7話 俺の言葉ってお前に届いてないの?
「……はぁ」
あの後、風松は勇み足で帰っていった。ブドウジュースは置いて。
不幸な事故だと思うことにして勉強に戻るも、やはりと言うべきか、集中できるはずもなく。
仕方がないのでスマホを弄って時間を潰していた。勉強の時間が吹き飛んだわけである。
そりゃため息の一つや二つも出る。
「……アキ、何かあったの?」
「別に何でもない」
部活が終わったナツキが首を傾げた。
後ろで一つにまとめた橙色の髪が揺れる。
日の入りが早く、暗いこの季節とはいえ、むしろ街灯の光を反射して存在感を放った。
隣を歩く俺の地味さ加減と比べるのが馬鹿らしくなって考えるのをやめたのは、一体いつだったか。
「……あぁ、そういえば。これ、いるか?」
「……! ブドウジュース、いいの?」
「間違って買っちまったんだよ」
「……ふふ、アキ、私のこと好き過ぎ」
――絶対花野君のこと気になってるよ!
――幼馴染が負けるわけないのっ!
――だから、花野君と陽佐さんには付き合ってもらうっ!
……思い出しても頭が痛い。
ナツキの言葉のせいでリフレインした、ため息の原因に頭が痛くなった。
気になってるだの付き合ってもらうだの、本当に通り魔みたいな奴だった。
お陰で、俺の中の風松という存在のイメージは崩壊し切ったと言っていいだろう。これ以上下がることはない最底辺だ。
「……むぅ、答えてくれない」
「そんなことより、お前明日朝練だったよな?」
「誤魔化した、照れてる?」
「朝練だったよな?」
悪戯っぽく笑った幼馴染に強めの語気で聞くと、頷きが返ってきた。
「じゃあ、明日は早めに行くから今日こそ起きてろよ。いつまでも夏休み気分でいるな」
「……アキが起こしに来てくれるんだから、それでいいじゃん」
「俺はお前の親か」
まぁ、お察しの通り。
俺はナツキの『登下校係』を任命されている。
だからこうして下校まで一緒にさせられているわけなのだが、『登下校係』とは、突き詰めると『ナツキが学校の行き帰りを無事に行えるように案内する役割』なのだ。
だから当然、女バレという朝練が存在する部活に所属しているナツキを朝早く送り届ける役目も、俺には与えられている。
俺は部活入ってないのに。
これさえなければもっと寝ていられるのに。
……幼馴染はやはり、ロクなものではない。
風松が幼馴染にどんな幻想を持っているか知らないが、それを俺に押し付けるのはやめてほしい。
「……はぁ」
思わず漏れた二度目のため息に、ナツキが反応した。
「……ん」
「歩きにくいから離れろ」
「ダメ」
登校する時のように抱き着いてきた。
それだけでなく、若干俺に自分の身体を押し付けるような感覚さえする。
本当に歩きにくいからやめてほしかった。
カシュッ。
「おいジュース開けんな。こぼしたら俺にもかかるだろうが」
「一蓮托生」
「その言葉使うには状況がお前の匙加減とミス次第過ぎるだろうが」
「かかったらアキのお母さんには一緒に謝ってあげる」
「お前だけで謝れ」
……と言い切れないのが、俺の家族とナツキの関係性の面倒臭さだ。
下手をすれば俺だけ謝らされる可能性がある。息子なのに。
そんな俺を尻目に、暗い道を歩きながらナツキは喉を鳴らしてブドウジュースをあおった。
俺の言ったことを一応気にしたのだろうか。
「……あんまり冷えてない」
「贅沢言うな」
「でも、アキが私のために買ってくれたから美味しい」
話聞いてたのかこいつ。
間違って買ったって言ったよな、俺?
いや、そもそも間違って買ったわけですらなく、風松に買ったはずが飲めなかったから返ってきただけなんだが。
「缶捨ててから帰るぞ。母さんに見つかったらなんか言われそうだ」
「……今日のご飯、生姜焼きって聞いた」
「……俺聞いてないんだけど」
「? 私にはメッセージ来てたよ?」
「来てないんだけど」
スマホを開くも、無通知のロック画面。
母さんよ、幾ら何でもナツキ贔屓が過ぎないのではないだろうか。
「アキ、生姜焼き好きだったよね?」
「そうだけど……急にどうした?」
「ふふ……私も好き」
「はいはい、そうですか。さっさと食って寝ろ。で、明日はちゃんと起きろ」
「アキが起こして」
「俺の言葉ってお前に届いてないの?」
道中で空き缶を捨てて、俺たちは俺の家へと向かった。
くっついているせいで、ブドウジュースの匂いがずっと漂っていた。
俺はブドウジュースが苦手だから、それが少し嫌だった。
◇
「結局ギリギリじゃねぇか」
「むぐ、むぐ……ごくん。行ってくる」
「――あー、やっと来た! 急ぐよナツキちゃん!」
「ん、任せて」
同じ一年生の友達に連れられ部室へと着替えに走っていくナツキを見届ける。
朝日が眩しい。毎度のことながら、朝練の時間に俺まで起きなきゃいけないのはふざけている。
お陰で生活リズムが整ってしょうがない。健康優良児にこんな形でなるなんて思ってもみなかった。
「……教室行くか」
朝食のおにぎり一個分だけ軽くなったカバンの重みを感じながら、校舎の中を歩く。
まだ微妙に頭が鈍い。昨日できなかった分をやってしまいたかったが、今日は仮眠でも取るか。
「で、歩いてるうちに段々目が覚めてくるんだよなぁ」
教室に着く頃にはパッチリだった。
仕方がないので昨日の部分に取り掛かることにする。
秋の朝の冷たさも相まって、もう眠たくなることはなさそうだ。
――そうして集中しているうちに。
周囲が賑わい出す。
朝練で朝から元気よく動き回るスポーツ学生たちのものではなく、談笑とかの類。
俺が顔を上げて時間を確認すると、どうやら登校時間になったようだ。
いつもより集中できたことと、昨日それを邪魔されたのが思っていたよりストレスだったらしいことを悟って何とも言えない気分になりながら伸びをする。
そこへ教室に入ってきた女子二人の声がした。運動部に入っていない人たちだ。
「――なんであんなところに立ってたんだろうね?」
「――ねー。もしかして、安藤君待ってたのかなぁ?」
ん?
「――でもびっくりしたよね、見た時。校門前で仁王立ち」
「――竹田かと思ったもんねぇ。深冬さんってあんなことするような人だったっけぇ?」
俺は耳を疑った。
思わず窓から外を見る。
うちのクラスは位置的に校門を見ることができた。
すると、いた。
白銀の目立つ髪を靡かせて、昨日泣いていた女子が。
ジャージ姿の竹田と一緒に登校してきた生徒に挨拶をしている。
その姿は、確かに誰かを待っているようだった。
……何してんだ、あいつ。




