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ゼノビア・ルキーニシュナ・ポグロ=ポグロム

 ほどなくして馬車が止まった。ようやく学舎についたらしい。校内に入ってから二時間近く経っていた。

 荷物をまとめている間に御者が扉を開けてくれた。

「お待たせしました、イリヤ卿」

「どうも、お世話になりました」

 思わず礼を返してしまったイリヤに、御者は妙な表情を向ける。

 荷物を取り出そうとしたら慌てて止められた。どうやら部屋に運んでおいてくれるらしい。

(貴族っぽくなかったかな)

 心の中で反省するが、つい先日まで片田舎の森番だった少年にとって『貴族っぽい態度』というのは「えらそう」とほとんど同義だ。そして、そんな態度の貴族たちに自分がどんな感想を抱いていたかを思うと、あまり真似する気にはなれない。

 だから去り際に御者に会釈をしておくのを忘れなかった。


 馬車は正門前に止まっていた。どうやら学舎の敷地内までは馬車では入れない決まりのようだ。大きく開け放たれた門の両脇に衛兵が直立不動で立っている。

 こちらの存在に気づいていないはずもないが、特に話しかけてこないということはこの門を通るのには特別な手続きはいらないのだろう。

 せいぜい貴族らしく見えるように精一杯胸を張って門をくぐった。

「おお、流石帝立竜騎士学校……」

 門の中には広々とした中庭が広がっていた。対称形に拘る新アルベロ形式の庭園。中心には、卵を抱いた竜の意匠噴水が鎮座している。

 庭園の向こう、正面側には巨大な石造りの建物がある。イリヤが故郷で目にした伯爵家の屋敷よりも数段立派な造りだった。これが課業などが行われる学課棟だろう。竜騎士学校が出来てから三十年程経っているはずだが古びた感じはなく、独特の風格を出していた。

 左右にはやや小さな建物。確か、学生寮と教官の宿舎であるはずだ。そのどちらも帝都の街かどにあれば官庁舎と見まごうばかりの威容だ。

 小国の王宮と言われたら信じるものもいそうな学舎に、イリヤはしばし圧倒されていた。

―――イリヤ、いこ?

 とはいえ、竜にとってはたいして面白くもない光景だったらしい。

 スヴェトリアが焦れたようにせかしてきた。

―――わかったよ、スヴェー。

 いつまでも見とれていても仕方がないのは事実である。

(ええと、まずは校長に挨拶だから学課棟だな)

 心の中で順番を確認し直して、正面の建物へ向かった。


「うわっ」

 イリヤが玄関ホールの床に尻もちをつきながら悲鳴を上げた。

 学課棟の玄関は建物に相応しく重厚で立派なものだったのだが、開くときの手ごたえが思いのほか軽く、勢い余って建物の中へ転がり込む格好になってしまったのだ。

 イリヤは竜との契約による肉体強化にまだ慣れていなかった。

(早く加減を覚えなきゃな。食器を割るのはもうごめんだ)

 とはいえ、中々思うようにいかない。契約相手であるスヴェトリアがまだ仔竜なので強化の具合が不安定なのだ。

―――ゴメンね。イリヤ。

―――大丈夫だよ。二人で頑張って慣れて行こうね。

 申し訳なさそうな思念を送ってくるスヴェトリアを慰めながら、イリヤはあたりの様子を伺う。

 ホールの真ん中に人の姿が見えどきりとするが、よく見るとそれは銅像だった。

 銅像のほかには誰もいない。幸い、今の醜態は誰にも見られなかったようだ。遠くから微かに声が聞こえてくるので、恐らく今は授業中なのだろう。

 ほっとしながら立ちあがり、おろしたばかりの制服から埃を払う。

―――イリヤ、それなに?

