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司令塔のノイズと、熱々ワンタン麺


 キーン、という耳鳴りが、真夜中の屋台に響いている気がした。

 実際にはそんな音はしていない。俺が中華鍋を洗う水音と、遠くを走るトラックの走行音が聞こえるだけだ。

 だが、暖簾をくぐって入ってきた客の表情を見れば、その幻聴の原因がわかる気がした。


「……空いてる、わね」


 現れたのは、眼鏡をかけた知的な雰囲気の少女だった。

 銀色の長髪をきっちりとまとめ、SF映画に出てくるようなバイザー付きのヘッドセットを首から下げている。

 衣装は装甲の少ない、オペレーター風のタイトなスーツ。手にはタブレット端末。

 彼女はカウンターに座るなり、眉間を指で強く揉みほぐした。

 その顔は青白いを通り越して、紙のように白い。


「いらっしゃい。……ひどい顔色だ」


 俺が言うと、彼女は薄く笑った。


「……ええ、頭が割れそう。情報過多オーバーロードよ」


 彼女はため息をつき、メニューを一瞥もしないで注文した。


「ワンタン麺。……麺は少なめでいいわ。とにかく、ツルッとしたものが食べたいの」

「あいよ」


 俺はテボに麺を半玉入れ、隣の鍋でワンタンを茹で始めた。

 薄い皮に包まれた肉餡。沸騰した湯の中で、それらはまるで白い雲のように踊る。

 彼女はチームの「司令塔コマンダー」だ。

 直接殴り合うのではなく、ドローンやセンサーを駆使して戦況を把握し、前線の馬鹿ども(アタッカー)に指示を出す役割。

 聞こえはいいが、その実態は「苦情処理係」に近い。

 彼女はカウンターに置いたヘッドセットを恨めしそうに睨んでいた。


「……今日の怪獣、電波干渉型だったの。通信ノイズがひどくて、指示が全然通らないし、味方の悲鳴とノイズが混ざって、耳元でずっと工事現場の音がしてるみたいだった」


 彼女はこめかみをトントンと叩いた。


「戦闘は終わったのに、まだ頭の中でザラザラした音が鳴り止まないの」


 俺は茹で上がったワンタンを、醤油スープの張られたドンブリに移した。

 透明感のある皮が、スープの中で揺らめく。

 刻みネギを散らし、最後に香り付けのラードをひと垂らし。


「へい、ワンタン麺だ」


 湯気と共にドンブリを出す。

 彼女は眼鏡を一瞬曇らせながら、レンゲでスープとワンタンをすくい上げた。

 フーフーと息を吹きかけ、口に運ぶ。

 チュルン。

 滑らかな皮が、喉の奥へと滑り落ちていく。


「……ん。優しい」


 彼女は初めて安堵の表情を見せた。


「噛まなくていいわね、これ。……今の私には助かるわ」


 彼女は黙々とワンタンを喉に流し込んだ。咀嚼するという行為すら、今の疲弊した脳には億劫なのだろう。

 俺は彼女が食事をしている間に、カウンターの上のヘッドセットに手を伸ばした。

 メーカーロゴは『富岳ふがくシステムズ』。

 官公庁御用達の、堅いが融通の利かないメーカーだ。


「……『タクティカル・イヤーType-9』か。高性能だが、ノイズキャンセリングの閾値設定がシビアな機種だ」


 俺は胸ポケットから小型のドライバーを取り出し、イヤーパッドの裏側にある調整ネジを回した。


「……何してるの?」


 ワンタンを飲み込みながら、彼女が怪訝そうな声を出す。


「メンテだ。お前、これの『広域収音モード』をオンにしっぱなしだろ」

「当たり前でしょ。戦場の全ての音を拾わないと、敵の位置が特定できないもの」

「それが間違いだ」


 俺は内部の設定パネル(物理スイッチだ、富岳の製品はこれだから助かる)を操作した。


「人間の脳が処理できる音声情報なんてたかが知れてる。全ての音を拾えば、脳がパンクして幻聴も聞こえるようになる。……必要なのは『足し算』じゃなくて『引き算』だ」


 俺は特定の周波数帯――怪獣の咆哮や爆発音が含まれる低周波と、通信ノイズの高周波――をカットするフィルタ回路を物理的に接続した。


「環境音のボリュームを三割カットした。その代わり、人の声の帯域だけ強調ブーストしてある」


 カチッ、と蓋を閉じる。


「これで、爆音の中でも味方の悪態だけはクリアに聞こえるはずだぜ」


 彼女は半信半疑でワンタン麺のスープを飲み干し、ヘッドセットを耳に当てた。

 スイッチを入れる。

 常にサーッとなっていたホワイトノイズが消え、店内の換気扇の音、冷蔵庫のモーター音、遠くの車の音。それらが、驚くほど静かに、整理されて聞こえる。


「……え?」


 彼女は目を見開いた。


「静か……。嘘、電源入ってるわよね?」

「入ってるよ。無駄な音を捨てただけだ」


 俺は布巾でカウンターを拭いた。


「司令塔がノイズに埋もれてちゃ、誰も守れねえ。……たまには耳を休ませろ」


 彼女はしばらくヘッドセットを付けたり外したりしていたが、やがて深く息を吐き、肩の力を抜いた。


「……ありがとう、店主。頭痛、消えたわ」


 彼女は眼鏡の位置を直し、凛とした「司令官」の顔に戻った。


「お代、置いておくわね。……次は、メンバーも連れてくるかも。あいつら、私の指示が聞こえてないフリをするから、このヘッドセットで怒鳴りつけてやらないと」


 少しだけ口元に笑みを浮かべ、彼女は颯爽と店を出て行った。

 静寂が戻った店内。

 俺は空になったドンブリを下げた。

 ワンタン(雲呑)は、「雲を呑む」と書く。

 戦場の暗雲を飲み込み、情報を噛み砕く彼女たちには、ぴったりのメニューだったかもしれない。


「……さて」


 俺はラジオのボリュームを少し下げた。

 必要な音だけが聞こえる夜は、悪くない。


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