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聖女の隠し事と、味噌バターコーン


 冷たい雨が、トタン屋根を叩いていた。

 午前一時半。夜明け前の一番暗い時間帯。

 この時間の雨音は、世界から色を奪うような重苦しさがある。

 俺は寸胴の火を弱め、湿気ったタバコに火をつけるのを諦めた。客など来ないだろう。そう思って、暖簾を片付けようと腰を上げた時だった。

 雨のカーテンを裂くように、白い影が飛び込んできた。


「……すみません、まだ、大丈夫ですか」


 濡れた声だった。雨のせいだけじゃない。疲労と、恐怖と、何かを必死に押し殺したような震えが混じっていた。

 立っていたのは、純白のローブを纏った少女だった。

 頭には看護師のナースキャップを模したような意匠のヘッドドレス。手には、身の丈ほどの巨大なロッド。その先端には、脈動するように明滅する緑色のクリスタルが嵌め込まれている。


 パーティの要、回復役ヒーラーだ。


 だが、その「聖女」のような見た目とは裏腹に、彼女の顔色は土気色だった。目の下には濃い隈があり、呼吸は浅く、今にも倒れそうだ。


「……あんた、顔色が悪いぞ。病院行った方がいいんじゃねえか」


 俺の言葉に、彼女は弱々しく首を横に振った。


「……私が、病院みたいなものですから」


 冗談にもなっていない。

 彼女はフラフラとカウンターに近づき、濡れたローブも気にせず椅子に座り込んだ。


「……カロリーが高いもの。一番、高いやつをください」


 切羽詰まったオーダーだった。


「あいよ」


 俺は鍋の蓋を開けた。

 こういう時に出すのは、繊細な醤油でもさっぱりした塩でもない。


 暴力的なまでの「熱量エネルギー」だ。


 中華鍋にラードを放り込み、ひき肉と野菜を強火で煽る。

 ジャァアアッ!! という爆音が、静かな屋台に響く。

 そこに特製の合わせ味噌ダレと、濃厚な豚骨スープを投入。ニンニクと生姜をたっぷり効かせる。

 茹で上がった太麺の上に、野菜炒めを山盛りに乗せ、さらに分厚いバターの塊をドン。最後にコーンを散らす。


「味噌バターコーンラーメン。カロリーの塊だ」


 ドンブリを置くと、バターがスープの熱でとろりと溶け出し、金色の油膜を広げた。濃厚な味噌とニンニクの香りが、雨の匂いをねじ伏せる。

 彼女はその香りを胸いっぱいに吸い込み、震える手で箸を握った。


「……いただきます」


 彼女の食事は、優雅な見た目とは裏腹に、まるで燃料補給だった。

 熱々のスープを躊躇なく飲み、麺を噛み砕く。バターが絡んだ野菜を胃袋に流し込むたびに、彼女の頬にわずかな赤みが戻っていく。

 魔法による「治癒」は、奇跡ではない。細胞の増殖と再構築を強制するプロセスだ。

 他者を治す時、術者は自身の生体エネルギーを触媒マナに変換して分け与える。つまり、ヒールを撃てば撃つほど、彼女自身が飢え、削られていく。

 今の彼女は、ガス欠寸前のエンジンそのものだった。

 半分ほど食べたところで、彼女の動きが止まった。

 箸を持った右手が、小刻みに痙攣している。

 彼女は顔を歪め、左手で右腕を強く抑え込んだ。


「……っ、う……」


 呻き声。

 怪我をしているわけではない。だが、その痛み方は尋常じゃなかった。

 俺は洗い物の手を止め、彼女の足元に置かれたロッドを見た。

 メーカーロゴは『北斗電子技研』。医療機器メーカーから参入した、堅実だが融通の利かないブランドだ。


「……『シンクロ・レゾナンス(同調痛)』か」


 俺がボソリと言うと、彼女はハッとして顔を上げた。


「え……?」


「その杖。『メディカル・ワンドType-3』だろ。対象の負傷箇所を瞬時にスキャンするために、術者の神経とリンクする機能がついてる。……だが、感度が良すぎるんだよ、北斗の製品は」



