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仔竜スヴェトリアとイリヤの誓い

 ほどなくして正気に戻ったニーナは、誤魔化すような笑いを浮かべながら「それでは契約書を提出してまいります」と言って部屋から去った。

 スヴェトリアは「おもしろいおねえちゃんいっちゃったね」と残念そうだったが、心配ない。これから嫌でも毎日顔を突き合わせることになる。

 あまりに酷いようなら馘首(クビ)にすればいいのかな、と思いながらも、イリヤは自分が彼女を本当に馘首にすることはないだろうと悟っていた。

 平民出の新米貴族としては、あれくらいわかりやすい方が付き合いやすい。

 もしかしたらそこまで計算していたのだろうか?

 そうだとしたら、それはそれで新興貴族には勿体ないほどの人材だ。


「あー、なんか疲れたなぁ」

 ぽふっ。とベッドに体を投げ出す。

 ようやく落ち着くことができた。

 スヴェトリアと契約して以来、肉体的疲労を感じることはめったになくなっていたが、竜騎士学校についてからずっとあいさつ回りで気疲れしてしまった。

 竜騎士学校への編入が決まるまで世話になっていたトーマ卿の屋敷は、当主の性格もあって非常に和気あいあいとした雰囲気ですぐになじむことが出来た。

 今思うと、突然貴族になった少年に気を使ってくれていたのかもしれない。

 イリヤが、右も左もわからなかった自分に、辛抱強く接してくれた人たちへの感謝を新たにしていると、スヴェトリアが甘えるような声をかけてきた。

―――ねぇねぇイリヤ。

―――ん、なに?

―――おそとでたい。

 この場合の「おそと」というのは屋外ということではなく、イリヤの心象世界の外に出たいという意味だ。

 イリヤはベットから身を起こし、改めて部屋の様子を見渡す。

 個人の私室とは思えない程広い部屋だ。イリヤが以前住んでいた森番の小屋と同じくらいの広さだった。

 家具としては、今イリヤが座っているベッドの他に、頑丈そうな机と書棚があった。いずれもかなりの大きさなのに、部屋が狭いという印象はまったく受けない。逆に、部屋の隅に置かれていたイリヤの荷物――中型の旅行鞄――が小さく見える程だった。ついでに、廊下に繋がるものとは別の扉が二つもある。何のための部屋か後で確かめなければ。

 床に敷かれた絨毯と、大きな窓にかかったカーテンはかなり上等なもののようだ。

(家具や絨毯に傷つけられた困るけど、これだけ広ければ大丈夫かな)

 そう判断したイリヤはスヴェトリアを出してやることにした。

―――いいけど、あんまりはしゃいで部屋の中のもの壊しちゃだめだよ。

―――わかった!だからはやくはやく。

 はしゃいだ声を送ってくるスヴェトリアに促され、イリヤは制服の下にたくしこんであった鎖を引っ張りだし、その先の指輪を手に取った。

 指輪の材質はごく普通の銀。重要なのは、そこに嵌められた小指の先ほどの宝石だった。

 金色の球形に黒い筋が一条。夜行動物の瞳を思わせるこの石こそが、竜と人との契約の要を為す魔石"竜玉"だった。


 竜と人との契約は、ある意味非常に簡単だった。もっとも原始的な方法、つまり、声に出して誓うだけでいいのだから。

 しかし、こうした素朴な契約しかなかった帝国黎明期には数々の問題が発生した。

 その方法では国家の基盤とするにはあまりに脆弱で不確かだったからだ。

 また、小型の亜竜ならともかく、巨大な竜が人の社会で共存することの難しさもあった。

 この二つの問題を解決する為に採られたのが、竜と人とが魔術的な契約を結び、竜を人の心の内に棲まわせるという方法、すなわち"竜約"だった。

 竜玉はその根幹である。

 空間を操る魔法に長けた"白帝龍"ベルラントが、太古の封印魔術を元に竜を人の内に封じる秘術を編み出した。"竜約"を結んだ竜は契約者の心の中に疑似的に封印され、契約者が望まぬ限りそこから出る事は出来ない。貴族が代替わりする時に契約は破棄され、次代の当主と新たな契約が結ばれる。

 魔法の才のない者が魔術的契約を結ぶための魔導具として"竜玉"がつくられ、これこそが貴族の証として代々伝えられるようになった。

 イリヤも、スヴェトリアと契約を結んだ後、改めて"竜約"を結ぶ時皇帝から"竜玉"を下賜されていた。それを加工したものが、この指輪である。


 イリヤは指輪を口元に持って行き、宝石に口づけをした。それが、スヴェトリアをこの世界に呼びだす為の儀式だった。

 心象世界にいる竜を現実に呼びだすことは"召喚"と呼ばれていた。

 召喚を行う為には竜玉に魔力を通す必要がある。帝国人の大半はほとんど魔力を持たず、イリヤもまた例外ではなかったが、竜玉の機能の大半は竜自身の魔力を利用して駆動している為、ほんの僅かな魔力を込めるだけでよかった。

