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知人との再会

 イリヤの故郷である帝国最北端の地、エストラ。その領主であるノルサント伯爵は正妻との間に一男一女を儲けていた。伯爵夫人は第二子であるカチューシャを生んだ直後に病死している。

 二人の子どもの内、嫡子である長男は、十七歳で矮竜リンドブルムと契約を交わし、リンドブルム子爵の称号を得た。

 翌年、竜と契約し成人した貴族の例にもれず、彼は竜騎士学校に入学した。

 彼こそが、ボリス・セーヴィチ・ベルロ=リンドブルムである。

  


 驚愕から醒めたボリスはぎこちなく表情を変えた。それは、笑顔と言うには毒気が強すぎるものだった。

 慇懃無礼な態度で一礼してイリヤに言葉をかけた。

「これはこれは、伯爵閣下ではございませんか。貴公の驚愕すべき幸運と古今まれに見る立身ぶりについては実家より聞いております」

 字面こそ丁寧なものだったが、言葉裏に混ぜられた毒は滴る程だった。

 翻訳すると、運だけで成りあがりやがったって話は聞いてるよ。あ、俺の実家も伯爵家だってこと忘れるなよ?というところである。

 イリヤは、それを察することができる程度には貴族の会話法というものを理解していた。

(もともと嫌われてるとは思ってたけど、なんかさらにあたりが厳しくなってる気がするなぁ)

 イリヤは胸の中で溜息をついた。

 もともと友好的な関係とは言い難かったが、ボリスのイリヤに対する感情は、はるかに悪化しているようだった。


 イリヤとボリスの関係はやや複雑だった。

 ボリスはイリヤが住むエストラの領主の嫡子である。当然、エストラの子どもたちの頂点に君臨する存在だった。ノルサント家の傘下にある騎士家や家臣、有力町人などの子弟といった取り巻きに囲まれ、次代の領主として、時には大人すらも彼に従った。

 一番上にボリスが君臨し、その下にボリスの取り巻きたち、さらに下にはその他大勢の子どもたち。

 これが、エストラの子ども社会の基本構造だった。

 その基本構造から唯一外れていたのが、イリヤである。

 イリヤは当時平民身分であった為、もちろんボリスよりも立場は下である。

 しかし、帝室の御料林を管理する森番の家に生まれた彼は、皇帝の直接的な庇護下にある"国民"だった。

 ベルロ=ノルサント家に服属する"臣民"ではない、という一事が、彼らの関係を複雑なものにしていた。

 帝国の法制上、"国民"は皇帝以外の貴族の支配を受けない。税も国庫へ直接治めているし、仮に貴族の領内で犯罪を犯したとしても、その裁判は帝立の巡回裁判所で行われる。

 身分的な差は確かに存在するが、貴族は"国民"に対して実際的な権力を持っていない。その為、貴族と国民の関係は微妙なものになるのが常だった。

 イリヤが、その立場を利用してボリスやその取り巻きに敢えて逆らったことはなかった。

 だが、周囲の子どもたちの全てを自分に従わせることが出来たボリスにとって、彼の幼い権力が不完全なものだということを示すイリヤの存在は、なによりも目障りだった。

 

 エストラ時代、二人の間に決定的な衝突があった訳ではない。

 ボリスが竜騎士学校に入学するためエストラを去り、彼らの接点は無くなった。

 もしボリスが青年貴族となって故郷に戻り、イリヤが平凡な森番として人生を歩んでいれば、二人はただの貴族と平民としての関係でしかなくなっただろう。

 しかし、今、二人は、貴族同士として再会した。

 ただの成りあがりの貴族というだけでは、ボリスはそれほど反感を覚えなかったかもしれない。だが、その「成りあがり」が、かつて悪意を持って見ていた相手だという一事が、ボリスの不快感を倍加させた。

 お互いにとって不幸なことに。


「ボリスぼっ……卿。お久しぶりですね。故郷を遠く離れた地で、古い知己にお会いできるというのはそれだけで心強いものです」

 無難な挨拶を返す。

 ボリスがどれだけ敵意を持っていたとしても、イリヤはそれを正面から受け止めるつもりはなかった。

 慣れない環境で新たな生活を始めるのは、ただでさえ苦労が大きいのだ。わざわざトラブルの種を増やすには及ばない。

 そう考えての穏当な対応だったが、ボリスの顔に浮かんだのは、むしろ不快そうな表情だった。

 ボリスは、この元平民の少年が、かつて低い地位にあって受けた屈辱をこの機会に返すものと思っていたのだ。今のイリヤは伯爵の位を受けている。対してボリスは、伯爵の嫡子とはいえ爵位は子爵でしかない。二人の地位は、少年の日とは逆転していた。

 ボリスには、自分がその身分をかさにきて他者を威圧してきたという自覚があった。であるからこそ、相手もその様にするであろうという先入観があったし、竜騎士学校で出会った他の貴族たちは、その先入観に確証を与えてくれた。

