開発主任の残業飯と、レバニラ炒め定食
金曜日の深夜一時。
都市部の喧騒から離れたこの店に、一台のタクシーが止まった。
降りてきたのは、くたびれたスーツ姿の男だった。
ネクタイは緩み、シャツの襟は汚れ、目の下には消えない隈。背中は丸まり、手にはコンビニの袋ではなく、分厚い設計図面の入ったアタッシュケース。
男は暖簾の前で立ち止まり、深いため息をついてから、重そうに腕を上げた。
「……やってるか、黒木」
その声を聞いて、俺は中華鍋を振る手を止めた。
「……珍しいな。開発部の人間がこんな吹きっさらしまで来るとは」
現れたのは、佐々木。
俺がかつて勤めていた「大和重工」の同期であり、現在は技術開発部の課長を務める男だ。俺が裏で魔法少女たちに流している「予備パーツ」の横流し元でもある。
「会議が長引いてな。……胃が痛くて、まともな飯が食いたくなった」
佐々木はカウンターの一番端に座ると、アタッシュケースを足元に置き、頭を抱えた。
「注文は」
「……精がつくもの。あと、苦くないやつ。人生だけで十分だ」
相変わらずの減らず口だ。
俺は冷蔵庫から、新鮮な豚レバーを取り出した。
牛乳に浸して臭みを抜いたレバーを、醤油と生姜の下味に漬け込む。
片栗粉をまぶし、多めの油でカリッと揚げ焼きにする。これだけで美味いが、今日は「定食」だ。
中華鍋に油を足し、大量のモヤシとニラを投入。強火で一気に煽る。
揚げたレバーを戻し入れ、オイスターソースと醤油、酒、砂糖を合わせた特製ダレを絡める。
ジャァァァッ!!
食欲を刺激する香ばしい匂いが爆発する。
丼飯と中華スープ、漬物を添えて出す。
「レバニラ炒め定食だ。……明日は休みだろ、ニンニクも入れといたぞ」
佐々木は割り箸を割り、山盛りのレバニラを一口頬張った。
シャキシャキの野菜と、濃厚なレバーの旨味。
「……美味い。社食のゴムみたいなレバーとは大違いだ」
佐々木はガツガツと飯をかき込み始めた。エリート街道を走っているはずの男が、まるで飢えた野良犬のようだ。
その時だった。
バサッ、と暖簾がめくられた。
「……あー、もう! 最悪! やってらんない!」
入ってきたのは、一人の魔法少女だった。
だが、今までのような派手な衣装ではない。カーキ色を基調とした、地味な軍服風の衣装。
手には量産型のライフル。胸元には階級章のみ。
特定の妖精と契約せず、防衛省の管轄下で組織的に運用される「量産型魔法少女」だ。
彼女はドカッと佐々木の隣(席がそこしか空いてなかった)に座り、ライフルをカウンターに叩きつけた。
「おじさん! ビール! あと餃子!」
「未成年だろ。コーラにしとけ」
「じゃあコーラ! ……はぁ、マジでクソ装備」
彼女の悪態に、レバニラを食っていた佐々木の手がピタリと止まった。
彼女がカウンターに放り出したライフル。
側面には『YAMATO HEAVY INDUSTRIES』の刻印。
佐々木が先月、血尿を出しながらリリースしたばかりの最新鋭量産モデル『Type-99 魔導小銃』だった。
佐々木が横目で彼女を睨む。
「……嬢ちゃん。その銃が、どうかしたのか」
彼女はコーラをラッパ飲みし、不機嫌そうに答えた。
「あ? これっすか? よくジャムる(弾詰まりする)んすよ。今日もいいとこで動作不良起こして、上官に怒鳴られたし」
彼女は銃床をバンバン叩いた。
「カタログじゃ『信頼性抜群』とか書いてあるらしいけど、嘘ばっか。ちょっと砂が入っただけで動かなくなるとか、現場ナメてんのかって感じ」
佐々木のこめかみに青筋が浮かんだ。
「……それは、お前のメンテナンス不足じゃないのか」
佐々木が低い声で言った。
「その『Type-99』は、部品公差〇・〇一ミリ以下の精密加工で作られている。泥や砂が入った程度で止まるような設計じゃない。マニュアル通りに毎日分解清掃していれば――」
「はぁ?」
彼女がキレた。
「マニュアルぅ? あんな分厚い本、戦場で読んでられるかっての! それに毎日分解? こっちは連勤続きで寝る暇もねえんだよ!」
彼女はライフルを指差した。
「だいたい、この排莢ポートが狭すぎるのが悪いんだよ! 設計した奴、絶対エアコンの効いた部屋でぬくぬく仕事してるオッサンだろ! 現場に出てこいってんだ、バカ開発者!」
ガタンッ!
