オーバーヒートの太陽神と、冷やし中華
じっとりと湿った風が、のぼりを揺らしている。
俺は屋台の軒先に、『冷やし中華はじめました』と書かれた短冊を吊るした。
先代が亡くなってから、初めて迎える夏だ。
あの日、レイコ社長が置いていった「線香代」で、俺は仏壇を新調し、古びたクーラーボックスを最新の冷蔵庫に買い替えた。
オヤジ、あんたの遺産は、ちゃんと店のために使わせてもらうぜ。
深夜一時。
遠くで雷鳴が轟いている。梅雨前線の活動が活発化し、連日のように「雨雲型怪獣」が出没していた。
そんな蒸し暑い夜に、フラフラと千鳥足で近づいてくる人影があった。
「……あづい……無理……溶けるぅ……」
暖簾をくぐってきたのは、全身から陽炎のような熱気を発している少女だった。
黄金色の髪、太陽を模した煌びやかな装飾のついた衣装。
天候操作系Sランク魔法少女、「ソレイユ・サンシャイン」。
雨雲を払い、晴天をもたらす「太陽の巫女」だが、今の彼女は茹でダコのように顔を真っ赤にし、汗だくでカウンターに突っ伏した。
「いらっしゃい。……随分と熱いな。熱でもあるのか?」
俺がおしぼり(キンキンに冷やしたやつ)を渡すと、彼女はそれを顔に押し当てた。
ジューッ……
まるで焼けた鉄板に水をかけたような音がして、おしぼりから湯気が上がった。
「……熱じゃないの。職業病……」
彼女はうわごとのように呟いた。
「みんな勝手なことばっか言って……。『週末は運動会だから晴れにして』だの、『洗濯物が乾かないから雲を消せ』だの……。こっちは一日中、最大出力で太陽エネルギーを放出してんのよ……体温下がる暇がないっての……」
彼女は虚ろな目で壁の短冊を見た。
「……冷やし中華。……それ。一番冷たいやつ。氷山に乗っけて出して」
「あいよ」
俺は中華麺をたっぷりの湯で茹で上げた。
茹で時間はきっちり三分。
ザルに上げ、すぐに氷水を入れたボウルに放り込む。
手で激しく揉み洗いし、麺のぬめりを取りつつ、芯まで冷やす。麺がキュッと締まり、コシが生まれる。
水をしっかり切り、深めの皿に盛る。
具材は細切りにしたハム、きゅうり、錦糸卵、そしてトマト。彩り豊かに並べる。
タレは醤油、酢、砂糖、ごま油、そして隠し味のレモン果汁をブレンドした特製ダレ。
最後に、彼女の要望通りクラッシュアイスを散らし、和辛子を添える。
「へい、特製冷やし中華だ。……タレも皿も冷やしてある」
彼女は震える手で箸を割り、氷ごと麺を持ち上げた。
ズズッ、ズゾゾッ!
冷たい麺が、灼熱の喉を通過する。
「……んんっ!!」
彼女が目を見開いた。
「……つめたっ! 酸っぱ! 生き返るぅ……!」
酢の酸味とレモンの香りが、熱でダル重くなった体に清涼感を吹き込む。
彼女はハムときゅうりを麺と一緒に頬張り、ガツガツと食べた。
体内に溜まった熱が、急速に冷却されていく。
俺は彼女が食べている間、彼女の胸元で強烈な光を放っているブローチ「サン・コア」を凝視した。
周囲の空気が歪むほどの熱を発している。
「……おい。そのブローチ、触ってみろ」
彼女は麺を啜りながら、自分の胸元に触れようとして――引っ込めた。
「あつっ! ……あー、また暴走してる。夏場はどうしても排熱が追いつかなくて」
「放っておくと、熱中症で倒れる前に、服が発火するぞ」
俺は冷凍庫から保冷剤を取り出し、タオルで巻いた。
「ちょっと失礼するぞ」
俺は彼女の胸元のブローチに、保冷剤を押し当てた。
ジュウウウ……
凄まじい熱だ。
「メーカーは『ヘリオス・テック』か。光出力は高いが、放熱設計が杜撰なんだよな」
俺はブローチの裏側にある、微細な通気口を見た。
そこが、キラキラしたラメのような粉で詰まっていた。
「……なんだこれ」
彼女が気まずそうに目を逸らした。
「……それ、輝きを増すための『キラキラパウダー』。……新発売のコスメで、つい……」
「お洒落するのはいいが、吸気口を塞ぐな」
俺はため息をつき、極細のピンセットとエアダスターを取り出した。
「飯食ってる間に掃除する。……エンジンルームに化粧品ぶちまけて走ってるようなもんだぞ」
俺は詰まったラメを丁寧に取り除き、エアダスターで内部のホコリを吹き飛ばした。
さらに、熱伝導率の高いシリコングリスを塗り直し、放熱フィン(ヒートシンク)の接触を良くする。
最後に、排熱ファンを強制最大回転に設定した。
ブォォォォォ……
ブローチから、熱い風が外へと吹き出し始めた。
「……よし。これで熱がこもらず、外に逃げるはずだ」
完食した彼女は、胸元に手を当てた。
「……あれ? 熱くない。それに、風が出てて涼しいかも」
「排熱ファンを扇風機代わりにしとけ」
彼女はスッキリした顔で、残った冷たいスープを飲み干した。
「はぁ〜、極楽。……これで明日の運動会も、晴れにできそう」
彼女は財布から小銭を出し、カウンターに置いた。
「ありがとう店主さん! ……あ、あとこれ、お供えしといて」
彼女は小さなひまわりの花(造花だが、微かに魔力を帯びている)を一本、そっと置いた。
「先代のおじいちゃん、よく私の愚痴聞いてくれたから」
彼女は元気よく立ち上がり、蒸し暑い夜の中へと帰っていった。
その背中からは、もう危険な熱気は感じられなかった。
「……義理堅い連中だ」
俺はひまわりの花を手に取り、厨房の奥にある小さな遺影の前に供えた。
写真の中の先代は、相変わらず仏頂面だ。
「夏が来ましたよ、オヤジ」
俺は空になった冷やし中華の皿を洗った。
酸っぱいタレの匂い。
季節は巡る。
作る人間が変わっても、腹を空かせた客を迎える灯りだけは、消しちゃいけない。
「さて」
俺はタオルを首に巻き直した。
今年の夏も、暑くなりそうだ。




