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校長アレクサンドル

「そういえば、今は授業中じゃないの?今更だけど、僕を案内して貰って大丈夫なの?」

「平気」

「もしかしてサボり?」

「違う。授業が早く終わっただけ」

 ゼノビアの返事は相変わらずそっけないが、嫌われているからではなくそういう性格なのだと思いたい。自然、イリヤがほとんど一方的にしゃべり、ゼノビアがぽつぽつと返事をするという形になった。

 そんな会話の中で、彼女がイリヤと同じ十五歳である事、帝国南部の出身である事、寮の食事は絶品である事といった情報を汲みとっているうちに、両開きの重厚な扉の前に辿りついた。

「ここ」

「あ、ついたんだ」

 複雑な響きの声が出る。

 そろそろ話題選びにも窮してきていたのでほっとした半面、もう少し話していたかったという感情もあった。

「ありがとう、助かったよ」

「気にしなくていい」

「今度お礼をするよ」

「そう、楽しみにしてる」

 冗談めかしたイリヤの言葉に無表情で頷いたゼノビアは、

「またね」

 と言って去っていった。

(またね、か)

 再会を約するその言葉は、未だ同年代の少女と親密な関係になったことの無い少年の鼓動を激しくするのに十分な力を持っていた。

 だからだろう。イリヤは、その言葉の後に続けられた「後、頑張って」というセリフをすっかり聞き落としていた。


―――うー。

 不意に心中に響いた声に、スヴェトリアの存在を思い出す。

(しまった。ずっとほったらかしにしていたから怒ってるかな)

 だがスヴェトリアの声に険は含まれていなかった。どちらかというと、安堵の雰囲気だろうか。

―――どうしたの、スヴェー?

―――……こわいおじさんにずっとにらまれてた。

―――怖いおじさん?

 いくらなんでもゼノビアを「おじさん」とは言わないだろう。いやしかし、スヴェーはものすごく常識に疎いからもしかして言葉を間違えて覚えているのかも、と考えたところで真相に思い至った。

―――ゼノビアの竜が睨んでたの?

 ゼノビアもこの竜騎士学校の生徒である以上、契約相手の竜がいるはずである。

 竜は召喚されない限り契約者の内面――学者は心象世界と呼んでいる――にいて外から見る事は出来ないが、竜同士ならお互いの存在を感知することが出来るという。

 恐らくゼノビアが宿している竜がスヴェトリアを威嚇していたのだろう。

―――うん。すっごくこわいおじさんだった。

 スヴェトリアが肯定する。やはりゼノビアの竜とちょっとした衝突があったようだ。

(スヴェーも新しい環境で竜同士の人間関係を作らなきゃいけないんだな。いや、竜関係、かな?)

―――だいじょうぶ。ゼノビアはいい人だし、その竜ともきっと仲良くなれるよ。

―――……そう。

 イリヤなりに励ましたつもりだったが、返ってきたのは不満げな気配だった。

 ゼノビアの名前を出したのが不味かったらしい。

―――そ、それはともかく、今からえらい人にご挨拶するからおとなしくしててね。

―――うー。

 何かいいたそうな気配に極力気づかないふりをしてイリヤは扉をノックした。


 アレクサンドル・イリイチ・ベルロ=ベルラント。

 ついこのあいだまで片田舎の一平民だったイリヤでも、さすがにその名前は知っていた。

 皇"兄"にして帝立竜騎士学校の創立者。あるいは、"龍"に嫌われた男。

 彼の前半生はまさに順風満帆と言っていいものだった。

 第32代龍帝イリヤⅢ世の長男に生まれた彼は、幼少期から多岐にわたる才能を見せ帝国の後継者として将来を嘱望された。

 成人後は軍事内政様々な分野で父帝を補佐し改革や効率化を成し遂げ、また戦場においての武功も多かった。

 誰もが次代の偉大な皇帝の出現を予期していた時、事態は急展開を迎える。

 帝国の国龍、"白帝龍"ベルラントがアレクサンドルとの契約を拒否したのだ。

 初代アレクサンドル以来、ドラゴニア龍約帝国の皇帝となるための第一条件はベルラントと契約を結ぶことである。理論上、ベルラントと契約出来なければ当然皇位継承もありえない。しかし、かの龍が人族の決めた皇帝の継承者に異を唱える事など、かつて無いことだった。

