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文士の恋―K―

作者: 池田ミモザ

 僕の名前は、啓次郎けいじろう。目立たない大学生をしている。

 唯一と言っていい趣味は、文学に触れる事。それも、『本当の文学』に触れる事だ。

 『本当の文学』とは何か、よく聞かれるけれど、定義付けするのは難しい。レポートやら課題なんかより難しい。ある意味生きる意味を問うかのような議論を展開しなければならないような問題だ。

 僕は、つい最近。それである人と喧嘩してしまった。ある人と言うか、僕の『彼女』なんだけれど……。

僕の彼女は、才子さいこと言う名前の、携帯詩と流行の作家を愛する文学少女で、文学と同じくらい服と小物に愛を注ぐ高校生だ。元々。僕の高校の後輩だった才子は、何時も図書室で分厚い本と睨めっこする僕に興味を持っていて、まあ、そんな流れで、何となく付き合いだした仲だった。

 何でも、才子に言わせれば、僕の横顔の角度と、読んでいた本の題名――確か、グレーレクイエムだか、レッドニキータだか、が、とても似合いで、感性と恋心に訴えるものがあったらしい(才子には、そんな勢いがあって、それがまた魅力なのだ)。

 そんな僕らの交際は、僕の人混み嫌い症候群に悩ませられながらも、先月無事に一周年を迎えた。問題は、一昨日起こった。思い出したくも無いけれど……。



 それは、雨が上がったばかりの日曜。僕は、才子の買い物に付き合わされて、デートとも呼べなくはない一日を過ごしていた。友人と出掛ける事も多く無い僕としては、貴重な日光浴とも呼べる一日。

 夜からバイトだと言う才子と一緒に、僕はコーヒーショップでエスプレッソを飲んでいた。話のタネを出すのは、何時も才子の役回りで、僕は大抵。知らない事には推測を、知っている事には感想を述べる役に徹していた。

「それでね、名前は忘れたけれど、携帯で書いた小説を出版してる作家さんで、それがまた、読み易くて良いの」

「僕も、少し読んだよ、だけど、あれは文章じゃないね」

 僕は、文学に限らず。何事に付けても、何だかんだと毒舌を振るわなければ気が済まない性質たちらしく。今回もまた、才子が持ち出した携帯作家氏を槍衾やりぶすまにしてしまったのだった。

 才子は、軽く肩を竦めただけで、その時は、大して気色が害したふうでも無かった。高校生にしては落ち着きがある態度で、僕はそれも気に入っていた。

「自己中だよ、ケージは相変わらず」

 才子は、僕をケージと呼ぶ。〜朗と言う名前が古臭くて嫌なのだそうだ。

「そうかな? 嫌いなものは嫌いだし、本当の文学を愛するものとしては、今の本は詰まらないだけだ」

 僕らの他にも、何組か似たような客が居たのだけれど、僕は敢えて大きな声で反論していた。決まってそうなのだ。自分の考え、思想を、何とかして周囲に認めさせたいと、僕は何時も身構えてしまう。

「また言う。だったら本当の文学って何? 携帯で書いたら文章じゃないの? 最近の本は面白くないって、それはケージだけなんじゃない?」

「だとしたら、最近の本が面白いって連中に、僕は嫌われたって構わないね、こっちから願い下げだよ」

「あっそ! じゃあ、いい加減。あたしも嫌いになるかな、やってらんないよ!」

 僕はポカンとしていた。僕はヒートアップして熱弁を振るっていたのだけれど、何故か先に沸点に達したのは才子だった。

「ケージのワガママには付き合いきれないよ、頭固いんじゃない!? 文学文学って、つまんない!」

 その後は、防戦一方の僕と、百万のアジテーターでも味方に付けたかのような勢いで、僕を打破せんと攻め立てる才子と言う図式で、議論は短期決戦で終結した。

「あーあ、バイト行こ、じゃあね、アナクロ文学青年」

 正確には、アナクロ文学青年だったのか、所謂キモヲタだったのか、よく覚えていないが、取り敢えず。才子が落とした雷に見事に黒焦げにされた僕は、その他の客の視線から逃げるように、せめて割り勘であって欲しい代金を支払って、そそくさと退散したのだった。



「……情けない」

 僕は、大学の自習室で、独り言を呟く。手元にあるのは、リルケの詩集。

 その『新詩集』に収録されている『肖像』と言う題名の詩を、繰り返し、指でなぞる。

 二十世紀初頭のイタリアの女優。エレオノラ・ドゥーゼの舞台での姿を謳ったその詩は、僕の女性像の一部を成している。

 舞台で、惜しげも無く感覚の極地のような台詞を止め処無く落としながら、彼女はまったく気にも掛けないで自分の痛ましい現実を生きるのだ。

 ああ、何たる孤高。人は孤独の中でこそ磨かれる。夢を見るだけでは全く不足なのだ。見るだけならば、眠るだけで叶う。僕の周囲で、夢を追う者が何人居る?

