脱走した管理者と鉄仮面の護衛、鴨南蛮そば
深夜二時。
店の外から、複数の足音と、緊迫した無線連絡の声が聞こえてきた。
『目標、ポイント・マルヨンにて停止! 屋台……? 警戒せよ!』
バンッ!
暖簾が乱暴に開かれた。
「動くな! 防衛省・特務警護班だ!」
飛び込んできたのは、黒いタクティカルスーツに身を包み、実体剣を構えた少女だった。
その背後には、獅子と犬を混ぜたような姿の、白い狛犬型電子妖精が浮遊しており、眼からレーザーサイトのような赤い光を放って店内をスキャンしている。
「……騒がしいぞ、リンドウ。ここは私の隠れ家だ」
カウンターの奥で、優雅に日本酒を啜っていた女性が言った。
黄金の髪、透き通るような白い肌、尖った耳。
ハイ・エルフのエルランド様だ。彼女はいつの間にか入店し、すでに一番高い酒を開けていた。
「こ、顧問!? こんな無防備な場所で何を……!」
護衛の魔法少女、コードネーム「リンドウ」は、剣を下ろさずに俺を睨みつけた。
「貴様! 何者だ! 民間人が顧問に近づくなど……!」
『警告。対象から微弱な魔力反応。しかし敵意なし。……店主の正体、元・大和重工開発部、黒木と照合』
狛犬妖精が合成音声で告げた。
「元・大和だと……?」
「やれやれ。……座りたまえ、リンドウ。レオもだ」
エルランド様が呆れたように手招きした。
「晩餐会のフレンチは見た目ばかりで腹に溜まらん。……大将。滋味深くて、脂の乗ったものを頼む。この堅物たちの分もな」
「かしこまりました。……鴨、いいのが入ってますよ」
俺は剣呑な空気を無視して、調理を始めた。
合鴨のロース肉(抱き身)を、皮目からフライパンでじっくりと焼く。
ジューーーッ……
皮から大量の脂が溶け出し、肉の表面が黄金色に変わっていく。香ばしい脂の匂いが店内に充満する。
その脂で、五センチ幅に切った長ネギを焼く。
表面は焦げ目がつくほど香ばしく、中はトロトロに甘く。
鍋に鰹と昆布の合わせ出汁を張り、醤油、みりん、砂糖で少し濃いめの「かえし」を作る。そこに焼いた鴨肉とネギを投入し、サッと煮る。鴨の脂が出汁に溶け出し、極上の黄金色のスープになる。
茹でたての蕎麦を丼に入れ、熱々のつゆを張り、鴨肉とネギを綺麗に並べる。最後に柚子の皮を一片、三つ葉を添える。
「へい、特製・鴨南蛮そばだ。……鴨がネギ背負ってやってきた、ってな」
丼からは、鴨の脂の濃厚な香りと、柚子の爽やかな香りが立ち上る。
リンドウは、まだ警戒を解かずに丼を見下ろした。
「……毒見を」
『スキャン完了。毒性反応なし。栄養価、極めて高し』
狛犬のレオが判定を下すと、エルランド様は待ちきれない様子で箸をつけた。
「頂こう」
鴨肉を口に運ぶ。
噛んだ瞬間、カリッとした皮目から、ジューシーな肉汁が溢れ出す。
「……ん、美味。……鴨の脂とは、なぜこうも蕎麦つゆに合うのか」
彼女はうっとりと目を細めた。
リンドウも、恐る恐る箸をつけた。
蕎麦を啜る。
ズルッ
「……ッ!」
彼女の目が見開かれた。
濃いめのつゆが、鴨の甘い脂でコーティングされ、喉越し滑らかに胃袋へ落ちていく。
焼いたネギを齧る。
シャクッ、トロッ
焦げ目の香ばしさと、芯の甘み。
「……美味い。……なんだこれは、官舎の食堂とは別次元だ……」
彼女の「鉄仮面」が崩れた。
任務の緊張で張り詰めていた神経が、温かい出汁でほぐされていく。
『……我ニモ、補給ヲ要請スル』
狛犬のレオが、俺の周りを飛び回った。
「おっと、忘れてたな」
俺は小皿に、焼いた鴨肉の端っこを細かく刻んで出した。
「お前のタイプの式神全員が味覚があるかは知らんが」
『肯定。エネルギー効率ヨシ。味覚センサー、幸福ヲ検知』
レオはガツガツと鴨肉を平らげた。
しばらくの間、店内には蕎麦を啜る音だけが響いた。
エルランド様は、満足げに空になった丼を置いた。
「……ふぅ。生き返った心地だ。……リンドウよ、そう目くじらを立てるな。たまにはこうして息を抜かねば、長い生は持たんぞ」
リンドウは、少し恥ずかしそうに空の丼を見つめ、姿勢を正した。
「……失礼しました。……顧問の安全確保に必死になるあまり、無粋な振る舞いを」
彼女は俺に向かって、敬礼した。
「店主殿。……素晴らしい食事だった。感謝する」
エルランド様は、懐からまた一枚の「世界樹の葉」を取り出し、俺の胸ポケットにねじ込んだ。
「口止め料だ。私がここにいたことは、防衛大臣には内緒にしておけ」
彼女は悪戯っぽくウィンクした。
三人は店を出て行った。
「顧問! 次はちゃんと正規ルートで移動してください!」
「よいではないか。レオも美味かったと言っておる」
『肯定。鴨、再摂取ヲ希望』
騒がしくも、少し和やかな声が遠ざかっていく。
「……世界樹の葉が二枚目か」
俺は胸ポケットの葉を取り出した。
これ一枚で城が買えるという噂もあるが、俺にとっては、ただの気前のいい常連からのチップだ。
「さて」
俺は鴨の脂が浮いた鍋を洗った。
どんなに偉い管理者も、それを守る騎士も、美味いもんの前じゃただの客だ。
俺は残った鴨肉を一切れ、自分の口に放り込んだ。
脂が甘い。
今夜はいい夢が見られそうだ。
っていうか、世界樹の葉マジでどうしよう
お茶でも淹れれるのか?