 帝国は大いに揺れたがベルラントの態度は変わらず、結局アレクサンドルは廃嫡、帝位は弟のニコライが継ぐことになる。

 栄光に包まれた将来を突然閉ざされたアレクサンドルは大いに荒れたという。

 帝族としての政務を全て放り出し、乱行をくりかえした。無茶な決闘騒ぎや女性関係――時には少年すらも、という噂までもあった――の醜聞。最初は同情の目で見ていた周囲も眉をひそめるようになった頃、突然、竜騎士学校の創立を奏上する。

 帝国の貴族の子弟を一か所に集めて士官教育を施すというその方策に、貴族の独立性を侵されることを危惧したものたちからの反対もあったが、アレクサンドルが皇太子時代から進めていた軍制改革の集大成ということで認められることとなった。

 あるいは、帝国史上類を見ない挫折を味わい身を持ち崩した元皇太子の、早すぎる隠居所としての意味合いもあったかもしれない。

 以来三十年。アレクサンドルは自ら校長の職に付き、竜騎士学校は帝国軍の幹部を輩出し続けている。


「入りたまえ」

 ノックに応えたのは落ち着いた男性の声だった。

 玄関の時のような醜態を晒さないよう、最新の注意を払って扉を開ける。

「失礼します」

 部屋の中は意外に簡素だった。玄関ホールにあんな銅像を飾るような趣味の人間の部屋なのだからさぞ派手に飾られているかと思ったがそんなことはなかった。彫像どころか、絵画や観葉植物すらもない。むしろ殺風景と言ってもいい部屋だった。

 室内の調度品は二脚の応接椅子と背の低いテーブル、そして初老の男性が座る執務机。それだけだった。

「なんの用かね?」

 初老の男性が声をかけてくる。深いバリトン。銀色の髪は左右に撫でつけられ、同色の口髭もきれいに整えられている。整った顔立ちの中でただ一点、右目を覆う黒い眼帯だけが異様だったが、それを差し引いても気品あふれる雰囲気の男性だった。

 玄関ホールの銅像とは些か趣が違うが、あれは若いころをモデルにしているからだろうか?

「は、はい。ぼ、いえ、私は本日編入してまいりましたイリヤ・セルゲン・ベルロ=スヴェトリアです。校長殿下にご挨拶をと思い参上いたしました」

 握った右拳を頭の横に掲げる敬礼の姿勢をとる。付け焼刃で特訓した動作の一つだった。

 口上と合わせてお世辞にも立派とは言えないものだったが、初老の男性は叱責することはなく、軽く頷いた。

「わかった。校長殿下に取り次ごう。しばらくそこで待ちたまえ」

 思わず、え?と呟いたイリヤを無視して男性は立ちあがり、部屋の隅へと向かう。そこには隣の部屋へと続く扉があった。緊張しきっていたイリヤは、今の今までその存在に気づいていなかったのだ。

 よく見ると初老の男性が座っていた執務机には『秘書官 セルゲイ・ニキーティチ・ベルロ=クラース』と記された名札があった。

 どうやら彼は校長ではないらしい。

 拍子抜けしたイリヤをよそにセルゲイ秘書官は扉をノックする。すぐに「おう」というぞんざいな声がかかりセルゲイが中へと入っていった。閉ざされた扉の中からは何事か話し合う声。

 一応勧められはしたものの、応接椅子に座っていいものかとイリヤが逡巡しているうちに再度扉が開き、セルゲイ秘書官が出てきた。

 イリヤに軽く頷きかける。入れ、ということらしい。

(うわー、なんか、タイミングが外れたぶん余計に緊張してきたなぁ)

