優等生の殻割りと、背脂ニンニクまぜそば
深夜一時。
暖簾が勢いよくめくられた。
「大将! 腹ペコ二人連れだ! 席空いてるか!」
快活な声と共に現れたのは、深紅のポニーテールをなびかせた、勝気そうな女性だった。
胸元のプレートには三つの星。Aランク魔法少女、「ブレイズ・ランサー」。
この店の常連の一人であり、豪快な槍使いとして有名なベテランだ。
「おう、空いてるぞ」
俺が答えると、彼女は背後を振り返り、誰かを引っ張り出した。
「ほら、入んな。突っ立ってると蚊に食われるよ」
「あ、あのっ、先輩! こんな……こんな衛生管理コードも不明な路地裏の違法建築なお店で食事なんて、校則違反です!」
引っ張られてきたのは、眼鏡をかけた真面目そうな少女だった。
真っ白な制服に、スカートの丈も規定通り。手には教科書のような分厚い魔導書を抱えている。
新人魔法少女、「プリズム・グラス」。魔法学園を主席で卒業したばかりのエリートだ。
「固いこと言うなよ。現場に出たら現場の飯を食う。これも社会勉強だ」
先輩は笑いながらカウンターに座り、後輩を隣に座らせた。
「大将、いつもの。『まぜそば』二つ。ニンニク、背脂、マヨネーズ全部マシで」
「了解」
「ひぇっ!? ニ、ニンニク!? アブラ!? 魔法少女の摂取カロリー基準を大幅に超過し……」
後輩がパニックになるのを無視して、俺は極太麺を茹で始めた。
茹で上がった熱々の麺を丼に入れ、醤油ダレとラードを絡める。
その上に、サイコロ状のチャーシュー、メンマ、海苔、ネギ、卵黄、そして刻みニンニクと粒状の背脂を山盛りにする。仕上げにマヨネーズを網目状にかける。
見た目は凶悪そのもの。ジャンクフードの王様だ。
「へい、特製まぜそばだ。底からよく混ぜて食え」
二つの丼を出すと、強烈なニンニク臭が店内に充満した。
後輩は顔を真っ青にした。
「こ、こんなの……毒物です! 美と正義の象徴である私たちが、こんな下品なものを……」
「いいから食ってみろ。頭使った後は、こういうのが一番効くんだよ」
先輩は慣れた手つきで麺と具をグチャグチャに混ぜ合わせ、豪快に啜り込んだ。
ズゾゾゾッ!
「んーっ! これこれ! 脳髄に染みるわぁ!」
後輩は恐る恐る箸を手に取り、少しだけ混ぜて、小さな一口を口に運んだ。
モグモグ……
その瞬間、彼女の眼鏡がカクンとずれた。
「……っ!?」
塩分、脂質、炭水化物。
優等生の管理された食生活では決して出会うことのなかった、暴力的な旨味の奔流。
「な、なんですかこれ……舌が痺れるのに、箸が止まらない……!」
彼女は無我夢中で次の麺を掴んだ。
ズゾッ、ズゾゾッ!
気がつけば、先輩に負けない勢いでかき込んでいた。
俺はその様子を見ながら、後輩が大事そうに抱えていた魔導書に目をやった。
ハードカバーの表紙には、学園の校章が刻印されている。
「……『アカデミー・スタンダードⅤ』。支給されたばかりの新品だな」
俺が言うと、後輩は口の周りをマヨネーズだらけにして顔を上げた。
「は、はい! 最新鋭の汎用魔導書です! あらゆる状況に対応できる完璧なマニュアルが搭載されていて……」
「そのマニュアルがお前の足を引っ張ってるぞ」
「えっ?」
俺はカウンター越しに手を伸ばした。
「ちょっと貸してみな」
俺は魔導書を受け取り、パラパラとめくった。
ページの端が綺麗すぎる。使い込まれた形跡がない。
そして、栞が挟まっているページを見た。
「……『第4章:市街地戦闘における安全確保手順』か。ここを読み込んでるせいで、魔法の発動がワンテンポ遅れてる」
先輩がニヤリと笑って口を挟んだ。
「そーなのよ。こいつ、怪獣を目の前にして『周辺被害予測』の計算始めちゃうんだもん。おかげで今日、私が庇う羽目になったし」
「だ、だって! 教科書には『安全確認が最優先』と……!」
俺は厨房からカッターナイフを取り出した。
「お嬢ちゃん。現場は教室じゃねえんだ」
俺は魔導書の背表紙にある、封印シールのようなものをカリカリと削り取った。
「これは『検索アシスト機能』の保護シールだ。こいつがあると、安全な呪文しか検索結果に出てこねえ」
さらに、俺は特定の数ページ――『撤退基準』や『過剰防衛の禁止』といった項目が書かれたページを、ホッチキスで留めて開かなくした。
「そして、余計なページは封印だ。迷ってる暇があったら、最初の一撃を叩き込むページだけ開け」
俺は魔導書を閉じて返した。
「検索フィルターを解除した。これで『禁忌呪文』や『高出力魔法』も一発で呼び出せる。……ただし、使うタイミングは自分で決めろ。教科書じゃなくて、自分の目で見てな」
後輩は魔導書を受け取った。
少しだけ軽くなった気がした。物理的な重さは変わらないはずなのに。
「……自分の、目」
彼女は隣を見た。
先輩は既に完食し、満足そうに腹をさすっていた。
口の周りは脂でギトギト。決して「美しい魔法少女」の姿ではない。
でも、彼女は誰よりも強く、頼りになる。
後輩は残りのまぜそばを一気にかき込んだ。
最後の一本まで啜りきり、ドンブリを置く。
「……ごちそうさまでした! すごく……下品で、美味しかったです!」
彼女は眼鏡の位置を直し、清々しい顔で言った。
先輩が笑って肩を叩いた。
「いい食いっぷりだったぞ。……ま、最初はみんなそんなもんだ。優等生の皮が一枚剥けたな」
二人は代金を払って立ち上がった。
帰り際、後輩が俺に頭を下げた。
「店主さん! 私、マニュアル人間卒業します! ……でも、校則違反なので、ここに来たことは内緒にしてください!」
「おう。俺の口は固いぞ」
二人は夜の闇へと消えていった。
先輩の背中を追う後輩の足取りは、来た時よりも少しだけ大股になっていた。
「……まぜそば、か」
俺は強烈な脂汚れがついたドンブリを洗剤に浸けた。
綺麗に盛られた具材も、食べる時はグチャグチャに混ぜなきゃ美味くない。
教科書通りの綺麗な戦い方じゃ、生き残れないってことだ。
「換気しねえとな」
俺は窓を開けた。
ニンニクの匂いは、明日まで残りそうだった。
だが、それが彼女たちの生きる活力になるなら、安いもんだ。




