遠い戦火の音と、焦がし醤油の焼きおにぎり
ドォォン……
遠くで、重たい音がした。
続けて、バリバリバリ、と乾いた破裂音。
風に乗って、微かにサイレンの音が混じる。
今夜は、隣町で大規模な怪獣災害が起きているらしい。
空の一角が、時折チカチカと赤や青に明滅しているのがここからでも見える。
だが、距離にして二〇キロ。
俺の屋台があるこの路地裏には、硝煙の臭いも、悲鳴も届かない。
ただ、少し湿った夜風が、祭りの後のような遠い騒めきを運んでくるだけだ。
カラン。
暖簾開いた。
「……こんばんは」
入ってきたのは、ヘッドホンを首にかけた、ジャージ姿の少女だった。
手には文庫本。足元はスニーカー。
戦闘服ではない。だが、そのヘッドホンからは、絶えずノイズ混じりの通信音声が漏れ聞こえている。
後方支援・通信解析担当の魔法少女、「オペレーター・カノン」。
彼女はカウンターに座ると、ヘッドホンのプラグを抜き、電源を切った。
プツン
漏れ聞こえていた『A地点防衛突破!』『増援を乞う!』という緊迫した声が途切れ、静寂が訪れた。
「……いらっしゃい。向こうは騒がしいみたいだな」
俺が顎で隣町の方向をしゃくると、彼女はふぅ、と息を吐いて肩を回した。
「……ええ。S級が二体。前線は大騒ぎですよ。……でも、私のシフトはさっき終わりました。あとは現地のオート・ターレットと、AI解析班に任せてあります」
彼女は文庫本をカウンターに置いた。
「……おじさん。何か、時間のかかるもの、ある? 急いで食べたくないの」
「なら、焼きおにぎりだ。炭火でじっくり育てる」
「……いいですね。それ」
俺は七輪に炭を足し、金網を乗せた。
白飯を少し強めに握り、三角形のおにぎりを二つ作る。具は入れない。米と醤油だけの勝負だ。
網の上に乗せる。
ジジッ……
米が焼ける小さな音。
ドォォォォン……!
遠くでまた、大きな爆発音が響いた。空気が微かに震える。
彼女はびくりともせず、ただ網の上のおにぎりを見つめていた。
「……不思議ですね」
彼女がぽつりと言った。
「あそこでは今、命がけの戦いがあって、建物が壊れて、みんな叫んでる。……でも、ここはこんなに静か」
「……それが『平和』の正体だろ。誰かが防波堤になってるから、ここでは米が焼ける」
俺は団扇でパタパタと炭を扇いだ。
おにぎりの表面が乾き、うっすらと焼き色がついてくる。
ひっくり返す。
パリッとした感触。
両面が焼けたら、ハケで醤油を塗る。
ジュッ、ジューーーッ!!
醤油が炭火に滴り、白い煙が立ち上る。
強烈に食欲をそそる、香ばしい「焦がし醤油」の香り。
遠くの火薬の匂いなんて、この香りでかき消される。
「へい。焦がし醤油の焼きおにぎりだ。……漬物と、熱いほうじ茶を添えておくぞ」
皿に乗せた熱々のおにぎり。
表面は醤油で茶色く染まり、所々にお焦げができている。
彼女は本を閉じ、おにぎりを手に取った。
「……あちち」
指先で熱さを確かめながら、角を少しかじる。
カリッ
良い音だ。
中はふっくらとした白飯。外側の醤油の塩気と香ばしさが、米の甘みを引き立てる。
「……ん。おいしい」
彼女は目を閉じた。
「……カリカリしてて、中がもちもちで。……お醤油の匂いが、落ち着く」
彼女はゆっくりと、本当に時間をかけて食べた。
一口食べては、ほうじ茶を啜り、遠くの音に耳を傾ける。
パラララ……ドーン。
(戦闘音)
カリッ、モグモグ。
(咀嚼音)
二つの音が、奇妙なリズムで重なる。
彼女の表情は穏やかだった。
罪悪感でもなく、無関心でもなく。ただ、「今は自分の時間だ」と噛み締めるように。
「……前線のラピスさんたち、今頃泥だらけだろうな」
彼女は二つ目のおにぎりに手を伸ばした。
「でも、私が今ここで慌てても、戦況は変わらない。……だから、私は私の休息を守るんです。明日、また彼女たちをサポートするために」
「ああ。腹が減ってちゃ、いいナビゲートはできねえよ」
俺は新しいお茶を注いだ。
三〇分後。
遠くの音が、ふっと止んだ。
最後の一際大きな爆発音の後、静寂が訪れた。
彼女はちょうど、最後の一口を飲み込んだところだった。
「……終わったみたいですね」
彼女はスマホを確認した。
『作戦終了。怪獣沈黙。帰投する』
仲間からの通知。
彼女はニッコリと笑い、ヘッドホンを首にかけ直した。
「ごちそうさまでした。……すごく、贅沢な時間でした」
「おう。またゆっくりしに来な」
彼女は代金を払い、外に出た。
引き戸を開けると、少しだけ硝煙の混じった風が入ってきたが、店内にはまだ焼きおにぎりの香ばしい匂いが残っている。
「……お疲れさん」
俺は遠くの空に向かって、小さく呟いた。
七輪の炭が、パチリと爆ぜた。
戦う奴も、待つ奴も、みんな夜を越えていく。
「さて」
俺は網を洗った。
焦げた醤油の匂い。
きっと腹を空かせた前線組がやって来るだろう。