 戦々恐々としながら本物の校長室へと入った。


 真・校長室の内装はイリヤが想像していた通りだった。壁には大きな絵画が飾られており、部屋の一角には彫像まである。その全てが裸の婦人をモデルにしたものなのはいったいどういう趣味なのか。どちらを向いてもあられもない姿が見えてしまい、視線が落ち着かない。

 しかし、そんな内装がまったく目に入らない程、部屋の主は存在感を放っていた。

 セルゲイ秘書官のものより数段豪奢な造りの執務机の向こうにいたのは、恐ろしく太った男性だった。

 顎どころか首がどこにあるかすら判別がつかない程肉がついた頭部に、恐らくは特注品であろう、特大サイズの軍服が丸々とした輪郭を描く胴体。ごてごてと胸につけられた大量の略綬が、今にも弾け飛びそうだった。

 玄関ホールにあった彫像とは似ても似つかない肥満老人。

 これが、校長アレクサンドルであるらしい。

 実のところ、引退した竜騎士には肥満する者が多い。現役時代の人間離れした食事量に慣れているので、竜を養う必要が無くなってもついつい食べ過ぎてしまうのだ。

 しかし、それにしてもこれは規格外の太り様であった。

 その巨体で、ぎぎぎ、と高価そうな椅子を軋ませながらふんぞり返る。

「貴様が例の成りあがりか。まだ若造ではないか。その年で竜を誑かすとは、なかなかどうして末恐ろしいものだ」

 ほほの肉を震わせながら、面白くもなさそうに言う。昏い光りを宿した瞳が、ねめつけるようにイリヤの顔を見ていた。その眼力だけは、かつて皇帝候補にまでなった男の名残を感じさせる。

「は、はい。自分はイリヤ・セルゲン・ベルロ=スヴェトリアです。本日よりお世話になります」

 圧倒されながらもなんとか挨拶の言葉を捻りだす。

「世話などするものか。本校は自分の尻も拭けん赤子の遊び場ではないのだ」

「し、失礼しました」

 顔が赤く染まるのを感じる。

 社交辞令の上げ足をとらなくても、と言いたいが、言えるわけもない。なにしろ相手は現皇帝の兄なのだ。下手な発言をするとどの様な問題になるかわからない。

 と、そこで懐中に大事にしまってあるものの存在を思い出した。

「実は、私の後見人であるストラルカ伯爵より紹介状を預かっておりまして」

 おずおずと取り出す。執務机の向こうの人間にどう渡せばいいのか作法が判らない。直接渡していいのだろうか?

 とまどうイリヤを校長は完全に無視したが、セルゲイが進み出て受け取ってくれた。あて名書きと封印を確認して校長へ手渡す。

 アレクサンドル校長は鼻を鳴らして受け取ると豪奢なペンナイフ――これも裸婦を象ったものだった――で封を切った。芋虫の様な指で意外に器用に手紙を広げると、芝居がかった調子で読み上げ始める。

「ふん。なになに『この書簡を持参したる者、尻の穴の具合は極上にて候。アレクサンドル殿下に置かれましては是非一度ご賞味あらせられるようお勧め申し上げ候』だと?貴様、ずいぶんとトーマ卿に気に入られているな」

「………」

―――イリヤ、イリヤ。シリノアナノグアイってなに?

 無邪気に問いかけてくるスヴェトリアに答える余裕はない。

 どう反応すればよいのか分からず固まってしまったイリヤに、校長はつまらなそうな視線を向けた。

「皇兄の冗句に笑わんとは、不敬な奴だ」

 冗句だったらしい。

 帝族の笑いのツボはまったく理解できない。

 いや、セルゲイ秘書官が苦々しい表情をつくっているところをみると、これが標準と言う訳ではないのだろうが。

 しかし「不敬」という台詞はいくらなんでも心臓に悪い。

 一瞬、不敬罪で逮捕という言葉が思い浮かび、校長の合図一つで衛兵がわらわらと駆けこんでくる光景が脳裡をよぎったが、幸いそれ以上追及される事はなかった。

 それも含めて冗句だったのだろう。

 「しかし、あのはねっかえり娘が生意気に紹介状など書いてよこしてくるようになったか。まあ、あ奴と貴様はいわば同類だからな。似合わん大人の真似事をしてみたくなるのもわからんでもないか」