 だからこそ、今では自分より高い地位にあるイリヤに少しでも抵抗する為攻撃的な態度をとった。いわば、宣戦布告に等しい覚悟を持っていたのだが、肝心のイリヤは鷹揚にそれを受け流してしまった。

 これを、相手の少年の人間性の発露だと受け取れないあたりが、ボリスの未成熟さだった。

 舐められている。ボリスはそう感じた。

「っ!」

 激発しかけたボリスはしかし、自分たちが周囲の注目を集めていることに気付いた。

 衆人環視の中で一方的に激昂するのは拙い。

 努力して、こわばった笑顔を作った。

「こちらこそ、故郷での思い出が蘇るようです。ところで、イリヤ卿、誠に失礼ながら、その席をお譲り願えないでしょうか?私がいつも使っている席ですので」

 ボリスにとってはこれも一つの牽制だった。自分に席を譲らせる、ということで優位性を示すのだ。くだらないことに思えるかもしれないが、貴族社会での勢力争いと言うのは、こういう細々としたやり取りの中に現れるのだ。少なくともボリスはそう信じていた。

 そのボリスの乾坤一擲の要求を、

「ああ、それは申し訳ない。すぐに移ります」

 イリヤはなんのこだわりもなく受け入れた。

「!」

 ボリスの価値観で言えば、これは完全な勝利であるはずだった。

 にも関わらず、彼に残ったのは屈辱感だけだった。

 泰然と席を移るイリヤの背を、憎々しげな眼で睨みつけていた。



                         ◇

「……ってことがあって、初日から散々だったよ」

 山のように出された課題を片付けながら朝の出来事を話していたイリヤは、竜騎士学校初日の感想をそうまとめた。

「それは残念でしたね。せっかく故郷のお知り合いに再会できたというのに」

 紅茶の用意をしながらニーナが応える。頭上をスヴェトリアが飛び回っているので、若干やり辛そうだった。

「知り合いっていうほど付き合いがあった訳じゃ無かったんだけどね。それだけに、あそこまで嫌われてるのはちょっと予想外だった」

 あの後、午後の授業が終わるまでほぼ一日中敵意のこもった視線を向けられていた。

 おかげで、他の級友たちとの会話もままならなかった。イリヤに対してそれ程悪い印象を抱いていない生徒もそれなりにいるようだったが、ボリスとの間の異様な雰囲気を感じ取って近づいてこようとはしなかった。

 イリヤから話しかけても、ボリスの視線を気にして早々に会話を打ち切られてしまうのだからどうしようもない。

「スヴェーあのひときらい。なんかかんじわるいんだもん」

 スヴェトリアが机の上に着地しつつ、不満そうな声を漏らす。インク壺が倒れそうになりイリヤが慌てて支えた。

「スヴェー気をつけて……ボリス卿と険悪になっちゃったのはともかく、クラスメイトと全然仲良くなれなかったのは辛いなぁ」

 ぼやくイリヤの元にニーナが紅茶と皿に盛った黒スグリのジャムを持ってきた。イリヤは軽く会釈して謝意を示す。

「よいではないですか。ゼノビア様というお友達がおられるのですから」

「それはそうだけれど……ってなんでゼノビアのこと知ってるの!?」

 驚くイリヤに、ニーナはむしろ呆れたような表情を向けた。

「おふた方がご夕食を共にされたという噂は使用人たちのあいだでもちきりでしたよ。この学校の中の出来事で使用人に知られないようにするならせめて軍事機密並の扱いをされなくては」

「軍機って……凄いネットワークだね」

「近くに街もないこの立地では噂話が一番の娯楽ですから。もしお望みでしたら、ゼノビア様の下着の御趣味でも調べて参りましょうか?」

「お望みじゃないよ!っていうか、主人のそんな秘密までやりとりされているのか……」

「そこはそれ、お互いの信頼関係次第です。ゼノビア様付きのミーラとは友人ですので、わたしから聞けば教えてくれると思います。イリヤ様に漏らしたことがばれればまず間違いなく絶交されますが、構いません。ご主人様のためでしたらこのニーナ、友情さえも犠牲にしてみせましょう!」

 ぐっと拳を握り、目元に自己犠牲の涙を光らせるニーナ。しかし、その涙はどこまでも嘘臭かった。

 ジャムを舐めていたスヴェトリアが首をもたげ、イリヤに不思議そうな眼を向ける。

「イリヤはゼノビアのぱんつがしりたいの?」

「違うってば!もう、スヴェーが変なこと覚えちゃうから、そういう冗談はやめてよ!」

「申し訳ありません。イリヤ様」

 深々と頭を下げるそのしぐさすら嘘臭いニーナであった。

 


 こうして、イリヤの竜騎士学校の一日目が終わった。 





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