重工業の罪と罰、味の染みたおでん
夜十時。
店の前に、場違いな黒塗りのハイヤーが音もなく停車した。
運転手が後部座席のドアを開ける。
降りてきたのは、開発部の佐々木だった。だが、いつものような疲れたサラリーマンの顔ではない。背筋を伸ばし、緊張した面持ちで、車内からもう一人の人物をエスコートした。
現れたのは、杖をついた小柄な老人だった。
仕立ての良い和服に、羽織。白髪は綺麗に撫で付けられ、深く刻まれた皺の一つ一つに、年輪のような威厳と、隠しきれない哀愁が漂っている。
大和重工・代表取締役会長、剛田厳造。
この国の防衛産業を牛耳る「重工業の神」とも呼ばれる男だ。
「……ここか、佐々木」
「は、はい。私の旧友が営んでいる屋台です」
剛田会長は鋭い眼光で屋台を見渡し、そして俺と目が合った。
「……黒木か。久しぶりだな」
「……ご無沙汰しております、会長。まさかこんな吹きっさらしに来られるとは」
俺は頭を下げた。俺が退社する時、最後に辞表を受理したのが、当時社長だったこの人だ。
二人はカウンターに座った。
剛田会長はメニューを見ず、静かに言った。
「……熱燗。それと、おでんを頼む。大根と、厚揚げ、それと牛すじだ」
「かしこまりました」
俺はチロリで酒を温め、四角いおでん鍋から具材を取り出した。
出汁は昆布と鰹節、そして鶏ガラを少し加えた特製つゆ。
飴色になるまで三日間煮込んだ大根。箸がスッと通るほど柔らかい。
出汁をたっぷり吸った厚揚げ。
そして、トロトロになるまで煮込んだ牛すじ串。
辛子を添えて差し出す。
「へい、おでんです。熱いのでお気をつけて」
会長は猪口で酒を一口含み、ほう、と息を吐いた。
そして、おでんの大根を箸で割り、口に運んだ。
ジュワッ……
口の中に広がる、優しく、深い出汁の味。
「……染みているな。芯まで」
会長はポツリと言った。
「……佐々木から聞いていた通りだ。お前は、機械も料理も、丁寧に仕事をする」
会長はゆっくりと食事を進めながら、独り言のように語り始めた。
「……四十年前。最初の怪獣災害が起きた時、私は資材調達部の部長だった」
その目は、遠い過去を見ていた。
「大人は無力だった。通常兵器は通じず、唯一対抗できたのは、魔力適性を持つ十代の子供たちだけ……。国は彼女たちを徴用し、我々に『彼女たちの武器を作れ』と命じた」
会長が握る箸が、微かに震えた。
「私は反対したんだ。『子供に武器を持たせるな』『大人が戦う方法を探すべきだ』とな。……だが、私の声は届かなかった。毎日増える犠牲者の数が、倫理を押し流した」
彼は牛すじを噛み締めた。
「それ以来、大和重工は大きくなった。魔法少女の命を削るシステムを作り、それを売って利益を得る。……私は、死の商人だ」
隣で佐々木が俯いた。それは、今の開発部も背負っている十字架だ。
「黒木。お前が会社を辞めた理由も分かっている。……『スペックのために安全性を犠牲にする』方針に耐えられなかったのだろう。……正しかったのは、お前だ」
重苦しい空気が流れた。
その時。
ガララッ!
暖簾が乱暴に開かれた。
「おじさーん! ちょっと見てよこれ!」
入ってきたのは、顔馴染みの若手魔法少女だった。
彼女はカウンターに、ひしゃげた盾をドンと置いた。
大和重工製の量産型シールド『イージス・ライト』だ。中央から無残に折れ曲がり、ボロボロになっている。
「さっきの戦闘で一発食らったら、真っ二つになっちゃった! マジ危なかったし! これ不良品じゃないの!?」
佐々木が青ざめ、会長の顔が強張った。
自社の製品が壊れ、あわや少女が死ぬところだったのだ。
「……申し訳ない。やはり、我々の技術は……」
会長が沈痛な面持ちで頭を下げようとした、その時。
「……いや、違うな」
俺はひしゃげた盾を手に取り、断面を指差した。
「嬢ちゃん。これ、攻撃を受けた瞬間、ものすごい衝撃が来たろ?」
「え? うん。ドゴォォン!って吹っ飛ばされたけど……でも、怪我はしなかったよ」
「だろうな。……見てみろ。ここのリベット」
俺は盾の接合部を示した。
「この盾はな、許容量を超える衝撃を受けた時、あえて『計算通りに壊れる』ように作られてるんだ」
「えっ?」
「車のボディと一緒だ。衝撃を吸収して壊れることで、持っているお前の腕がへし折れないように力を逃がしたんだよ。……もしこの盾が頑丈すぎて壊れなかったら、お前の腕は衝撃で粉々だったぞ」
少女は目を見開いた。
「……そ、そうなんだ。……じゃあ、こいつが身代わりになってくれたの?」
「ああ。いい仕事をした名誉の戦死だ」
俺は会長を見た。
会長は、信じられないものを見る目で俺と、そして壊れた盾を見ていた。
「……会長。あんたが社長時代に承認した『安全設計ガイドライン』だろ」
俺は言った。
「『使用者の生存を最優先とする』。……現場じゃ、あんたの意志はちゃんと生きてますよ」
会長は震える手で、壊れた盾に触れた。
冷たい金属の塊。だが、それは確かに、一人の少女の命を守り抜いて役目を終えていた。
「……そうか。……守れたのか」
会長の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
四十年間、彼を苛み続けてきた「子供を戦場に送る罪悪感」。それが、少しだけ報われた瞬間だった。
少女は気まずそうに頭をかいた。
「……そっか。ごめんね、不良品とか言って。……ありがと、おじいちゃんたちの会社!」
彼女は新しい盾の発注を頼んで、元気に帰っていった。
後には、静寂と、湯気の温かさが残った。
会長は涙を拭い、残ったおでんの出汁を飲み干した。
「……美味い。……本当に、美味いな」
その声は、来た時よりもずっと穏やかだった。
「黒木。……佐々木」
会長は立ち上がり、二人の部下(と元部下)を見た。
「私はもう少し、あの椅子に座り続けることにするよ。……まだ、老いぼれにもやれることがあるようだ」
「……はい! ついていきます、会長!」
佐々木が感極まったように答えた。
会長は代金を置くと、俺に向かって深く一礼した。
「ごちそうさん。……また、迷った時は寄らせてもらう」
黒塗りの車が去っていく。
俺は空になったおでん鍋を見つめた。
長い時間をかけて煮込み、味を染み込ませる。
人も組織も、そう簡単に味は決まらない。
だが、丁寧に仕事をしていれば、いつか誰かの芯まで温めることができる。
「……オヤジさんも、たまにはいい酒が飲めたかな」
俺は熱燗の残りを、シンクに流さず、自分の猪口に注いだ。
冷えた夜風が、少しだけ心地よく感じられた。