 校長が手紙をしげしげと見つめ、なつかしげな声で呟く。

「トーマ卿をご存じなのですか?」

 思わず口を衝いて出た言葉に、校長はこの上無く軽蔑した視線を返してきた。何を当たり前のことを、と言いたげだ。

 その理由にはすぐ思い至った。トーマ卿はこの学校の卒業生なのだ。創立以来校長を続けているアレクサンドルが知っているのは当然だった。

 とはいえ、述べ人数で数えれば一万人を優に超す卒業生を輩出しているのだから、いくらかは忘れている学生がいてもおかしくないと思うのだが、そこは元秀英の記憶力を侮るべきではないということだろう。 

「失礼しました。愚問でした」

「あたりまえだ。あれほどの美人をワシが忘れるはずなかろう」

 そういう理由らしかった。

 調度品が裸婦のデザインで統一されていることも合わせて考えるに、この校長は相当の女好きらしい。

 そんな疑惑を持ちながら校長の様子を伺うと、学生時代のトーマの姿でも思い出しているのか、視線を中空に彷徨わせて好色そうな表情を浮かべている。

(まさか生徒に手を出したりしてないよね……)

 ありえない、と言い切るには、出会って僅か数分の内に受けた印象が強烈過ぎた。

「まあそれはいい。貴様の様な時期外れの編入生など迷惑千番だがどうせ苦労するのは貴様自身と指導教官だ。トーマ卿は美人だが貴様は男だしワシは男色趣味にはもう飽きている。贔屓をしてやるつもりはないからせいぜい苦労しろ」

 妄想の世界から戻ってきたらしい校長が吐いた妄言に曖昧な笑顔を浮かべる。

「なんだそのしまりのない顔は。ワシを馬鹿にしとるのか?」

 今度は笑ってはいけなかったらしい。

「殿下、そろそろお時間が」

 どうしたら判らずしどろもどろになっているイリヤをフォローするようにセルゲイが言った。校長は自分の秘書官をじろりとにらむ。余計なことをしおって、とでもいいたそうな顔つきだったが、結局何も言わず視線を外した。

「ふん。ではとっと出て行け。どうやらワシは忙しいということになっとるらしい」

 こうして校長との会見は終了した。

 ゼノビアと会話して得た楽しい気分は微塵も残らず吹き飛んでいた。



                         ◇

 イリヤが去った校長室。

 アレクサンドルは、トーマからの紹介状をセルゲイに読ませていた。文面を追う秘書官の顔に、困惑の表情が浮かぶ。

「これは……重大な問題ですね。彼の話を聞いたときから、些か特殊な事例だとは思っておりましたが」

「とはいえ今はまだ可能性にすぎん。ことがはっきりするまでは、いや、はっきりしたとしてもただの一学生として扱うしかなかろう」

「しかし、場合によっては危険もあるのでは?」

 セルゲイの懸念を、アレクサンドルは鼻で笑う。

「危険?つまりこの学校に手を出すということか?その様な真似をすれば相手が誰であろうと必ず地獄に送るか、あるいはそれ以上の目にあわせてやる。ここは、ワシの城だ。何人たりとも手出しはさせん。トーマ卿もそれを理解しているからこそ奴をここによこしたのだ」

 アレクサンドルの示した態度は、かつて軍で名望を集めた青年将校の面影を伺わせるものだった。当時を知るセルゲイは、黙ってこうべを垂れた。

 古い部下の最敬礼をアレクサンドルは鷹揚に受ける。気負った様子が見られないのは本心からの言葉だからだろう

 最後に紹介状を一瞥すると、卓上ランプの傘を外し火をつけた。

 徐々に灰と化していく書簡を見つめながら、独り言のように呟いた。

「しかし"龍"とはな。竜との契約でもトーマ卿以来10年ぶりの偉業ではあるが、もし本当なら300年ぶりの大偉業か。いずれにしても大したことだ」

 


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