4話 いるのかよ
結局俺はあの後、掃除が終わった自分のクラスの教室で居残って勉強することにした。
その日を振り返りながら教科書をめくり、聞こえてくるスポーツに打ち込んだり楽器を吹き鳴らしたりする生徒たちをBGMに頭を働かせる。
まぁ、その中にさっきの光景が時折よぎってしまうのは仕方がないことだと思う。
……あれ、多分恋愛絡み、だよな?
初めて見た、あぁいう現場。なんでよりにもよってあんな人目に付くところでおっ始めたのか意味が全く分からないが、深い事情でもあったんだろう。
結末があれなら、何とも言えないが。
「駄目だ、集中できない」
教科書から視線を外す。
忘れるようにのめり込んでみたが、ただでさえナツキという存在が邪魔していたところに、別のことまで頭の中で回り出したらもう無理だ。
一旦休もう。
教室に設置された時計を見るが、まだ十分くらいしか経っていない。
「飲み物でも買うかな……」
と、そんなことを言った直後だが、俺は止めておこうと思った。
うちの高校の自販機は、何とも立地が悪い。特に今は。
何せ、中庭に面している。
あんなことがあった手前、足を向けづらい。
まぁ流石に、もう風松がいることはないだろうが。
「……いない、よな?」
人生で初めて目の当たりにした男女の修羅場に、俺の薄っぺらい価値基準は半ば機能していない。
……一応、一応な。どうせいないだろうけど。
教室から出て、恐る恐る中庭に面した窓を覗いてみる。
「いるのかよ」
そこには、まだ泣いている風松の姿があった。
さっき見た時よりは少し勢いがなくなったが、今度はすすり泣くような感じだ。
嘘だろ、十分も泣き続けてたのか? そんな重大な話をあんなとこでしてたのか?
「…………」
どうして、誰も助けに行ってやらないんだろうか。
このご時世、こんなこと言うのも危ないのかもしれないが、女の子が泣いてんだぞ。
「それは俺も同罪、か」
居た堪れなくなって無視したのは俺だってそうだ。
そして、今こうしてもう一度目にしてしまった以上、二度目の無視を決め込むほどの度胸は俺にはない。
多分だが、あったら俺は中庭で勉強してる。
……仕方ない。俺はNPC、俺はNPC。
意を決して、財布をポケットに歩き出す。
俺しかいないのかと思うほど、人とすれ違わない状態で階段を下り、中庭に面する自販機へ。
外にあるせいで秋風がやたらと寒かった。どんより曇り空が恨めしい。
自分用にコーヒー缶を購入。
そして、その他にコンポタとブドウジュースも買う。
ガコンと派手に音を立てて商品を吐き出す自販機には肝が冷えるが、耳を澄ましてもすすり泣きが止んだ様子はない。
完全に自分の世界に入ってしまっているみたいだ。
好都合だと思うことにしよう。コーヒー缶はブレザーの胸ポケットに仕舞い込んで、残る二つをそれぞれ片手に携える。
「他に誰もいない、よな?」
周囲を見回すが、やっぱり人の気配はない。
冷静に考えてみればそりゃそうだ。秋の、寒い午後四時に泣き喚く女子が放っておかれるなんて、誰も見てないから以外に考えられない。
つまり、ギルティは俺だけってことだ。若干だが心が痛む。
そうして、いざ中庭へ。
まさかこんな形で入ることになるとは思わなかった。
「……ぅ、ひぐっ」
中央に植えられた木のすぐ近くのベンチで泣いている風松には、嫌が応にも視線が向く。
白銀に輝く肩口までの髪と、今は見えないが整った顔立ち。
そしてサファイヤみたいな色の綺麗な瞳。
ナツキとは別ベクトルの美人、というのが生徒たちの総評らしい。
引く手数多な彼女には、しかし安藤というイケメンの幼馴染がいて、敗色濃厚故に告白ラッシュにはならなかったとか何とか。
全部噂話の又聞きである。
今、そんな彼女を泣かせているのがその幼馴染というのが、ままならないものである。
「……これ、置いとくから。良かったら飲んで」
「っ!?」
できるだけ音を立てないように近付いたのが良くなかったか。
コンポタとブドウジュースを置くついでに一応声をかけたなら、風松は俺の存在にようやく気付いたみたいで、勢いよく顔を上げた。
台無し、とは行かないが、多少崩れた顔と対面する。
腫れた目元、涙と鼻水でぐっしゃぐしゃ。
多分見られたくないだろうなと思って、すぐに顔を逸らす。
「俺、一年の花野。偶然見かけたから……なんか、放っておくのも違うかと思って。じゃ、俺行くわ」
「……え、あっ、え?」
視界の端に映る風松の顔は、置かれた二本の缶と俺を行ったり来たり。
その拍子に涙なのか鼻水なのか分からないものが宙に舞った、気がした。視線を外して正解である、お願いだから俺の見間違いであってくれ。
微妙な空気に耐え切れないので、俺は足早に中庭を後にすることにした。
慣れないことはするもんじゃない。心臓がバクバクだ。休憩のために席を立ったはずが、更に勉強に集中できなさそうな気がする。コーヒーで何とかならないものだろうか。
…………。
…………ん?
「…………ん?」
俺は後ろを振り向いた。
……なんか風松がついてきている。
コンポタで少し赤くなった片手を温めながら、もう片手ではブドウジュースの冷たさで腫れた目元を冷やしていた。
二つ買って正解だったかもしれないと思う。
それはそれとして、なんでついてきてるんだろうと思った。
「……ずずっ」
鼻をすする風松。
俺の中の印象ではもうちょっとお淑やかな気がしたのだが、もうそのイメージは崩れ去りつつある。
「あぁ、教室同じ階だもんな」
俺は自分だけに聞こえる声量で呟いた。
話しかけてしまったことで中庭にはこれ以上いられないと気付いたのだろう。
だから荷物を取りに行く。俺と風松は学年が同じだから、自然と進行方向が被る。
なるほど、そういうことだったのか。
……そういうことだよな?
ナツキのせいで若干鋭くなった俺の悪い予感が働いているような気がするのは、多分気のせいだよな?
背中に冷や汗が伝うのを感じながら自分の教室に戻り、扉を閉める。
「……おい待て」
そこに滑り込むようにして、風松は教室の中に侵入した。
言わずもがな、俺と風松は別のクラスである。ここに風松の荷物はない。
思わず声をかけるが、それを無視して風松はキョロキョロ辺りを見回し始め、そして机に広がった教科書類を目印に、その一つ前の席に座った。
「…………」
何を始める気なのかと身構えたが、風松は無言。
俺が席に座ったなら、机を挟んで向かい合う形である。
本当に嫌な予感がする。
……が、諸々含めて巻き込まれに行ったのは結局俺の方だ。
「はぁ、何の用だよ」
仕方なく席に座る。
「私ね、ちっちゃい頃からずっと、リクと一緒だったの」
……なんか始まったんだが。