 就職活動の最中。僕は浮いている。この現実から浮いている。まるで何も為さない落第生。それとも、これが噂のニートと言うやつか?

 才子が居れば、少しはこの反目も治まったのだろうか、才子は、悪い子じゃない。鋭い感覚。その感覚に頼り過ぎのきらいはあるけれど、それでも、頭を空っぽのままに行動する若者よりは、遥かに素晴らしい生き方だったんじゃないだろうか?

 僕のように、何かと比べて、自分の立ち位置を決めてしまうような、詰まらない男より、何も比べずに、ただ自分で歩く才子の方が、遥かにマシだったんじゃないだろうか?

 僕は何を考えているんだろう。僕は何をしているんだろう。自分の夢や目標と言ったものを、僕はとうの昔に変えている。僕はアーティストで在りたかったけれど、自分からそう名乗るほどカッコ悪い事は無いと思った。そして現実を見ている。

 僕の志望は出版社への就職だ。僕は、フリーターと言いながら社会から顔を背けられるほど強くは無い。

 まるで皮肉を言ってるみたいじゃないか……夢を見る人の何が悪い。それを叶えようと行動する人間まで含めて、僕は僻んでいるだけなんじゃないだろうか? 文学は崇高なものだと言いながら、体の良い隠れ蓑にして、まるで老いぼれてしまったように、今を生きているだけじゃないのか?

 今流行っている本を読まないで嫌いだと言っている。それは、ただの僻み以外の何ものでも無いんじゃないだろうか?

「……ぁ」

 不安やら苛立ちより先に、頭痛が僕の肩を痺れさせる。

 水無しで飲める頭痛薬。これが手放せない。病院に行けと、半分本気で友達に心配された。だけど、僕はまいっちゃ居ない。心身症に罹るほど、僕は疲れても居ないし、追い詰められても居ない。

 帰ろう。考える事は、今は無駄なのだ。何もかも、今の僕には空しい。

 僕は、自習室で就職関係の資料を漁る連中をわざと不快にさせるように、大きな音を立てて椅子を立つと、無言で部屋を後にした。



 ――結局。僕の不安定の原因は何なのだろう。

僕は物書きになりたいのだ。作家先生になりたいわけじゃない。この世界には、自分の為の領域があるのかと、ある本の登場人物は問い続けて、川に飛び込んでしまった。

 かたや、未来に悩んだ女子高生が、友達と暴走族に入って、この世の自由を知るなんて内容の本も読んだ事があった。

 前者と後者は、まさしく社会を表す。世界は何時も顔半分で笑って、顔半分で泣くのだ。全ては本人の意思で、その表情を変えると、街角の教祖は言う。

『私は常に、自分で人生を切り開いてきました!』

 マティスポの言う事は、何処か差別的だと思う。セレブだの勝ち組だのと、みんなは何かのステータスを目指す。それだけでいいのか? 募金だけで世界が変わるとも思わないけれど、そんな……とにかく。そんなのでいいんだろうか?

 例えば作家と言うものは、『ぼんやりとした不安』で自死したとある作家の名を冠した賞で決まる職業なのだろうか? 違う! 人に受け入れられなければならない。

 ……それも違う!

 ゴツンッ!

『……』

 嫌な沈黙だった。電車だった。帰りの時間だ。みんながこっちを見ている。僕は目を瞑って、座席の仕切りに頭を打ち付けている。

 次の駅で降りた。僕の知ってる十の古本屋の中で、一番僕が落ち着ける店がある。このまま家に帰っても、どうにかなりそうだ……。

 その店は、駅の高架橋の下にある。一見普通の民家だけど、玄関を開ければ、乾いた古本の、少し埃っぽい匂いと共に、システムキッチンを改良したと思しき小さなカウンターに腰掛けた。恰幅の良いオジサンが、無言で僕を迎えてくれるのだ。

 店の中には、黄ばんだ文庫本から、最新の新書。ムックの類に漫画に同人誌。とにかくたくさんの本が、それこそ何かの磁力で集められたかのように並んでいる。

「お久しぶりです」

「ああ、啓次郎くん。お久しぶりです。最近はどうですか?」

「相変わらずです」

「そうですか、のど飴。どうですか?」

 店舗とは、店主とは、こうあるべきだと言わんばかりに、堂に入った感じで、店主は僕にカリン味ののど飴を手渡す。その手は、本の整理の間に、インクで指先が黒くなっている。僕は、少しだけガソリンスタンドの店員を想像しながら、飴を受け取る。

