3:オタサーの姫
あたしは織田姫香。
俗にいう、『オタサーの姫』です。
正直このアニソン研究会に入ったのだって、
ぬるま湯のような人間関係に浸っていたかったんです。
カッコイイ男の人は誰一人いませんでしたけど、
まあ女子があたしだけだったので、チヤホヤはされましたね。
目的のひとつは達成です。
その上、あたしはギターとか弾けちゃいます。
中学時代の憧れのセンパイが「ギター引ける女子とか可愛いよなー」って言っていたから、練習したんです。
でもそれ、なんかアニメのキャラだったらしく……。
怒髪天を突きました。
まあおかげで、今もギターは弾けますけどね……。
そんなあたしが、体験入部でアニメのイントロとかをちゃちゃっと引いてみたら、
男の子たちが「すげーすげー!」言ってくれるのも、ちょっと心地よかったですし。
ふふ、猛練習したかいがありました。
そんなこんなで男どもを従えたあたし。
アニソン研究会で不動の地位を築いてゆきます。
「おはよう、姫香ちゃん! きょうも世界一可愛いね!」
「そんなことありませんよー、ありがとうございますー」
ニコニコと対応するあたし。
心の中では『そりゃあんたにとってはそうかもね』とつぶやきます。
高嶺の花より、近くの花。
あたしだって学科のモテイケメンからチヤホヤされるとは思ってませんし。
でもこうして、オタッキーな男子に声をかけておけば、ですよ?
将来的にこの子たちが、なにかしら、こう、大成功をするかもしれませんし。
今はどんな才能が花開くかわからない時代。
あたしはこうやってひっそりと近くの花として、男たちの将来を見守ります。
そして大成功したら、その縁を使って忍び寄ります。
これも人脈です。ふふ。
というわけで、部室です。
部屋の中にいる男の子たち――いつも10人ぐらいです――は、あたしの一挙一動に注目をしています。
「喉乾いたなー」と言えばオレンジジュースを差し出してくれますし、
「甘いモノ食べたーい」と言えば、「甘いモ」ぐらいでもう、お菓子が差し出されます。
まさに姫! これこそがオタサーの姫!
すべてが順風満帆にいっていた生活の中。
ギターの練習中のあたしが、ピンと弦を弾きます。
すると……。
「あ、姫香ちゃん、喉乾いたの?」と男の子がやってきました。
え、なんでしょうか。
「あたし別に、なにも言っていないけど……。あ、でも確かにちょっと喉乾いていたかも。よくわかったね?」
そう言うと、男の子はガッツポーズを取りました。
辺りの男の子たちから嫉妬と羨望の眼差しを浴びながら、ドヤ顔です。
「やっぱりね、わかったんだよねー。姫香ちゃんってさ、喉乾いたらその音出すでしょ?」
「え?」
その音って……、弦を弾いたときのこと?
まったくもって無意識です。
よくそんな深読みができますよね。ちょっぴりキモく思えてきます。
まあこの人も、将来的に大成功するかもしれない、オタクのひとり。
あたしは引きつった笑顔で、差し出されたグレープフルーツジュースを受け取ります。
「あ、ありがとうね。すごいね、あたしのことなんでもわかっちゃうんだねー」
「でしょ~~~!」
光り輝くようなドヤ顔です。
あたしは首をひねりながら、再び弦を弾きました。
すると今度は……。
「い、今の音はなに!?」
「え?」
次は我こそがドヤ顔を、という男の子たちが殺到してきます。
え、えええ……。
なんでしょうこれ、男のバトル?
正直、すごいめんどくさいです。
「えと……じゃあ、甘いモノが食べたいかな、って」
「やっぱり! そうだと思ったんだよねー!」
でまかせです。
ドヤ顔ふたりめ。残る8人はすごく悔しそうです。
なんか、楽しくなってきました。
ぴんと弾きます。
「今のは!?」
「ちょっと寒いかなーって」
さらに弾きます。
「姫香ちゃん、今のはなに!?」
「ケータイの充電器貸してくーださい」
さらにさらに……。
――こうして一ヶ月後。
ぴんとギターを弾いたあたしの元に、さらなるドヤ顔です。
「姫香ちゃん、今のは『冷たいダイエットコーラが飲みたいけれど、なかったらペプシか、それもなかったらジンジャーエールをお願い』でしょう?」
あたしはなにも言わずに微笑みます。
訓練は成功しました。
ていうか、すごい伝わっている。
え、なにこれ、思わず真顔になっちゃいます。
キモい、あれ、これキモい。
机に並ぶ10人の男の子たちは皆、
耳をダンボのようにして、あたしの音を聞き漏らさないようにしています。
まあ、でも、うん。
これもいいと思います。
ほら、あたしはさながら音でみんなを操るセイレーンです。
あたしがひとたびギターを操れば、声はなくとも、皆があたしのために動き出します。
これがオタサーの姫の進化系……!
オタサーのセイレーンです!
ですがそんなある日、あたしはギターを忘れてしまいました。
むう、これではみんなを操れません。
いちいち声を出して頼まないといけないなんて……手間です。
どうにかできないかと、あたしはひとりの男の子の目を、じっと見つめます。
彼もあたしに見つめられて、頬を赤くしていきました。
あたしは今、ペプシが飲みたいんです。
つたわれー、つたわれー。
小さく指を回してみました。
……でも、ダメみたいです。
はぁ、とため息をついたそのときでした。
その見つめていた男の子の隣に立っていた男の子が、にやりと笑います。
「姫香ちゃん、ペプシが飲みたいんだね」
「伝わった!」
なんでしょうこれ、あたしエスパーになってしまったの?
オタサーのエスパー。すごい、でもあんまりかわいくない。
ドヤ顔の青年は、言いました。
「小さく指を回したあとに顔を伏せたでしょ? あれって『ペプシコーラが飲みたい』のサインだね」
「……!」
なるほど。
ギターを弾く必要すらないんですね!
こうしてあたしはこの日から、身振り手振りで男の子たちを従える術を手に入れました。
言うなれば、オタサーの指揮者です。
このアニソン研究会は、あたしのもの、です!
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
翌年、新しく入学した新一年生が、アニソン研究会の見学に来たところであった。
壁際に一列に並んだ屈強な男たちを、ひとりの女子が声も出さずに操っているのである。
そのハンドシグナルは完璧であり、男たちは一糸乱れぬ連携を見せていた。
それはまるで何か、どこかの軍隊を連想させていた。
オタサーと、そのオタサーの司令官がそこにはいたのだ。
部室では誰もなにも会話をすることなく、だが統制された空気が漂っている。
新一年生は無言の賑やかさの中で、いたたまれない思いをして、部屋を出て行った。
素人が立ち入れるような雰囲気ではなかったのだ。
以後その『旧アニソン研究会』は、『砂漠の虎』と呼ばれるようになったという。