 俺はカウンター越しに身を乗り出した。


「お前、今日、誰か腕を潰された奴を治したな?」

 彼女は目を見開き、そして力なく頷いた。

「……前衛のタンクの子が、怪獣に噛まれて……。腕の骨が砕ける感覚が、まだ残ってて……」


 彼女は自分の右腕をさすった。


「治したんです。綺麗に繋ぎました。でも、私の腕には傷がないのに、脳が『砕けた』って誤認したままで……痛いんです、すごく」


 幻肢痛に近い症状だ。

 ブラックな仕様だ。術者が患者の痛みを共有すれば、より精密な治療ができる――開発部の連中はそう謳うが、現場の少女たちのメンタルケアなんて考えていない。

 俺はため息をつき、お冷のポットの横にあったアイスピックを手に取った。


「杖、貸してみな」

「えっ、でもこれ、認証ロックが……」

「物理的な回路の話だ。ロックなんざ関係ねえ」


 俺は杖を受け取ると、グリップの底にあるメンテナンスハッチをアイスピックの先でこじ開けた。

 中には複雑な電子回路と、魔力伝導体が詰まっている。

 その奥、配線の影に隠れるように小さなディップスイッチが並んでいた。


「……あった、これだ。『共感係数エンパシー・ゲイン』」


 初期設定では、これが最大値の『10』になっている。メーカーが「聖女のような献身的な治療」を演出するために仕込んだ、余計なお世話機能だ。

 俺はアイスピックの先で、スイッチをカチカチと動かし、『2』まで下げた。


「治療に必要な情報だけ拾えばいい。痛みまでシェアする必要はねえよ」


 ハッチを閉め、杖を彼女に戻す。


「握ってみろ」


 彼女は恐る恐るグリップを握った。

 瞬間、彼女の表情から険しさが消えた。


「……痛くない」


 彼女は自分の右腕を見つめ、グーパーと握り返した。


「嘘、さっきまであんなに痛かったのに……。嘘みたいに静かです」

「スキャン精度は少し落ちるが、そこはお前のスキルでカバーしろ。……自分が壊れちゃ、元も子もねえだろ」


 彼女は杖を抱きしめ、しばらく俯いていたが、やがて顔を上げると、残りのラーメンを一気に平らげた。

 スープの一滴まで飲み干し、彼女は大きく息を吐いた。


「……ふぅ。生き返りました」


 その顔には、入店時の悲壮感はもうなかった。

 彼女はナースキャップの位置を直し、凛とした表情で言った。


「おじさん、ありがとう。……実は私、もう限界かと思ってたんです」

「だろうな」

「でも、明日も頑張れそうです。……あの子たち、私がいないとすぐ無茶するから」


 彼女は苦笑いしながら、少しだけ「黒い」本音を漏らした。


「タンクの子なんて、『痛みは根性で耐える!』とか言って突っ込むし。アタッカーの子は回避忘れて被弾するし。……正直、たまに杖で頭ひっぱたいてやろうかって思うんですよね」

「やめとけ。北斗の杖は頑丈だから、撲殺しちまうぞ」

「ふふ、気をつけます」


 彼女はお代を置くと、軽やかな足取りで店を出て行った。

 雨はいつの間にか小降りになっていた。

 去り際、彼女の杖のクリスタルが、安定した光を放っているのが見えた。


「……やれやれ」


 俺は空になったドンブリを下げた。

 バターの油膜が残るスープの跡。

 聖女だの天使だのと持ち上げられても、中身はただの人間だ。腹も減れば、愚痴も吐く。痛みだってある。

 そんな当たり前のことを、開発部のエリートたちは忘れちまう。

 俺はラジオのボリュームを少し上げた。

 夜明けが近い。

 次の客が来るまで、あと少しだけ時間がありそうだった。

 俺は自分用に、余った餃子の皮をスープに入れて煮込み始めた。


 誰にも知られない裏方の仕事にも、腹は減るのだから。


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