『そう言えば、君が前に探してた『バナナ魚日和』。見付かりましたよ、書店の流れでね、この前たまたま仕入れたんですけど、買っていきますか?」

「……今は少し。サリンジャーなんか読んだら、多分。立ち直れません」

「そうですか、何時も通り。取っておきますから、何時でも来て下さい」

 用の無い客でも、立ち読み客でも、店主は追い出さない。僕は何時も、カウンターの隣に荷物を置いて、数時間は普通に、この店に留まる。その内大半は店主と話していて、本を買っていくとしても、毎回千円以下が普通だったけれど、店主は文句の一つも言わない。社交辞令で、『また来て下さい』とも言わない。本音で言ってくれる。有難い。

「あの、オジサンは、文学って何だと思いますか?」

「人それぞれです。ここにある本が全て文学であり、三文小説であり、ただの紙であり、インクの染み。そう言うものだと思います」

「誰か基準を決めてくれたら良いのに」

「坪内逍遥でも読みますか? だけど、彼も答えはくれません」

「自分が基準ですよね、やっぱり。じゃあ、神様が悪いのかな?」

「自由意志ですか? なんなら、形而上学の本も有りますよ、高いですけど」

「じゃあ、誰だか忘れましたけど、携帯作家の書いた『……』って置いてあります?」

「有りますよ、一昨日だけで三冊も売られてきました。人気無くなったんですかね?」

「読んでみます。一冊下さい」

「有難う御座います。また来て下さい。今度は、噂の彼女も是非」

「ええ、機会が有れば是非」



 家に帰った僕は、何時も通り、出来るだけ家族を心配させないように振る舞い。部屋に入り、レポートを済ませ、時計の針が一日の終わりを告げる頃に、噂の『……』を読み始めた。

 書店で立ち読みした時と、あんまり印象は変わらない。文章は、全体的に短い。印象深いフレーズがあるわけでもない。話し言葉は、僕みたいなアナクロには分かり難いばかり。

 例えば、こんな感じだ。

『だるいねぇ』

『そうだねぇ』

『受験どうする?』

『関係無い〜』

 これは、文章なんだろうか? 半分読み終わるまで、三十分掛からなかった。試しにサイコロ本なんて呼ばれる作家の本の横に並べてみたら、十分の一も厚さが無かった。

 話の粗筋はこうだ。大学進学を間近に控えた主人公の女子高生が居る。友達と思ってる連中はみんな友達じゃなくて、それに気付いた彼女は、出会い系サイトで出会った男に相談するのだが、その男が(偽)友達の彼氏で、浮気と誤解された挙句。(偽)友達とその彼氏に、富士の樹海で生き埋めにされる。

「何だそれ」

 僕の正直な感想だった。物語の強引さは、さしずめ、ド・ドーミエ・スミスのシスターアーマへの恋文に近いものがあるのだろうか? 何と言うか、わけがわからない。

 才子は、この本の何処に惹かれたんだろう。この本の帯に書かれた売り文句は、『不条理なこの世界を生きる為の教本』。おふざけにしても、結構なキャッチフレーズを付けたものだと思う。これに騙された? 違うな、絶対違う。

『人に勧められた本って、絶対読まない』

 才子は、そう言ってたじゃないか、そうだ。才子の事だ。きっと――一緒になったのだ。

 最高の読者じゃないか、しかめ面をして、文体がどうとか、描写がどうとか言い出す評論家なんかより、よっぽど良い読者だ。

 そうか、才子は、大学進学を間近に控えながら、生き埋めにされた女子高生になったのだ。僕には出来ない見方だ。時代劇でも泣ける女だ。僕の彼女は、そんな彼女だったのだ。

 そして、そんな彼女は、きっと色々悩んで、フラストレーションが溜まっていた。もしかしたら、本当に生き埋めにされたかったのかも知れない。

「僕が馬鹿だったんだ。文学は、人が感じるものだ」

 そうだ。僕が馬鹿だった。僕は、僕の文学を失くしていたのだ。サリンジャーが素晴らしいのは、コクトーが素晴らしいのは、何も後世に名を残したからではない。

 それを忘れていた。僕は、彼らが無名でも、絶対に手に取ったと、自負していたのに、

 僕は携帯を手に取った。しばらく電源を切りっ放しだった。メールを確認。

 未読一件。ゼミの先生じゃなければ、才子しかない。いいや、才子に違いない。

『やっぱり寒いね』

 そうだ。才子だった。才子は、何処までも原寸大の女子高生なのに、絵文字を一つも使わない。だから、僕は大好きなのだ。

『大丈夫?』

 僕は返信する。仲直りしなくちゃいけない。才子が、僕のシーソーの反対に乗ってくれないと、僕はダメなんだ。

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