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帝立竜騎士学校

 帝立竜騎士学校は広大だ。

 帝都ドラゴグラッドの北方200リーグ(約200km)に位置するここは、敷地内に野戦演習場、実習用山岳、射爆場などを有しており、下手な貴族の領地よりも広い。

 何しろ、大門を馬車で通ってから一時間以上たっていると言うのに、未だに学舎に到着しないのだ。

 尤もイリヤ・セルゲン・ベルロ=スヴェトリアが道中暇を持て余すということはなかった。

「ええと、到着したら校長に面会して挨拶、その後は教官室に顔を出して、次に寮長へ挨拶。学生総代へは次の休日でいい。それから身の回りの品は……」

 帳面にびっしりと書き込まれた文字をぶつぶつと読み続けている。揺れる馬車の中で細かい文字を読むなど気分が悪くなりそうなものだが、幸い彼はそれを苦にしないだけの動体視力と平衡感覚があった。

「校長は帝族だから最上位の礼式、教官と上級生には上位貴族に対する礼式で、同級生は建前上同格扱いだけれど実際は家格が上の相手には半歩譲る感覚で……」

 帳面に記されているのは竜騎士学校での心得だった。入学にあたって彼の後見人であるトーマ・アキマ・ベルロ=ストラルカが手ずから書いてくれたものだ。

―――イリヤ、おべんきょうしてるの?

 不意に、舌足らずな声がした。といっても、イリヤの鼓膜に響くのは変わり映えのない車輪と馬蹄の音だけだ。その声はイリヤの心に直接届いたのだった。

―――そうだよスヴェー。だからちょっと静かにしていてね。

 イリヤの返答も心中で呟いたものだった。むずがる幼児に話しかけるような声音――といっても心の声だが――で宥める。加えて、首から下げた銀鎖の先に結ばれた指輪にそっと手をやった。

 彼の話し相手は、そこにいるのだ。

―――……うん、スヴェー、おとなしくしてる。

 微かに不満の色を滲ませながらも声はイリヤの言葉に従った。

―――ありがとう。いい子だねスヴェーは。

 イリヤは心中で――もちろん今会話していた相手には聞こえないように――安堵の息を吐く。もし「彼女」が駄々(・・)をこねれば、入学初日から大騒動を引き起こす羽目になる。

 本当におとなしくなったのを確認してからまた帳面に視線を戻す。とりあえず今日為すべきことだけでも覚えておかなければ不味い。本当ならもっと早くから勉強しておくべきなのだが、細かい段取りが苦手なところがある彼の後見人がこの帳面を渡してくれたのは出発の前日だった。

『なに、そう気にする必要はない。基本的には常識に沿った行動をしていればいいのだから。私ですら上手くやっていけていたのだから、イリヤ君なら問題ないさ』

 そう言って快活に笑ったストラルカ卿の顔を思い出して憂鬱になる。

 彼女にとってはそうだったかもしれないが、自分にとっては貴族の"常識"など外国のテーブルマナーも同じだ。

 なにしろ彼がスヴェトリアと契約してから3カ月、それを帝国紋章院が確認して貴族の一員として列せられてからはほんの10週間しか経っていないのだから。


                         ◇

 ドラゴニア龍約帝国における「貴族」の定義とは簡潔である。すなわち、"竜"との契約を結んでいる者だ。

 帝国成立のきっかけとなった"大崩壊"戦争の時、初代皇帝アレクサンドル一世が"白龍帝"ベルラントと契約を結び、ベルラントと彼に同調した四頭の"龍"がそれぞれの眷族たる"竜"を率いてアレクサンドルの軍勢に加わった。

 四頭の"龍"はアレクサンドルの腹心だった四人の有力者と、眷族たる竜はそれぞれの力や格に応じて彼らの配下と契約した。

 地方豪族による反乱勢力に過ぎなかったアレクサンドルの軍は竜の力を得て躍進し、チェルナジン大陸北部に帝国を創立するに至った。

 最強の魔物と謳われる竜そのものの力に加え、竜の力を与えられた契約者が"竜騎士"として並の人間とは隔絶した身体能力を手に入れたことが大きかった。

 チェルノ聖王国の魔法戦士梯団や大陸の混乱に乗じて東方から襲来したカザンの人狼軍を相手にして連戦連勝だった、と帝国の歴史書は大いにかきたてている。

 戦争で活躍した竜騎士たちは契約した竜に応じた広さの土地に封じられ貴族となった。もちろん恩賞という意味もあるのだが、実際的な問題でもあった。竜騎士はその身に宿した竜を養う必要があったからだ。具体的には、大量の食糧が。

 竜騎士は、契約した竜をその身に宿す。戦時においては竜を召喚し共に戦場を駆けるが、平時は自らの精神世界に竜を封じているのだ。

 精神世界にいるとはいえ、この世の理から逃れることはできない。竜を宿した竜騎士は、その竜の分の食事もとらなければならなかった。

 小型の亜竜などならともかく、正竜(レギュラードラゴン)大竜(メジャードラゴン)ともなると膨大な食料を必要とした。それを賄う為には相応の土地が必要である。ならばその土地と竜と爵位を紐つけてしまおうというのがこの封竜制の始まりだった。

 帝国の貴族は封土を与えられる変わりにそこの産物でもって"竜"を維持し、戦時においては竜騎士として馳せ参じることこそが義務であった。

 以後、500年。功があった者は竜と土地と爵位を与えれ貴族となり、過失があればそれらを奪われた。また、契約相手の竜と不和となり契約を破棄され爵位を失うものもいた。

 逆に、はぐれ竜と契約を結ぶことに成功し新たに貴族として取り立てられる者もわずかながら存在した。

 イリヤ・セルゲン・ベルロ=スヴェトリアは、その一人である。


                         ◇

―――イリヤ、イリヤ!

 帳面との格闘を続けていたイリヤにスヴェトリアがまた声をかけてきた。

―――ごめんね、スヴェー。今忙しいから……

―――おそと、おそとみて!

「外?」

 スヴェトリアの声に含まれる興奮の響きに、イリヤは顔をあげる。馬車の格子窓から外の様子を伺った彼は、感嘆の声を漏らした。

「うわぁ……」

 馬車は丁度、演習場の脇を通っていたらしい。

 端から端まで5リーグはありそうな草原にはしかし、なんの影もなかった。否、それは正確ではない。草原には、10個の影が落ちていた。上空を飛翔する、十頭の竜が投げかける影が。

 竜騎士たちは五頭ずつ二つの楔型編隊を組んでいた。大きさからして、"正竜"と"小竜(マイナードラゴン)"が一頭ずつで、残りが矮竜。正竜と小竜が楔型の頂点に位置している。

 その二頭がまったく同時に巨体を傾かせて旋回を始める。随伴の矮竜たちも編隊を崩すことなく追随する。竜騎士たちや竜の装備のきらめきがはっきりと見えた。

「ほんとうに来たんだなぁ、竜騎士学校に」

 感慨を込めて呟く。

―――りゅうがいっぱいいるね!

 スヴェトリアの興奮はまだ醒めない。彼女にとって、あれだけの数の同族を一度に見るのは、生まれて初めてなのだろう。

―――そうだね。教えてくれてありがとうね。

 イリヤの礼に、スヴェトリアは嬉しそうな波長を返す。感覚的には満面の笑みを向けられるのに近い。

 こちらも喜びの波長を送りながら、イリヤは入学への不安がほとんど消えていることに気付いた。




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