 スヴェトリアは銅像が気になるようだ。イリヤも自分を驚かせてくれたそれに興味を持った。近づいてよく見てみる。

 銅像は、等身大の全身像だった。恐ろしく美形の軍服姿の若い男性が、どこか彼方を指差しながら何かを叫んでいる。前線で指揮をとる青年将校、といった趣の像だ。

 台座を見ると、銘版が嵌っていた。

『初代校長 アレクサンドル・イリイチ・ベルロ=ベルラント 在任期間龍帝歴482年~』

「………」

 イリヤの知識が確かなら、校長は六十を超える老人のはずだった。若いころの姿をモデルにしたものだろうか?それにしても、玄関ホールのど真ん中にこんなものを飾る神経は、イリヤの理解を超えていた。これが、貴族趣味というやつなのだろうか?

 自分が踏み入れた世界の奥深さを改めてかみしめていたイリヤに、突然声がかけられた。

「君、そこで何をしているのだね?今の時間は授業中のはずだろう」

 驚いて振り向くと、長身の壮年男性が立っていた。やや細面ながら怜悧な容貌から、鋭いまなざしをイリヤへと向けている。将校の軍服。

 恐らく教官だろう。

 そう判断したイリヤは、用意してあった挨拶を披露した。

「はじめまして。僕は伯爵イリヤ・セルゲン・ベルロ=スヴェトリア。編入生です。よろしくお願いします。」

 その言葉を聞いて、教官表情からほんの少し厳しさが減じた。とはいっても鋭い眼つきは変わらなかったが。どうやらそれは生来のものらしい。

「ああ、君がイリヤ卿か。話は聞いている。私は本校で戦術論を教えているヴェゾ=リリエンタールだ。すぐに案内のものを呼んでこよう」

「いえ、お構いなく。校長室の場所さえ教えて頂ければ」

 慌てて断る。生徒は授業中だし、教官に編入生をさせるとも思えないので、おそらく案内と言うのは従僕か何かだろう。気を使われる立場なのにこちらが気を使ってしまい気まずくなる経験は、今日はもう充分だった。

「そうかね?そういうことなら構わんが」

 リリエンタール教官はすこし訝しげだったが、深く追求せず校長室までの経路を教えてくれた。

 ただ、別れ際に彼が残した「幸運を祈る」という言葉だけは少し気になったが。


「迷った……」

 リリエンタール教官と別れた十分後には、イリヤは激しい後悔に襲われていた。すっかり道に迷ってしまったのだ。

 外から見た限りでは複雑な構造の建物には見えなかったのだが、いざ歩き回ってみると実に判り辛かった。半階分の階段があったり廊下の接続が不規則だったり、わざと迷わせようとしているようにしか思えない。

