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黎明期の女帝と、勝利のソースカツ丼

 

 深夜一時半


 店の前に、音もなく漆黒の高級セダンが停まった。

 降りてきたのは、仕立ての良いスーツを着こなした、五十代くらいの女性だった。

 白髪交じりの髪をキリッとまとめ、目尻には笑い皺があるが、その瞳の奥には猛禽類のような鋭さが宿っている。

 彼女の後ろから、慌てて若い少女がついてきた。こちらは今風の派手なアイドル系魔法少女だ。


「しゃ、社長! こんな屋台で食事ですか!? 予約したフレンチは……」

「キャンセルしたわ。今日は、無性にここの味が恋しくなったの」


 女性は低い声で言い、迷わず暖簾をくぐった。

 その足取りには、一切の隙がない。

 俺は直感した。この人は「カタギ」じゃない。だが、ヤクザでもない。

 もっと根源的な、暴力の臭いを知っている人間だ。


「いらっしゃい」


 俺が声をかけると、彼女は懐かしそうに店内を見渡した。


「……少し綺麗になったわね。先代の時は、もっと脂とタバコの臭いが染み付いていたけれど」


 彼女はカウンターの真ん中に座り、呆気にとられる少女を隣に座らせた。


「お座り、カレン。今日は私の奢りよ」

「は、はい……」


 少女――新人魔法少女カレンは、小さくなって座った。


「注文は、ソースカツ丼を二つ。……ご飯は特盛りで」

「ええっ!? 社長、私ダイエット中……」

「戦場で死にたくなければ食いなさい。これは業務命令よ」


 有無を言わせぬ迫力。

 俺は無言で豚ロース肉を叩き始めた。

 

 四十年前。

 俺がまだ子供だった頃、最初の魔法少女が現れた。

 当時は今のようにお洒落な衣装も、便利な変身アプリもなかった。

 ただ、異形(怪獣)が現れ、それを倒すために選ばれた少女たちが、ジャージや改造制服姿で、鉄パイプやバットを振り回して戦っていた時代。

 「黎明期」。魔法少女が、まだ「正義の味方」というよりは「見世物」や「人柱」に近かった、血なまぐさい時代だ。

 俺は叩いて柔らかくした肉に、細かいパン粉をまぶし、ラード一〇〇%の油で揚げた。


 パチパチパチ……!


 香ばしい音。

 揚げたてのカツを、ウスターソースベースの甘辛いタレにドボンとくぐらせる。

 千切りキャベツを敷いた丼飯の上に、ソースの染みたカツを三枚、豪快に乗せる。

 福井発祥のソースカツ丼。卵でとじない分、肉の味がダイレクトに伝わる。


「へい、ソースカツ丼だ」


 丼を置くと、ソースの酸味と脂の甘い香りが立ち上った。

 社長と呼ばれた女性は、割り箸を割ると、一片の迷いもなくカツにかぶりついた。


 サクッ


 ソースが染みてなお残る衣の食感。


「……ん。これよ」


 彼女は目を細めた。


「泥水を啜るような日々の後で、オヤジさんが食わせてくれた味。……変わってないわね」


 彼女は隣のカレンを見た。

 カレンは恐る恐るカツを口に運び、その濃い味に驚きつつも、徐々に箸が進み始めていた。


「どう? 美味しい?」

「は、はい……! 味が濃くて、元気が出ます!」

「そうでしょう。……カレン、貴女、昨日の戦闘で『シールドの展開が遅い』って泣いてたわね」


 社長はカツを噛み締めながら言った。


「え、あ、はい。オートガードのアプリがバグってて……」

「アプリなんてなかったわよ。私の時代は」


 社長は手袋を外した。

 その左手を見て、カレンが息を飲んだ。そして俺も、作業の手を止めた。

 手の甲から肘にかけて、古びた火傷と、切り裂かれたような傷跡が無数に走っていた。

 それは、魔法による治癒も受けられず、自然治癒に任せた古傷だ。


「怪獣の爪を、生身の腕で受け止めて、その隙に右手の釘バットで頭を勝ち割る。……それが私の『シールド』だったわ」

「く、釘バット……!?」


 カレンは絶句した。


「魔法なんて便利なものは、『身体強化』くらいしかなかった。衣装コスチューム? そんな防御力のない布切れより、工事現場のヘルメットの方が役に立ったわ」


 彼女は笑いながら、傷だらけの手で丼を持ち上げ、米をかき込んだ。


「恵まれてるのよ、今は。……でもね、便利になりすぎて、一番大事なものを忘れてる」


 彼女は俺の方を見た。


「……店主。貴方、元『大和重工』の者でしょう?」


 俺は眉を動かさずに答えた。


「……人違いだろ」

「フフ。隠さなくていいわ。貴方が流してる『型落ちパーツ』のおかげで、うちの弱小事務所の子たちが生き延びてるんだから」


 彼女は懐から、一枚の写真を取り出した。

 セピア色に変色した写真。

 そこには、特攻服のような改造制服を着て、血まみれで笑う少女と、屋台の前で腕組みをする先代店主が写っていた。

 その少女が握っているのは、魔法のステッキではない。鉄筋コンクリート片だ。


「『紅蓮のスケバン・レイコ』。……俺が子供の頃、テレビで見た英雄だ」


 俺が静かにその名を呼ぶと、彼女――レイコ社長は、少女のように恥ずかしそうに笑った。


「英雄なんて柄じゃないわ。ただの、死にぞこないの不良よ」


 彼女は写真をしまった。


「カレン。道具に頼るなとは言わない。でも、最後に自分を守るのは、アプリでも装備でもない。……『絶対に生きて帰って、飯を食う』っていう、あさましいほどの執念よ」


 カレンは背筋を伸ばし、真剣な顔で頷いた。


「……はい! 肝に銘じます!」


 彼女は残りのカツ丼を、今までで一番の勢いで平らげた。

 その目には、先ほどまでの甘えは消えていた。

 完食。

 レイコ社長は財布から一万円札数枚を出し、カウンターに置いた。


「釣りはいらないわ。……これは『彼』への線香代」


 彼女は立ち上がり、俺に鋭い視線を向けた。


「いい店主あとつぎを見つけたわね、オヤジさん」


 二人は店を出て行った。

 黒塗りの車が走り去る音を聞きながら、俺は空になった二つの丼を下げた。

 ソースの甘辛い匂い。

 四十年前、この国を守るために血を流した少女たちがいたからこそ、今の平和システムがある。

 その生き証人が、まだこうしてカツ丼を食えるほど元気なのは、悪いことじゃねえ。


「……先代も、鼻が高いだろうな」


 俺は洗い物をしながら、ふと厨房の奥に飾ってある先代の写真を一瞥した。


 写真の中の頑固親父は、相変わらず無愛想な顔で、しかしどこか誇らしげに見えた。


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