孤独な射手と、熱々シーフードドリア
深夜二時半。
店の中に、いつの間にか「客」が座っていた。
引き戸が開く音も、足音もしなかった。気配を完全に殺して入店する技術。
俺がそれに気づけたのは、彼女がカウンターに置いた巨大なライフルケースが、ゴトンと鈍い音を立てたからだ。
「……いらっしゃい。忍びかと思ったぞ」
そこにいたのは、フードを目深に被り、迷彩柄のポンチョを羽織った少女だった。
長距離狙撃特化型魔法少女、「ホーク・アイ」。
数キロ先から怪獣の急所を撃ち抜く、戦場の死神だ。
彼女はフードを少しだけ上げ、充血した目を俺に向けた。
「……ごめんなさい。気配を消すのが癖で」
声は掠れていた。長時間の沈黙と、乾燥した空気の中で呼吸を潜めていたせいだろう。
「……温かいものを。……冷めにくい、ずっと温かいものをください」
「あいよ。なら、グラタン皿を使ったアレだ」
俺はフライパンにバターを落とした。
みじん切りの玉ねぎを透き通るまで炒め、ご飯を投入。塩胡椒とコンソメで味付けし、香ばしいバターライスを作る。
それを耐熱皿に敷き詰める。
次に、別の鍋でホワイトソース(ベシャメルソース)を温める。
牛乳とバター、小麦粉で作った濃厚なソースに、エビ、ホタテ、イカのシーフードミックスをたっぷりと放り込む。
海の幸の旨味がソースに溶け出したところで、バターライスの上からドロリとかける。
仕上げに、シュレッドチーズと粉チーズを、親の仇のように山盛りに乗せる。
これをオーブンへ。
十分後。
チーン!
オーブンを開けた瞬間、香ばしいチーズと焦げたバターの香りが爆発した。
「へい、特製シーフードドリアだ。……皿ごと焼いてるから、最後まで熱いぞ」
木の台に乗せられたグラタン皿の中で、チーズがグツグツと音を立てて沸騰している。
表面の焦げ目が美しいキツネ色に輝いている。
彼女はスプーンを握り、ふーふーと念入りに息を吹きかけた。
スプーンを入れる。
サクッ、トロッ
持ち上げると、チーズがどこまでも糸を引いて伸びる。
ホワイトソースを纏ったエビと、黄金色のバターライス。
パクリ
「……はふっ、あつっ……!」
彼女は口の中でハフハフと熱気を逃がした。
濃厚なミルクの甘み、魚介の塩気、そして焦げたチーズの芳醇な香り。
「……おいしい。……優しい味」
彼女の張り詰めていた神経が、ホワイトソースのように溶けていく。
「……ずっと、寒かったから。……この熱さが、嬉しい」
彼女はゆっくりと食べ進めた。
ドリアは冷めない。むしろ、食べ進めるほどに内側から熱気が溢れ出してくる。
彼女の蒼白だった顔に、少しずつ血の気が戻ってきた。
俺はその間、彼女のライフルケースに目をやった。
全長二メートル近い、対物魔導ライフル「ロングボウ・バレット」。
そのスコープ部分が、ケースから少しだけ覗いている。
「……おい。そのスコープ、レンズが曇ってないか?」
彼女はドリアを頬張りながら頷いた。
「……んぐ。そうなんです。……ずっと雪山で待機してたから、結露しちゃって。……拭いてもすぐに曇るんです」
「コーティングが落ちてるな。……そんな視界じゃ、いい仕事はできねえ」
俺は厨房の奥から、カメラレンズ用の高級クリーニング液と、親水性コーティング剤を取り出した。
「食ってる間に手入れしてやる」
俺はスコープを取り外し、レンズ表面の汚れを完全に除去した。
そして、湿気や温度差でも曇らない特殊なコーティング剤を、薄く、均一に塗布する。
さらに、接眼レンズのアイカップ(ゴム部分)が劣化して硬くなっていたので、シリコンスプレーで柔軟性を戻した。
「……これで、呼吸の蒸気で曇ることもない。クリアな視界だ」
完食した彼女は、磨き上げられたスコープを覗き込んだ。
「……!」
彼女は息を呑んだ。
「……明るい。……それに、全然曇らない」
彼女はスコープ越しに、店内のカレンダーの数字を読み上げた。
「……すごい。壁のシミの数まで見えそう」
「余計なもんは見なくていい」
彼女はスコープを愛おしそうにライフルに戻し、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。……狙撃手は、目が命だから」
彼女は代金を払い、再びフードを目深に被った。
「……ごちそうさまでした。また、隠れに来ます」
彼女は音もなく立ち去った。
ドアが閉まる直前、ふっと気配が消え、夜の闇と同化した。
「……孤独な仕事だねぇ」
俺は空になったグラタン皿を水につけた。
焦げ付いたチーズが、ジュッと音を立てた。
誰にも気づかれず、誰からも賞賛されず、ただ遠くから引き金を引く。
そんな彼女を温めるには、これくらいしつこい熱さの飯が必要なんだろう。
「さて」
俺はオーブンの予熱を切った。
あの娘が次に来る時は、目にいいブルーベリーソースのヨーグルトでもつけてやるか。




