不動のセンターと、昔ながらの中華そば
深夜一時半。
屋台のラジオから、明るいアニソンのような曲が流れていた。
この界隈の魔法少女チームのリーダー、「プリズム・ハート」のテーマソングだ。
テレビをつければ彼女の笑顔、ネットを開けば彼女の活躍。
まさに魔法少女の「顔」とも言える存在。
暖簾が開いた。
「……こんばんは」
入ってきたのは、その「プリズム・ハート」本人だった。
フリルたっぷりのピンクの衣装、大きなリボン、ハート型のステッキ。
完璧な「魔法少女」の記号を纏った彼女だが、その表情はテレビで見せる満面の笑みではなく、どこかホッとしたような、素の少女の顔だった。
彼女はカウンターの真ん中に座り、メニューも見ずに言った。
「……ラーメン、ください。一番、普通のやつ」
「普通のでいいのか? チャーシュー麺や、全部乗せもあるぞ」
俺が聞くと、彼女は首を横に振った。
「ううん。普通の『中華そば』がいいの。……最近、コラボカフェとか、パーティーの料理とか、キラキラしたものばっかりで……。こういう、茶色いのが食べたかったの」
「あいよ」
俺は寸胴鍋の蓋を開けた。
立ち上る湯気。
スープは鶏ガラと豚骨、そして数種類の香味野菜を弱火でじっくり煮出し、煮干しと鰹節の魚介出汁を合わせたダブルスープ。
透き通った黄金色の「清湯」スープだ。
丼に、醤油ダレ(カエシ)と鶏油を入れる。
茹で上がった中細のちぢれ麺を湯切りし、チャッチャッ! と小気味よい音をさせて丼へ。
スープを注ぐと、醤油の香ばしい香りがふわっと広がる。
具材はシンプルに。
豚バラの煮豚チャーシューが一枚。メンマ、ナルト、海苔、そして刻みネギ。
奇をてらわない、教科書通りの一杯。
「へい、昔ながらの中華そばだ」
ドンブリを置く。
湯気の中に、醤油と出汁の懐かしい香りが漂う。
彼女は「わぁ……」と目を細め、割り箸を割った。
まずはスープを一口。
ズズッ。
「……ん〜……」
彼女の肩から力が抜けた。
鶏の旨味と、醤油のキレ。派手さはないが、体にスッと染み渡る味。
「……おいしい。……これだよ、これ」
彼女は麺を啜った。
ズルズルッ、ズルッ。
ちぢれ麺がスープを絡め取り、口の中で踊る。
もぐもぐと噛みしめ、飲み込む。
彼女は無言で、しかしリズムよく箸を進めた。
アイドルとしての「食レポ」も、カメラ目線の笑顔も必要ない。
ただ、腹を空かせた一人の人間として、ラーメンと向き合う時間。
俺は彼女が食べている間、カウンターに置かれた「プリズム・ステッキ」に目をやった。
ハートの宝石が埋め込まれた可愛い杖だが、持ち手の塗装が剥げ、金属部分がくすんでいる。
テレビでは修正されているのだろうが、実物は激戦の傷跡だらけだ。
「……おい。ステッキのスイッチ、戻りが悪くないか?」
彼女は麺を啜りながら、少し驚いた顔をした。
「……あ、分かります? 最近、必殺技のチャージボタンが、押した後すぐに戻らなくて……」
「隙間に手垢やホコリが詰まってるんだ。……毎日握りしめてりゃ、そうなる」
俺はステッキを手に取った。
ボタンの隙間が黒ずんでいる。
「……食ってる間に綺麗にしてやる」
俺は綿棒に無水エタノールを含ませ、ボタンの隙間を丁寧に掃除した。
さらに、接点復活剤を極少量吹き付け、何度もカチカチと押して馴染ませる。
くすんでいた金属部分は、専用のクロスで磨き上げた。
小さな傷は消えないが、輝きは戻った。
「……ほらよ。これで技の出が〇・一秒早くなる」
スープまで飲み干した彼女は、磨かれたステッキを受け取った。
カチッ、カチッ。
軽快なクリック感。
「……すごい。新品みたい」
彼女はステッキを愛おしそうに抱きしめた。
「ありがとう、おじさん。……私、これでもう少し頑張れそう」
彼女は代金を払い、立ち上がった。
その瞬間、彼女の顔つきが変わった。
素の少女から、みんなの憧れ「プリズム・ハート」の顔へ。
背筋を伸ばし、完璧なアイドルスマイルを浮かべる。
「ごちそうさまでした! とっても美味しかったです!」
声のトーンまで一段階上がっていた。
彼女はキラキラとしたオーラを撒き散らしながら、夜の街へと帰っていった。
明日の朝も、彼女はテレビの中で笑顔を振りまくのだろう。
「……プロだねぇ」
俺は空になったドンブリを洗った。
残ったのは、醤油のシンプルな残り香だけ。
基本がしっかりしていれば、どんなに飾っても芯はブレない。
ラーメンも、魔法少女も同じだ。
「さて」
俺は布巾を絞った。
普通のラーメンが一番難しいってこと、あの子は分かってるんだろうな。




