狙撃手の夏休みの宿題と、宮崎風冷や汁
ジジジジジ……
深夜二時になっても、アブラゼミの残党が鳴いている。
熱帯夜だ。風が生温い。
俺は団扇で炭火を煽りながら、ラジオの怪談話を聞き流していた。
ズリ……ズリ……
砂利を引きずる音がした。
怪獣か? いや、もっと悲壮感のある音だ。
暖簾をくぐってきたのは、セーラー服をベースにした衣装の少女だった。
背中には、身長よりも長い対物ライフルのハードケース。
そして左手には――パンパンに膨れ上がった通学鞄を持っていた。
彼女はカウンターに倒れ込むように座ると、ライフルのケースを足元に置き、通学鞄をドサッとカウンターに乗せた。
鞄の口から、数学のドリルや、読書感想文の原稿用紙が雪崩のように溢れ出した。
「……いらっしゃい。随分と重装備だな」
俺が声をかけると、彼女は死んだ魚のような目で俺を見た。
「……店主さん。……ここ、避難所ですか?」
「屋台屋だ」
「……そっか。でもいいや。……もう、家には帰れない。お母さんが『宿題終わるまで部屋から出しません』って……仁王立ちしてるから……」
彼女はカウンターに額を押し付けた。
「……終わらないんです。怪獣は毎日出るのに、二次関数も毎日増えるんです。……もう、引き金を引く指が腱鞘炎なのか、シャーペン握りすぎたせいなのか分かんない……」
遠距離狙撃特化型魔法少女、「ホーク・アイ」。
数キロ先の標的を撃ち抜く冷静沈着なスナイパーだが、今はただの夏休みの宿題に追われる中学生だ。
「……食欲は」
「ないです。……固形物見ると、数式の記号に見えて吐き気が」
重症だ。
だが、食わなきゃ脳も働かない。
俺は冷蔵庫から、朝のうちに仕込んでおいたボウルを取り出した。
すり鉢で丁寧に煎った麦味噌と、大量の白ゴマ。そこにほぐした焼きアジの干物を混ぜ込み、直火で軽く炙って香ばしさを出す。
それを、キンキンに冷やした昆布とイリコの出汁で溶く。
具材は手で崩した木綿豆腐、輪切りのきゅうり、そして刻んだ大葉とミョウガ。
炊きたてではなく、一度水で洗ってぬめりを取った冷たい麦飯に、その冷たい味噌汁をたっぷりとかける。
「宮崎風冷や汁だ。……これなら噛まなくても入る」
ドンブリからは湯気ではなく、冷気と、焦がし味噌の香ばしい匂いが漂う。
彼女は虚ろな目でレンゲを持った。
サラサラと、茶漬けのように流し込む。
「……ん」
彼女の動きが止まった。
冷たい出汁が、オーバーヒートした脳を直接冷却するような感覚。
きゅうりのカリカリとした食感と、ミョウガの爽やかな香り。そして何より、アジと味噌の濃厚な旨味。
「……おいしい。……するする入る」
彼女は猛烈な勢いでレンゲを動かし始めた。
食欲がないと言っていたのが嘘のように、喉が音を鳴らして冷たい飯を飲み込んでいく。
俺はその間、彼女がカウンターに置いたゴーグル型バイザーを手に取った。
狙撃手が命とする、情報処理デバイスだ。
「……おい。このバイザー、表示がおかしいぞ」
俺が覗き込むと、照準用レティクル(十字線)の周りに、無数のウィンドウがポップアップしていた。
『古文単語帳』『英熟語ターゲット』『歴史年表』……。
「……あ、それですか」
彼女は三杯目のおかわり(麦飯追加)を要求しながら言った。
「戦闘中も勉強しないと間に合わないから、隙間時間に暗記できるように『学習支援アプリ』をインストールしたんです」
「バカかお前は」
俺は呆れ果てた。
「視界の半分が単語帳で埋まってたら、敵が見えるわけねえだろ。それに、情報処理のリソースを食いすぎて、弾道計算プロセッサが遅延を起こしてる」
彼女が最近、狙撃を外して凹んでいた理由はこれか。
二兎を追う者は一兎をも得ず。マルチタスクにも限度がある。
俺はタブレットを接続し、彼女のバイザーの設定を強制変更した。
「学習アプリはアンインストールだ」
「えっ!? 待って! それがないと!」
「その代わり、『集中力強化モード』のクロック周波数を上げてやる」
俺は説明した。
「戦闘中は戦闘に集中しろ。その代わり、戦闘が終わったら、このモードを使って一気に宿題を片付けろ。……ダラダラ両方やるより、メリハリつけた方が効率がいい」
脳の処理能力を一時的にブーストさせる機能だ。長時間は使えないが、短時間の集中には劇的な効果がある。
「……よし。これで視界はクリアになったはずだ」
完食した彼女は、バイザーを受け取り、装着した。
視界には、シンプルな十字線と、風速、距離のみ。
余計な情報は一切ない。
「……すごい。頭の中が静かになった」
彼女は深呼吸した。
冷や汁で腹が満たされ、体温も下がっている。今の彼女なら、百発百中だろう。
「店主さん、ありがとう。……私、まずはあの怪獣を片付けてくる」
彼女はライフルケースを担ぎ、重たい通学鞄を背負った。
「それが終わったら、この集中モードで、読書感想文を一〇分で書き上げる!」
「おう。誤字脱字には気をつけろよ」
彼女は夜の闇へと走っていった。
その背中は、来た時よりもずっと軽やかに見えた。
「……夏休みの宿題か」
俺は空になったドンブリを下げた。
少し残った味噌と、ゴマの香り。
子供にとっちゃ、怪獣よりも宿題の方が強敵なのかもしれないな。
俺は団扇をパタパタと仰いだ。
遠くで、重たい銃声が一発だけ響いた。
どうやら、一発目の「宿題」は片付いたらしい。




