2:ふたりの幸福とハッピーメリークリスマス
「来てくれないと思っていた」
わたしが静かにつぶやくと、君は小さく笑った。
午後九時待ち合わせ。クリスマスイブの夜。
もうほとんど諦めていたのに、あなたは優しい笑顔だった。
「僕が君に会いに来たのは、君のためだけじゃないから」
雪の降る町並みを見下ろす、そこは展望台だった。
年の瀬。人たちはせわしなく動いていて、わたしだけが取り残されたよう。
そう思っていたのに、あなたは来てくれた。
仕事が終わったばかりなのだろう、スーツで、丈の長い栗色のコートを着込んでいる。
息を切らし、頬は赤い。
急いできてくれたのかな、などと、勘違いしてしまいそうになる。
「それってどういう意味? わたしのためだけじゃないって」
「ん、そうだなあ」
あなたは鼻をすすりながら、わたしの隣にやってきた。
自然と肩に回されたその手は、いつものように優しい。
「君と過ごせないクリスマスは、僕にとって、すごく悲しいことだから」
「でも、とっても忙しいって」
「なんとかしたよ。たぶん、今年で一番頑張った」
「がんばらなくてもいいのに」
「頑張りたかったんだ」
微笑むあなたの手に抱き寄せられて、でもわたしは、少し眉をひそめた。
「クリスマスだって、普通の一日だよ。あなたがいなくても、わたしは平気。それであなたが体を壊したら、わたしは嫌だな」
「お互いの主義主張がぶつかっているね」
「そんなに難しいことじゃないと思うけど……」
冷えたわたしの手をあなたが撫でる。
「ふたりの幸福量は、ふたりで高めてゆくものだと思う」
「……うん」
「君が僕の幸せを願ってくれるのはわかるけれど、それじゃあどちらかひとりしか、幸せにならないじゃないか」
「わたしは、あなたが幸せなら、それでいいよ」
「でも、僕も君も少しずつ幸せになれることがあったら、それは僕ひとりが幸せになることよりも、もっとずっと尊いことだと思うんだ」
……。
そうかな?
あなたがそう言うと、本当みたいに聞こえちゃう。
「でもそれであなたが風邪でも引いたら、元のもくあみだよ」
「平気さ。頑張りたかった僕の気持ちに、体だって応えてくれるに決まっている。僕の体なんだから」
「なにそれ」
ちょっと笑ってしまう。あなたは嬉しそう。
雪の降る町並み。
どうしてだろう、先ほどよりも、もっとずっと綺麗に思える。
この世界中で、たくさんの恋人が手をつないだり、抱き合ったりしているのだろう。
わたしもその中のひとり。
まるで、世界中の人と融け合っているみたいだ。
「ねえ、あなた」
「なんだい」
「わたし、幸せだよ」
「うん」
あなたはわたしの頭に手を乗せて、優しい声でささやいた。
「知っているよ。そうなるように、頑張ったんだから」
「……うん、でも、無理は」
「無理だってするよ。いや、別に無理ではないんだけどね。でも、こうやって僕が頑張ることによってふたりの幸福量が増えるなら、僕はいつだってそれを目指していたい。ほら、見て」
するとあなたはカバンの中から、小さな包みを取り出した。
わたしは今度こそ――本当にびっくりしてしまった。
「あの、これ……」
「うん、プレゼント。大丈夫、これは一昨日おうちに届いて、用意していたものだから。開けてみて」
「……うん」
長い筒の包みを開く。かじかんだ手じゃうまく開けられなくて、もどかしい。
彼の見ている前、少しだけ不安がよぎる。
あんまり嬉しくないものだったら、どうしよう。
あなたが喜んでくれるように、振る舞えるかな。
嬉しいのは本当なの。あなたのくれたものなら、なにをもらっても嬉しい。本当よ。
でも、そういうことを求められているんじゃないと思うから。
大丈夫かな、わたし、演技ヘタだからな。
そんな風にして包みを開けたわたし。
でも、そんな心配ははっきり言って、杞憂だった。
「これ……」
「うん、君が前にほしいって言っていた、ネックレス」
「……」
どうしよう。
覚えていてくれたなんて。
わたしはプレゼントを抱きしめながら、心から言った。
「嬉しい……」
「良かった。喜んでもらえて」
「一生大事にします」
「そんなに大げさじゃなくてもいいよ」
笑う彼に、わたしは上目遣いで問う。
「でも、高かったんじゃない……? いいの……?」
「大丈夫」
満足気にうなずく彼に抱きしめられて、わたしは息を止める。
「君のその笑顔が見れただけで、僕は満足」
「……で、でも……」
「君の幸せが僕の幸せ……っていうのは、ありきたりな言葉だけど、幸せな君と過ごせる僕の幸せは、ふたりの幸せだと思わない?」
耳元でささやかれて、わたしは彼の背中に手を回して。
わたしは静かに目を閉じた。
こんなに静かに夜だから、もう言葉はいらなくて。
彼の背中をぎゅっ、とすることで、その返事としたのだった。