再来の氷結女王と、灼熱の四川麻婆豆腐
深夜一時。
急激に気温が下がった気がした。
屋台の隙間風が、ナイフのように鋭く冷たい。
コップの水面に、ピキリと薄い氷が張る。
この現象を起こす客は、一人しかいない。
暖簾が静かに開く。
入ってきたのは、透き通るような銀髪と、氷の結晶のような瞳を持つ美女だった。
Sランク魔法少女、「ダイヤモンド・ダスト」。
以前、餡かけを食べに来た氷の女王だが、今の彼女はガチガチと歯を鳴らし、全身を小刻みに震わせていた。
「……いらっしゃい。また随分と冷えてるな」
俺が声をかけると、彼女はカウンターに倒れ込むように座った。
「……死ぬ……。今日は、寒冷地仕様の怪獣で……ずっと氷点下三〇度の世界にいたの……」
彼女は真っ白な息を吐き、涙目で俺を見た。
「……店主。……マグマみたいに、熱くて、辛いもの……ください……。冷たいのは絶対ヤダ……」
低体温症寸前だ。
彼女自身の冷気耐性は高いが、限度がある。
「よし。なら、とびっきりのヤツを行くぞ」
俺は中華鍋を強火にかけた。
たっぷりの油に、挽き肉を投入してカリカリになるまで炒める。
そこに、豆板醤と甜麺醤、そして刻んだ豆鼓を加え、油が赤くなるまで香りを引き出す。
鶏ガラスープを注ぎ、賽の目に切った豆腐と、ニンニクの葉を放り込む。
グツグツと煮立たせ、水溶き片栗粉でとろみをつける。
仕上げに、真っ赤なラー油を回しかけ、その上から「花椒」をたっぷりと挽く。
「へい、本場四川の麻婆豆腐だ。……土鍋に入れてあるから冷めねえぞ」
グツグツと沸騰する、地獄の釜のような深紅の液体。
強烈な唐辛子の刺激臭と、花椒の爽やかな香りが、店内の冷気を吹き飛ばす。
ダイヤモンド・ダストは震える手でレンゲを握り、ふーふーと息を吹きかけ、恐る恐る口に運んだ。
熱々の豆腐と、激辛の餡。
パクッ。
「……っ!?」
彼女の目がカッと見開かれた。
唐辛子の「辣」の辛さと、花椒の「麻」の痺れ。
その二つが、凍りついた神経をダイレクトに殴りつける。
「……からっ! 熱っ! ……でも、あったかい……!」
彼女は涙目で、次々と激辛の塊を口に放り込んだ。
胃袋の中で火が燃え広がる感覚。
末端の血管が拡張し、失われていた血流が戻ってくる。
白い肌に、みるみるうちに赤みが差していく。額からは汗が吹き出した。
俺は彼女が汗だくになって麻婆豆腐と格闘している間に、彼女がカウンターに置いた杖、「フリージング・ロッド」に目をやった。
以前来た時よりも、グリップ(持ち手)部分の霜が酷くなっている。
「……おい。その杖、前来た時は問題なかったが、冷気が逆流してないか?」
彼女は激辛の刺激に喘ぎながら答えた。
「……はふっ、んぐ……。そうなんです……。出力を上げようとして、リミッターを外したら……持ち手まで凍っちゃって……」
「無茶しやがって。断熱処理が追いついてねえぞ」
俺は杖を手に取った。
素手で触ると、皮膚が張り付きそうなくらい冷たい。これじゃあ、自分の魔法で凍傷になる。
「……食ってる間に巻いてやる」
俺は工具箱から、配管用の断熱テープと、テニスラケット用のグリップテープを取り出した。
まず、冷気を遮断する発泡ゴム製の断熱テープをグリップの下地に巻く。
その上から、吸汗性とグリップ力の高いテープを丁寧に巻き上げる。
「見た目は少し無骨になるが、これで冷気は指に伝わらねえ」
さらに、杖の先端にある冷気放出ユニットのパッキンを確認し、シリコングリスを塗り直して気密性を高めた。
完食した彼女は、汗を拭いながら杖を受け取った。
握ってみる。
冷たくない。むしろ、グリップテープの感触が温かい。
「……すごい。全然冷たくないわ」
彼女は驚いたように杖を見つめ、それから俺を見た。
その顔は、汗で艶やかに濡れ、健康的なピンク色に戻っていた。
「ありがとう、店主。……やっぱり、困った時はここに来るのが正解ね」
彼女は代金を払い、外に出た。
外気は相変わらず氷点下に近いが、今の彼女の体には、麻婆豆腐の熱と、杖の温もりが残っている。
「……ごちそうさま! 次は甘いものを食べに来るから!」
彼女は晴れやかな笑顔で、夜の街へと駆けていった。
「……Sランクも楽じゃないな」
俺は空になった土鍋を洗った。
こびりついた赤い油。
氷の女王だって、たまには溶けるほど熱くなりたい時もあるってことだ。
「さて」
俺は自分のためにお茶を淹れた。
少しだけ店の中が暖かくなった気がした。




