地味な眼鏡と雷帝の素顔、昔ながらのオムライス
深夜一時。
小雨が降る静かな夜だった。
引き戸が遠慮がちに開き、チリン、と小さな鈴の音が鳴った。
「……あの、いいですか?」
蚊の鳴くような声。
現れたのは、分厚い黒縁眼鏡をかけた、小柄で地味な少女だった。
黒髪のおかっぱ頭。服装はヨレたジャージに、コンビニのサンダル。
どこにでもいそうな、あるいはどこにも居場所がなさそうな、影の薄い少女だ。
常連の魔法少女たちのような、派手なオーラは微塵もない。
「いらっしゃい。……雨宿りか?」
俺が聞くと、彼女はビクッとして、何度も頷いた。
「は、はい……あの、お腹も空いてて……」
彼女は一番端の席に、ちょこんと座った。
メニューを見る目が、眼鏡の奥で泳いでいる。
「……オ、オムライス……ありますか? デミグラスソースじゃなくて、あの……赤い、ケチャップの……」
「あるぞ。昔ながらのやつだな」
「はい……それでお願いします」
一見客にしては珍しい注文だ。
俺は鶏肉と玉ねぎを炒め、ご飯を投入した。
ケチャップをたっぷり入れ、水分を飛ばしながら炒め合わせる。酸味が飛び、甘みが出るまでしっかり煽る。
卵は二個。牛乳を少し入れて薄焼き卵を作る。
チキンライスを卵の上に乗せ、フライパンの柄をトントンと叩いて、くるりと巻く。
皿に乗せ、仕上げに真っ赤なケチャップを一直線にかける。
「へい、オムライスだ」
黄色と赤のコントラスト。
彼女は「わぁ……」と小さく声を上げ、眼鏡を少し曇らせた。
彼女はスプーンで端っこを崩し、パクリと食べた。
「……ん」
口いっぱいに広がる、甘酸っぱい懐かしい味。
「……おいしい。……優しい味」
彼女は頬を緩ませ、パクパクと食べ始めた。
その食べ方には、妙な既視感があった。
スプーンを持つ小指が少し立っている癖。そして、時折「熱っ」と舌を出して冷ます仕草。
……誰かに似ている気がするが、思い出せない。
彼女は半分ほど食べたところで、ポツリと独り言を漏らした。
「……はぁ。疲れたなぁ」
彼女は自分の手を見つめた。
その指先には、奇妙な形の火傷の痕があった。
樹木の枝が広がったような、幾何学的な模様。
「……リヒテンベルク図形(雷撃傷)か?」
俺が思わず呟くと、彼女は慌てて手を隠した。
「えっ、あ、これ……ち、違うんです! その、静電気がひどくて!」
静電気でそんな痕はつかない。
その特殊な火傷の痕を持つ人間を、俺は一人だけ知っている。
Sランク魔法少女、「サンダー・エンプレス」。
身長一七五センチ、金髪碧眼、ボンテージ風の過激な衣装を纏い、高笑いしながら雷を落とす、傲慢不遜な「雷の女帝」。
彼女はこの店の常連で、来るときはいつも最高級のステーキやワインを要求し、「この店の椅子は硬いわね!」と文句を言って帰っていく。
俺は目の前の、身長一五〇センチそこそこの地味な少女を見た。
そして、記憶の中の「女帝」と重ね合わせた。
……まさか。
魔法少女の変身には、認識阻害や身体補正がかかるものが多い。
身長が伸びたり、髪色が変わったり、性格が強気になったりする。
つまり、あの高圧的な女帝の「中身」は――。
「……おい、お嬢ちゃん」
俺はカマをかけることにした。
「お前、ひょっとして……『雷』は苦手か?」
彼女はオムライスを喉に詰まらせかけた。
「げほっ、ごほっ! ……な、ななな、なんでですか!?」
「いや、その火傷。……最近、この辺りを取り仕切ってる『サンダー・エンプレス』とかいう魔法少女も、同じような傷を持ってたなと思ってな」
彼女の顔から血の気が引いた。
「……し、知り合い……なんですか?」
「ああ。態度のデカい常連だ。いつも『こんな庶民の餌、私の舌に合うわけないでしょ!』とか言いながら、完食していくツンデレだがな」
彼女は俯いた。耳まで真っ赤になっている。
そして、蚊の鳴くような声で言った。
「……あ、あの人……本当は、無理してるんです」
「ほう?」
「本当は……人前で話すのも苦手で、雷の音も怖くて……。でも、変身すると『最強の女帝』のスイッチが入っちゃって……止まらなくて……」
彼女はスプーンを握りしめた。
「家に帰って変身を解くと、いつも一人で反省会してるんです。『あんな偉そうなこと言って、嫌われたかな』って……」
確定だ。
俺は笑いをこらえるのに必死だった。
あの傍若無人な女帝の正体が、こんなに小心者で、オムライスを美味しそうに食べる少女だったとは。
魔法ってのは、少女たちの「なりたい自分」を具現化するものだというが、彼女の場合は「コンプレックスの裏返し」だったわけか。
「……そうか。まあ、伝言があったら伝えといてやるぞ」
俺は何も気づいていないフリをして言った。
「『たまには肩の力を抜け。素顔のままでも、十分魅力的だぞ』ってな」
彼女はハッとして顔を上げた。
分厚い眼鏡の奥の瞳が、少しだけ潤んでいた。
「……つ、伝えておきます。……たぶん、あの人も喜びます」
彼女はオムライスを綺麗に完食した。
そして、お代の小銭を、丁寧に数えて置いた。
「ごちそうさまでした。……あの、また来てもいいですか? この姿で」
「おう。客は客だ。どんな格好でも構わんよ」
彼女はペコリと頭を下げ、引き戸を開けた。
雨は上がっていた。
帰り際、彼女は小さな声でボソッと言った。
「……ステーキより、オムライスの方が好きなんです」
彼女は逃げるように走り去った。
「……知ってるよ」
俺は空になった皿を下げた。
女帝の姿で来た時も、彼女はいつもメニューの「オムライス」の文字を、一瞬だけ目で追っていたのを俺は見逃していなかった。
「さて」
俺は布巾でテーブルを拭いた。
今度、女帝の姿で来た時は、サービスでケチャップを添えてやるか。
怒るか、泣くか。
どちらにしても、反応が楽しみだ。