佐々木が立ち上がった。顔は真っ赤だ。
「……そのバカ開発者が、誰だか分かって言ってるのか!」
「ああん!? 誰だよアンタ、やんのかコラ!」
一触即発。
サラリーマンと魔法少女の喧嘩という、地獄絵図になりかけた瞬間。
「……やめろ」
俺は二人の間に、焼きあがった餃子の皿をドン! と置いた。
「店で喧嘩する奴は出禁だ」
俺は佐々木を睨み、それから少女に向き直った。
「……嬢ちゃん。その銃、ちょっと貸してみな」
「え、あ、はい。……何すか大将」
俺はライフルを手に取り、慣れた手つきでボルトを引いた。
ジャリッ。
嫌な感触。
「……佐々木。お前の言う通り、精度は完璧だ。完璧すぎる」
俺は佐々木に銃を突きつけた。
「隙間がなさすぎて、熱膨張した薬莢が張り付いてんだよ。……実験室の室温なら問題ないだろうが、連続射撃した現場の銃はチンチンに熱くなってる。そこまで計算に入れたか?」
佐々木が押し黙った。
「……理論値では、排熱システムが機能するはずだ」
「理論値だろ。現場は理論通りにいかねえ」
俺は厨房からヤスリを取り出し、排莢ポートの内側をガリガリと削り始めた。
「……おい! 何をする! それはの表面処理は特殊コーティングが……!」
「コーティングなんぞ知るか。……広げるぞ」
俺はポートの穴を〇・五ミリほど拡張し、さらにボルトの接触面を荒く削って「遊び」を作った。
精密機械としては台無しだ。だが、武器としてはこれでいい。
「……ほらよ」
俺は銃を少女に返した。
彼女は半信半疑でボルトを引いた。
ガシャッ、カシャン。
小気味よい金属音。引っかかりが消えている。
「……あれ? 軽っ! 全然詰まらない!」
彼女は驚喜し、餃子を放り込んだ。
「すげえ! 大将、マジ天才! 最初からこうやって作ればいいのに!」
佐々木は苦虫を噛み潰したような顔で、自分のレバニラを見つめていた。
「……〇・五ミリ。たったそれだけで、そこまで変わるのか」
「変わるさ。……俺たちが売ってたのは、スペックシートじゃねえ。命を守る道具だ」
俺は佐々木の前に水を置いた。
「お前がいいモン作ろうとしてるのは知ってる。……だが、たまには泥にまみれた現場の声も聞けよ。昔の俺みたいにな」
佐々木はしばらく黙ってレバニラを噛み締めていたが、やがて深く息を吐き、少女に声をかけた。
「……おい」
「あ? 何だよオッサン」
「その銃の、ストック(肩当て)の角度。……使いにくくないか?」
少女は瞬きした。
「え、あー……まあ、ちょっとデカイっていうか、私の体格だと滑るんだよね」
佐々木は懐から手帳を取り出し、何かを書き留めた。
「……ショートストックのオプションが必要か。それと、排莢ポートの公差見直し。……グリップの太さは?」
「太い! あと滑り止めが痛い!」
「……チェッカリングの形状変更。材質はラバーに変更……」
佐々木はブツブツと呟きながら、猛烈な勢いでメモを取り始めた。
その目は、死んだ魚のような目から、エンジニアの目に変わっていた。
少女も最初は警戒していたが、自分の不満を真剣に聞くオッサンに、次第に調子に乗って要望を出し始めた。
「あとさー! 重いんだよこれ! もっと軽くなんないの!?」
「強度の問題がある。だが、フレームを肉抜きすればあるいは……」
奇妙な会議が始まった。
俺は苦笑いしながら、餃子の追加を焼いた。
開発者と使用者。
一番遠い場所にいる二人が、ラーメン屋のカウンターで並んでいる。
一時間後。
少女は満足して帰っていった。
「サンキュー大将! オッサンも、変なこと聞いてくれてありがとな!」
残された佐々木は、メモで埋め尽くされた手帳を満足げに眺め、冷めたレバニラの残りをかき込んだ。
「……黒木。お前がここを辞められない理由が、少し分かった気がする」
佐々木はアタッシュケースを持ち上げ、立ち上がった。
「会社に戻る。……修正図面を引かなきゃならん」
「今からか? 倒れるぞ」
「美味いレバニラ食ったからな。エネルギーは満タンだ」
佐々木はニヤリと笑った。その顔には、来た時の疲労感はなかった。
「……また来る。今度は、試作品のテストデータを取りにな」
佐々木はタクシーを拾い、夜の闇へと消えていった。
大和重工の次期モデルは、きっと少しだけマシなものになるだろう。
「……さて」
俺は空になった皿を下げた。
レバーとニラのスタミナ飯。
働く男も、戦う少女も、食わなきゃ始まらない。
俺は洗い物を始めた。
かつての同僚の背中が、少しだけ大きく見えた夜だった。




