かんでいた。
その表情は、彼女の言葉が気休めではなく、真摯な助言である事を物語っていた。
見えない場所からの悪意に粟だっていたイリヤの心が、すっと落ち着く。
「うん、ありがとう。大丈夫、覚悟してたからね」
「覚悟、してたの?」
「まあ、ね」
イリヤとて、そこまで世間知らずではない。
ただの片田舎の平民から一気に伯爵にまで成りあがった自分がどの様な目で見られるかなど、十分に想像はついていた。
むしろこれまで出会った貴族たちが思いのほか親切なことに驚いていた程だった。
「そう……イリヤはわかってたんだ」
なぜか、少し恥じるような調子でゼノビアは呟く。
寂しげなその様子に、イリヤは励ます必要を感じて言葉をつづけた。
「でも、だからこそゼノビアと友達になれたのは嬉しかったんだ」
「……友達?」
問い返されて、不安になる。表情が読み辛いこの少女との距離感を、自分は測り間違えていたのではないだろうか?
もしかして、自分は壮絶な道化だったのではないかと言う疑念が湧いてきた。
「……僕はそのつもりだったんだけれど、違う?」
恐る恐る確認したイリヤは、思いもよらないもので報われた。
初めて見る、ゼノビアのはっきりとした笑顔だった。
「違わない。わたしとイリヤは、友達」
周囲の視線など、まったく気にならなくなった。