「本当にワザとなのかもしれないな」

 よく考えたら、ここは一応軍事関係の施設で、校長室と言えばその司令所にあたる部屋だ。容易に辿りつけない構造になっていても不思議ではない。

「リリエンタール先生ももっと強く勧めてくれればいいのに……」

 理不尽な文句が口をつくが、自業自得である。

 誰か人がいたらすぐにでも道を聞きたいと思っているのだが、授業中だからだろうか、さっきから人っ子一人通らない。

 いや、いた。

 幾つ目か分からない角を曲がって廊下に出ると、前を行く小柄な人影があった。

 腰まで伸びる灰銀色の髪。ひざ丈のスカート。女生徒だ。

「……」

 名前がやたらと長くなる前、ただの「イリヤ・セルゲン」だったころの記憶が蘇る。15年の人生の中で、同年代の女の子のとの楽しい思い出は、あまり多いとは言えなかった。

 というか、皆無だった。

 一人の少年として年近い女性と仲良くなりたいという意識はあるのだが、悲しいかな、実戦経験があまりに足りない。

 しかも相手は確実に貴族である。正直気後れしてしまうが、背に腹は代えられない。むしろ、女の子に声をかける大義名分を得たと思えばいい。

 そう自分を鼓舞すると、小走りで近寄る。

「すみません、ちょっといいですか」

 振り返った少女はとても可愛らしかった。イリヤが知る中で一番の美少女は故郷の領主の娘であるカチューシャお嬢様だが、彼女に勝るとも劣らない容姿だった。

 灰銀色の髪よりも白い肌。ちょっと眠たげな瞳とぼんやりとした口元が全体的な印象を柔らかなものにしている。ただ、少し表情が薄くて人形の様な印象を受けた。

「何?」

 人形の様、という印象に違わず、返答はぶっきらぼうなものだった。

「あ、えと、すみません、校長室はどこか教えてもらえますか?」

「こっち」

 一言だけいいおいて少女は身をひるがえした。ついてこい、ということらしい。

 場所させ教えてもらえれば、と言うかと思ったが、同じ失敗を繰り返すのも馬鹿らしいので思いとどまる。それに、美少女と並んで歩けるのだ。この機会を逃すのは一男子として嘘である。

 小柄な体躯に相応しく、少女の歩みはゆっくりとしたものだった。隣に並ぶと、意識して歩調を合わせる必要があった。

「あの、僕、編入生のイリヤ・セルゲン・ベルロ=スヴェトリアっていいます」

 向こうから会話を始める気配がありそうもなかったので自分から名乗る。

 必死に習った社交界での自己紹介のマナーとは少々違うが、学校の廊下で挨拶する時の作法など習わなかったので仕方がない。いくらイリヤでも、ここで『胸に手を置いて30度の礼』などというのがそぐわないことは判る。

「そう」

 返事は、可能な限り短いものだった。いきなり心が折れそうになる。

 が、ここで折れていては「イリヤ・セルゲン」だったころと何も変わらない。今の僕は「イリヤ・セルゲン・ベルロ=スヴェトリア」。貴族の女の子とだって対等に話せる身だ。

 よくわからない理屈で自分を鼓舞して、言葉を続ける。 

「ええと、貴方の名前を伺ってもいいですか?」

 自然な流れの質問だったつもりだが、少女はなぜかぴたりと歩みをとめた。

 伺うような視線をこちらに向けてくる。身長差があるので、上目遣いで睨まれているような形になって落ち着かない。

(なにか変なこといってしまったかな?)

 女性に名前を聞くのは重大なマナー違反だったっけ?と必死に心の中の帳面をめくっていると、少女がようやく口を開いた。

「ゼノビア・ルキーニシュナ・ポグロ=ポグロム」

「ポグロ=ポグロムさんですか。よろしくお願いします」

 ほっとしながら、新たな問題に頭を抱える。彼女が一体どんな階級に属するのかまるでわからないのだ。これではどういう立場で会話を続ければいいか決められない。

 貴族たるもの姓を聞けば相手の家格が即座に分かって当然らしい。三万家を超える貴族の姓を全て覚えなければならないというから恐ろしい(もっとも貴族の半分以上を占める騎士位については「その他」として覚えずに済ますらしいので、実際に三万家を覚えなければならない訳ではないらしいが)。

 後見人のトーマ卿は「一番重要なことだから優先して覚えるように」と言っていたが、三万と言う数字に気後れしてついつい後回しにしているうちに入学を迎えてしまった。

(まさか女の子との会話でつまずく羽目になるとは……)

 心の中で頭を抱えるイリヤをよそに、ゼノビアは奇妙な表情を浮かべていた。そして、その表情がふっと柔らかくなった。

(なんだろ?)

 イリヤには女性の表情を読む能力など微塵も備わっていないが――なんとなく、彼女の顔には嬉しげな色が浮かんでいないだろうか?

「ゼノビアでいい」

「え?」

 相変わらず簡潔すぎる少女の言葉の意味が、すぐには理解できなかった。

「わたし、初年生」

 同学年だから敬称は不要、ということらしい。というか、なぜか名前で呼ぶお許しが出たらしい。

「あ、う、うん。よろしくゼノビア。僕のことはイリヤって呼んでよ」

「わかった」

 頷くとすぐに向き直って歩きはじめてしまった。

 慌ててその後を追いながら、イリヤは思いがけない幸運を受け止めきれずにいた。

 なぜだかわからないが、編入初日にして同学年の少女――それもとびきりの美少女――と名前で呼び合う仲になることに成功したらしい。

(これは、幸先いいって思っていいのかな?)

 

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