 その為の動作に決まりがある訳ではないのだが、"契約"という行為との親和性の高さから口づけを選ぶ者が多かった。

 イリヤも奇をてらうつもりはなかったので常識に倣ったが、芝居がかった動作にどこか気恥ずかしさを覚えるのも事実だった。

 内心の戸惑いをよそに儀式は問題なく成功した。

 宝玉から金色の光りが溢れ、その光りが徐々に竜を形作っていく。首が長く胴体が細い、一対の翼をもった黄金色の竜。

 これがイリヤの契約竜、スヴェトリアの姿だった。

 スヴェトリアは嬉しげに一声鳴くと、翼をはためかせてゆっくりと部屋の中を旋回する。室内を一周するとイリヤの肩へ舞い降り、彼のほほに顔をこすりつけた。

「イリヤ、見ててくれた!?スヴェーぶつからずに飛べたよ!」

「そうだねスヴェー。飛ぶのがすっごく上手になったね」

 スヴェトリアの頭をなでてやると、嬉しさと誇らしさがないまぜになった感情が送られてきた。

 実際、ついこの間までよちよちと地面を這うように歩くことしかできなかったことを思えばずいぶんと成長したと言える。

 成長といえば、大きさについてもそうだった。今のスヴェトリアは、イリヤの肩を無理なく止まり木代わりに出来るサイズだが、手乗りドラゴンとも言うべき大きさだった生まれたばかりに比べれば五倍近い大きさに成長している。

(この調子で成長し続けると、もしかしたらそのうちこの部屋の中じゃ出してあげれなくなっちゃうかもしれないな)

 平均的な竜がどの程度の大きさになるのかは知らないが、少なくとも人が乗れるサイズになることは確かなのだから、この部屋では身動きもとれなくなるのは確実だった。

(卒業までの三年間でどこまで大きくなるかな)

 三年間。十五歳のイリヤにとって、それは決して短い期間ではなかった。その三年間を、この竜と共に過ごしていくのだ。

 そのことを、スヴェトリアは理解しているのだろうか?

 いや、恐らく理解していないだろう。

 この無邪気な仔竜は、また棲みかが変わったくらいにしか思っていないに違いない。もっとも、忙しさにかまけてこれまで満足に説明してこなかったイリヤにも責任はある。

 それならば、今こそ責任を果たすべきだろう。

「スヴェー、ちょっといい?」

 イリヤの髪に顔を突っ込んで遊んでいたスヴェトリアを抱え上げ、膝の上に乗せる。

「なに、イリヤ」 

 小首をかしげるスヴェトリア。

「僕たちがどうしてこの学校にきたのか知ってる?」

 スヴェトリアは、黙って首を振る。イリヤの真剣な雰囲気に少し戸惑っているようだ。

「あのね。この学校は軍人さんになる為の学校なんだ。僕たちが一緒にいる為にはいくつか守らなきゃいけない約束ごとがあるんだけれど、そのうちの一つが、この学校を卒業することなんだ」

「スヴェー、ずっとイリヤといっしょにいたいよ?」

 不安げな声。スヴェトリアにとって、イリヤと一緒にいるのは当然のことで、その為に義務が発生するなど思ってもみないことだった。

「僕もだよスヴェー。だからその為にはこの学校を卒業しなきゃいけない。卒業しても、そのうちに戦争にもいかなきゃいけないと思う。怪我したり、酷い目にあったりすることもあるかもしれない。それでも頑張れる?」

 諭すように告げるイリヤに、スヴェトリアは激しく頷く。

「スヴェーがいいこにしてたらイリヤといっしょにいられるんだよね?だったらスヴェーがんばるよ。いいこにしてるよ」

 必死に訴えながら、イリヤの体にしがみつく。文字通り生まれた時から一緒にいるイリヤと引き離されることを想像して、激しい不安に襲われているようだ。

 その様子にイリヤは罪悪感を覚える。竜と人との関係を定めた盟約はしょせん"白帝龍"ベルラントと始祖帝アレクサンドルⅠ世が結んだものだ。帝国国民たるイリヤにはそれに従う義務があるが、生まれたばかりのこの仔竜に責任があろうはずもない。

 にもかかわらず、軍人になる自分に付き合わせざるをえないのは、イリヤ自身が何もかも捨ててスヴェトリアと逃げるという決断が出来ないからだ。

 契約を破棄して一人の平民と一匹のはぐれ竜になるという選択肢もある。だが、貴重な小竜(マイナードラゴン)を故意に放棄すれば帝国はイリヤを許さないだろう。イリヤには国家を敵に回す勇気などなかった。

「イリヤ?」

 黙り込んでしまったイリヤに、スヴェトリアが不安そうに声をかける。

「イリヤはずっといっしょにいてくれるよね。だって、イリヤ、やくそくしてくれたもんね。ずうっといっしょだよって、ケイヤクしたよね」

 訴えかけるようなスヴェトリアの言葉に、イリヤははっとする。

 そう、彼は誓ったのだ。竜と人とがともにある為の契約"竜約"に。

 竜と人との契約が続く限り、共に在ることを。

 この竜と契約し、人の世界に引き込んだのはイリヤ自身だ。それならばせめて、その誓約は全うしよう。

「ああ、そうだよスヴェー。ずっと一緒にいるよ」

 イリヤは自らにそう誓うと、彼の竜を力強く抱きしめた。



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